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ChatGPTは自分が作成した文章が分かる?文章みせて「貴方が書いた?」と聞いた | おたくま経済新聞 [資格・学び]

ChatGPTは自分が作成した文章が分かる?文章みせて「貴方が書いた?」と聞いた | おたくま経済新聞

よほど大きく改変しない限り、ChatGPTは自分が書いたテキストを同定できるそうです。つまり、学生がChatGPTに書かせた文章にいっさい手を加えず、コピペして提出したレポートはそのまま貼り付けて検証すれば、盗作と認定できるわけです。学者も同様で論文だって自分で書いたのか、ChatGPTに書かせたのかが瞬時にわかってしまうとしたら、われわれは過度にChatGPTに依存できないし、ChatGPTの僕(しもべ)にはならないということです。これは朗報です。

私は学生にChatGPTやDeepLやGrammarlyなどを積極的に活用するようにと言っています。「教員(私)は学生の文章をいちいち添削しません。そんな時間はありません。飲み放題や食べ放題の店に行っても、無限の時間に無限の量の飲み物を飲んだり食べられるわけではないのと同じです。私は神様ではありません。そんなに働かせたら、労働基準法違反です。

いまはせっかくChatGPTという良いものがあるのですから、教員の代わりに、それらの文明の利器を活用して添削してもらってください。その添削が正しいのかどうかはわかりませんから、自分で文法書やら辞書などを使って調べながら自主学習をすること。教員が添削したからといって、それが唯一の正解だとは限りません。他のバージョンもあるのです。結局のところ、大学は高校とは違って、どんなことでも自分の頭を使って自分で勉強しなければいけないのですから、教員の言いなりにならないようにしましょう」と言っています。

そういう話をある教員に話したら、それは「まずい」と叱られました。「教員の仕事」を放棄していると言うのです。何か学生側から苦情があったら、たとえば、添削をしてもらえないなどと教務課に言われたら、保身がはかれないと主張するのです。その方はなんでも学生をコントロールしたがるタイプです。そういう主張を展開したがる気持ちはわかりますが、私の考えとは180度違います。

コロナ禍よりも以前から、同じような議論はありました。電子辞書端末が登場すると、紙の辞書しか持ち込ませないと激怒していた教員もいました。スマホが登場すると、スマホをいじっている学生がいたら、スマホは取り上げますとヒステリーを起こしていた女性教員もいました。それを大学教員の仕事だと思っていること自体が私には全く理解できません。いまはタブレットでノートを取る学生もいますし、板書はスマートフォンで撮影する人もいます。スマホやパソコンに辞書アプリを入れて使っている人もいます。私だって、インターネットをコロケーションの辞書、類義語辞典などとして使うこともあります。翻訳させることもあります。教員がやっているのに、学生には許さないというのはダブルスタンダードです。

昔から当該教員はレポートを紙に手書きをして提出させています。(その煩わしさのせいでよく学生から苦情が教務に行っています。)一方、私はすべてオンラインで完結できるようにしています。なんでも紙で提出させる時代は終わったと思っているし、オンラインの方が提出書類の管理しやすいのです。それについて、学生からの苦情もありません。添削をしないといことで苦情が来たこともありません。むしろ、添削をされることで不愉快に感じる学生もいることは知っています。そんな個別の間違いはいまではコンピュータを使えばいくらでも直せます。教員なんかに頼らなくてもいいのです。そこは教員の仕事ではありません。教員の仕事は別にのところにあるのです。新しいテクノロジーが登場すると反発するだけで思考停止し、いっさい自分の考えを変えようとしない教師がたくさんいます。私からしたら、鬱陶しいだけです。

私は周囲の人たちと意見の対立がわりと多いのですが、それで良いと思っています。大学というのは、民主的でアカデミックな場ですし、最新の技術を実験的に取り込んで柔軟に対応することを訓練する場でもあります。何でも制限をかけて、あれもダメこれもダメとやってしまうのは、中学や高校の奇妙な校則を作る、思考停止状態の教師と同じです。

私は他人によって拘束、支配、コントロールされることを異常に嫌う人間です。だから、他人を縛りたくはありません。大学は奴隷を作るところではないので、私が奴隷を作ることに加担するわけにはいきません。

テクノロジーを駆使できる学生とそうではない学生と差が生まれてしまい、不公平になると当該教員に言われました。「不公平? 世の中というものは常に不公平ですけど。教室の中だけを、誰もが不公平ではないと思える仮想空間にするのは教員の仕事なのでしょうか」と反論したくなる気持ちをぐっと抑え込んで、私は黙ってしまいました。

大学というのは教員の裁量が比較的大きく許されている場です。ある教員が自分の考えを他の教員に押しつけるのは大学の存在意義を失わせる行為です。私は私とは考えの違う教員を尊重しますが、私はその考えには従いたくありません。

そのカリキュラムでは、期末試験は辞書と資料だけを使って手書きで作文をすることになっています。それが全体の評価の半分を占めています。学生たちもバカではないので、ふだんからChatGPTに完全依存していたら、単位はもらえないことはわかっています。この抑制機能があるのですから、学生は自分で何とかするでしょう。

しかも、学習支援センターというのがあって、そこで英文の添削指導の依頼もできるのです。したがって教員はそこまで学生の面倒を見る必要はないのです。そもそも、20年前と同じ給料なのですから、大学側も教員に過度な期待をしているわけではありません。添削指導がマストである英作文の授業だというなら、1クラスの学生数は今の半分以下だし、給料は2倍以上になっているはずです。それをしないのであれば、給料分だけしか働かなくて良いということです。教員(私)が自ら進んで奴隷になることはありません。もし私にそこまで働かせたいなら、給料は今の2倍か3倍はもらわないといけません。支払いたくないなら、年々私の仕事は減らしていきます。いまはデフレではなく、インフレの時代なのですから、給料と物価に見合った働き方をするのが当然です。そんなところで頑張っても誰も評価しませんよ。アホらしい。

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他責的な傾向のある人たちは、みなマルクス主義者です。つまりはバカということです。彼らは、既得権益者を攻撃すれば世の中が良くなるという幻想の世界に住んでいるのです。しかも、オジサンが既得権益者だと思っている人たちは、オジサンもまた既得権益者なんかとは程遠い奴隷であることや、自分たちも10年もすれば下の世代から既得権益者として扱われ、疎まれることになるということが想像できないのです。馬鹿すぎて話になりません。ターゲットは自分とは違う年齢層であれば誰でもいいのでしょう。若者、高齢者、中高年。みなそれぞれがいがみあっているだけの社会は、不幸ですね。そんな不幸な世界を維持することに私はいっさい貢献したくありません。


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100%同意します。これまで作られてきた映画の中のセックスシーンの99%以上は不要です。それがないと物語が成立しないということはまったくありません。残りの1%の中には、ミッキーロークの主演した『ナインハーフ』(1986年)がある程度でしょう。


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私も絶望まではしてませんが、いろんなことを諦め出したら、心が軽くなりました。諦めることは大切です。諦めるは、明らかに通じるらしく、自分がやる必要があること、やりたいことなどを明らかにすることだそうですからね。後悔しても仕方がないと考えられるようになったら、急に前進できるようになりました。東大を出ても、バカがたくさんいますから、第一志望に受からなくても、人生は逆転できるのです。ちなみに、私の親戚の中で一番収入が高いのは、一番勉強ができなかった従弟(いとこ)です。




ベルファストは行ったことがないのですが、いいところですね。私も紛争が怖かったので、旅行の日程から外しました。いまなら安心なようです。タイタニック号はベルファストで造船されたということで、それを記念するミュージアムがあるのも知りませんでした。















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