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成瀬巳喜男監督『山の音』(昭和29年) [映画]

山の音 - Wikipedia

原作は川端康成。脚本は水木洋子。主演は山村聰、原節子、上原謙。

この作品は、息子の嫁に対する老人の愛の物語である。かつ、視点が重要なテーマになっている。原作とは、細かい点はもちろんのこと、結末も違うので注意。

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閑静な鎌倉の高台に、老夫婦と若夫婦が同居する家がある。一家は経済的には何の不自由もない生活を送っている。映画の冒頭にあるように、夕飯に伊勢海老やサザエを食べられるほど、裕福なのだ。

一家の主である尾形信吾(山村聡)は、息子の嫁の菊子(原節子)を実の娘以上に可愛がっている。それは、もしかしたら菊子の明るい表情や声の裏に隠された暗い部分に惹かれているからかもしれない。

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息子の修一(上原謙)は、父親の信吾が経営する銀行(会社?)に勤めている。修一は、献身的な嫁がいるにもかかわらず、よそに愛人を作って、帰りが遅くなることもしばしば。息子の不貞に老夫婦は深く心を痛めている。

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それでも、修一は菊子と夜の営みを求める。だが、夫の不倫に気づいている菊子は乗り気ではない。

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上原謙は、ご存知、加山雄三の父上である。

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『青い山脈』のヒロインを演じた杉葉子は、この作品では社長付きの美人秘書だ。

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修一の不倫相手は、この美人秘書ではなく、修一の愛人との知り合いという設定だ。修一の父親の信吾は、彼女を通じて息子の愛人の家を突き止める。しかし、本人との面会の覚悟が決まらず、後日ふたたび一人で訪れることにする。

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唐突だが、信吾の友人(十朱幸代の父、十朱久雄)が、共通の友人の形見として、子供の能面を買ってくれないかと職場に頼みにやってくる。能面は見る角度によってさまざまな表情を見せる。その魅力的な顔に惹かれた信吾は即座に購入を決める。このエピソードは、見る人(の視点や視野)によって、相手の印象が違って見えることを象徴するものだ。最後に、原節子がビスタ(Vista)という言葉を使って、映画が終わるのだが、そこにつながる一本の太い線を作っている。

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実の娘の房子(中北千枝子)が、夫の相原と仲違いして、子供を連れて鎌倉の家に戻ってくる。

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家族揃ってテーブルを囲むが、それぞれが目も合わさない様子から、仲の悪い若夫婦(修一と菊子)との対応に老夫婦は手を焼いているのが伝わってくる。

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信吾は、美人秘書の仲介で、修一の不倫相手と同居する女性との面会を果たす。その女性を演ずる丹阿弥谷津子は、初期の『釣りバカ日誌』の中で三國連太郎扮する鈴木建設代表取締役社長の妻を何度か演じている。その後、奈良岡朋子に代わったが。

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酔いつぶれて帰ってきた修一に健気につくす菊子。

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修一はなんの風の吹き回しか、「今日は東京に出ないか」と言って菊子を映画に誘う。菊子は「それどころではないの」と答え、そのシーンはカット。二人の論争は静かに省略されるのだ。東京の病院に行くという菊子を、信吾は病院まで送り届ける。一緒に玄関を出る二人はまるで夫婦にようだ。菊子はいつものような笑顔を浮かべるが、もはや観客には作り笑いにしか見えない。

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菊子はこのときすでに修一の子供を堕胎していたのだが、老夫婦はその事実に気づいていない。

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新聞の投稿に、老夫婦の遺書が掲載されているというので、老母(長岡輝子)はそれを読み聞かせる。老夫は菊子の前で軽口を叩くと、突然、菊子は理解不能な反応を見せる。

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その後、信吾は、菊子の堕胎を知り、彼女に堕胎をさせたことを修一に難詰する。しかし、修一は、菊子自身が望んだことだと反論する。

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堕胎をした後だとは知らない老母は、出戻りの娘房子の赤ん坊を、菊子に預け、子守させている。このシーンのみを見れば、穏やかな印象を受けるが、堕胎の事実を知っている観客には、あまりに残酷なシーンに思える。信吾は菊子に子守をすぐにやめさせ、体を休めるように命じる。

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菊子は、自分の部屋で誰かに手紙を書こうとしていたところに、信吾が入ってくる。信吾は菊子に堕胎をしなくてもよかったのではないかとやさしく語りかける。

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信吾は、修一の愛人である絹子のもとを訪れる。絹子を演じるのは角梨枝子だ。川島雄三監督、佐野周二出演の『とんかつ大将』(1952年)や渋谷実監督、井伏鱒二原作の『本日休診』(1952年)で、私には馴染みのある女優さんだ。

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絹子は、修一との間に子供が出来たという衝撃的な事実を信吾に伝える。修一は絹子に堕胎を暴力的に迫ったため、彼とは別れたというのだ。そして、子供は自分のお腹の中にいるのだから、私のものである。子供を産むか産まないかは自分の自由だと主張する。信吾は絹子に手切れ金を渡して、立ち去る。

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房子(中北千枝子)は、自分がうっかり煮すぎてしまったほうれん草を文句も言わずに黙々と食べたことを非難しない父を咎める。この非難には、思っていることをはっきり言うべきだという意味が込められているのだろう。だが、この映画の中の登場人物はみな一様に自分の思いを正直には語ることができないでいる。まさに日本的である。

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房子(中北千枝子)の夫である相原(金子信雄)は、修一の説得によって、どうやら房子とよりを戻すことができたようだ。

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しばらく実家に戻っていた菊子に信吾は新宿御苑(だと思われる公園)に来てくれと呼び出される。どこか吹っ切れたかのように見える表情を浮かべる菊子。その声は本当の菊子の声だと修一は言う。せせこましい東京のど真ん中に広々と広がる公園の中を二人は恋人であるかのように肩を並べて散歩する。

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信吾は、菊子が修一と別れる決意を固めたことを確信し、それを切り出すと、菊子の表情が突然崩れ、涙を流し始める。

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ラストシーンのセリフはこうである。

信吾「さあ、顔を拭きなさい。一緒に歩けないよ」
菊子「はい」
信吾(公園を見渡して)「のびのびするね」
菊子「ビスタに苦心してあって、奥行きが深く見えるんですって」
信吾「ビスタってなんだ」
菊子「見通しっていうんですって」

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川端の原作では、死が強いテーマになっているようだが、この映画では、視点や視野というものが影の主役になっているようだ。視点や視野を変えれば、ものの見方が変わる。非常に興味深いテーマである。

もちろん、ビスタというのは、映画に詳しい人ならピンとくるはずだが、ビスタビジョンのことだ。ビスタビジョンは1950年代にアメリカで開発された、アスペクト比1.66:1の横長の画面サイズのこと。この映画のような35mmフィルムより、視野が広く、奥行きが広い映像が撮れる。このセリフには、成瀬巳喜男の映画礼賛も込められているように思える。

これは成瀬が48歳か49歳のころの監督作品だが、いまの私と同年齢であることに驚く。ちなみに昭和29年は1954年だから、戦争が終わってからまだ9年しか経っていない時期だ。

こういう古い映画を見ると、自分たちがどこに立っているのかが、晴れ晴れとした視界の中でだんだんと見えてくるから実に楽しい。

余談だが、上に掲載した写真を見ると、どれも構図がピタリと決まって美しいのがわかる。



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