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誰かの言葉なんて気にしなくていいやと思った話。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



求められてもいないのに、偉そうに、アドバイスをする人がいて、そういう心無い言葉に傷つくことがありますね。

他人のクソバイスは当事者意識がないのですから、私は相手にしないことにしました。勝間和代さんもそう言っています。

他人の成功体験はその人がたまたま採用していた方法が偶然にその人が置かれている状況に合っていたからこそ得られたものであって、科学的に言えば、再現性は一切ないのですから、万人がその方法でうまくいくというのは非科学的です。そういうスピリチュアルというか宗教的というか、テキトーなアドバイスはクソバイスですよ。クソバイスをする人は、それがクソバイスだとは思っていないし、自分は相手のためになっているという満足感を覚えているだけです。自分自身を客観視できないアホの典型です。そのクソバイスは、自分の精神状態によっては、誹謗中傷にさえ感じることがあります。彼らを絶滅させるのは困難なので、その人はクソバイスをしたがるアホなんだというふうに認識して、積極的に距離を置くことしか方法がありません。

もちろん、自分自身の視野が狭くなっている精神状態のときに、最適解を与えてくれる人もいるかも知れませんが、そういうケースは稀ですし、そんな答えはすでに自分の中にあるものです。でも、その答えのとおりにできないからこそ、悩んでいるだけです。

ちなみに、「悩み」に苛まれる時間というのは、答えの出ない問題についてあれこれと思索を巡らすことになるので無駄です。われわれはそんな悩みに時間を捨ててしまうのなら、答えの出る数学の問題でも解いたほうが時間を有効活用できます。

不登校に関しては、不登校を問題視する人がいるから、問題に思えるだけであって、学校というものはそもそも行かなくてもいいところだと思っています。中学校も行かなくても、卒業の資格はもらえるらしいので、独学でやれるなら、そのほうがいいと思います。通信講座もあるし、いまならYouTubeで無料の講座だっていくらでも見られます。私の中学校時代にそういう選択肢があったら、確実にそっちを選んでいたはずです。いまだに勉強は好きですが、中学校というシステムが嫌いでしたから。入学と同時に丸刈りにされ、同じ制服、同じ体操着、同じカバンを買わされて、やりたくもない部活動に無理やり入らされ、すべての上級生にペコペコ挨拶しないと殴られるというわけのわからないシステムにはうんざりしました。日本国憲法の13条には「個人の尊重」が記されていますが、私が通った中学校では、完全に無視され、人権の蹂躙が行われていました。

いまはそんな中学校はないのかもしれませんが、そういう環境に馴染んだまま中年になった人たちがたくさん世の中にいます。敬語が使えないとか、挨拶もできないとか、いまどきの若者は常識がないとか言っている連中です。私も敬語がうまく使えないし、挨拶もできないす、常識がないし、他人に合わせることが苦手で空気はいっさい読まないので、今どきの若者の価値観に共感します。

「それって、あなたの主観でしょう」という名言は最強ですね。ひろゆき氏は、必ずしも主観が悪くて、客観的な情報しか相手にしないと言いたいのkぁもしれませんが、その言葉は多様性を尊重する言葉であるというふうも解釈できます。それはあなたの意見であって、私の意見とは違いますと言って、境界線を示し、私のテリトリーにずかずか入ってこないでくださいね。あナタのテリトリーも侵害しませんからという解釈も成り立つのです。世の中にはいろいんな価値観の人がいるので、そういう人たちも存在を否定せず、尊重するというのが日本国憲法に書かれた理想です。自民党は、その個人を人に書き換えようとしているらしく、個を集団にしようという古臭い価値観を国民に押し付けようと企んでいますが、あの等の人達は基本的に勉強してこなかった人が多いのでしょうね。学歴は立派でも、ただ有名な大学に行っただけで、個人として大切なことを学んでこなかったのでしょう。





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