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クルマの修理動画を見ると、スッキリします [雑感・日記・趣味・カルチャー]

クルマの修理動画を見ていると、気持ちがスッキリとして落ち着きます。理由は単純です。修理動画の多くは、こうすれば直るとか、こうして直せたというものばかりだからです。動画内では、確実にクルマが直るんです。直そうと思えば、直せるのです。昨今の状況下では、そんな当たり前のことが当たり前に感じられなくなっています。だからこそ、車の修理動画を見ると、希望が持てるようになって、気持ちが落ち着くというわけです。

私は以前からクルマの修理動画を見て、古くなってしまった自分の車の不具合を自分で直し、それによって、まるで劣化した自分が修復されるかのような錯覚に癒やされてきました。私はクルマの修理だけが好きなのではなく、家の中の不具合を見つけてひとつひとつ潰していくことも好きです。家自体も直しますが、持っている家電やパソコンも自分で直します。自分で修理するという行為は、人に満足感を与えてくれるし、気分を明るくしてくれます。

修理もいいですが、習得も気持ちを明るくしてくれるものです。習得というのは、もちろん学びのことです。いままでできなかったことができるようになると、自分自身の進歩を感じます。人は何もしないでいると、どんどん劣化していきます。筋肉が落ちるように、能力も低くなっていきます。それを感じないようにするために、今まで自分が知らなかったことを知り、できなかったことをしてみるということが必要です。若い頃、私は英語以外の言語をいくつか同時並行で学ぶという遊びをしたこともあります。ざんねんながら、ほとんど身につきませんでしたが。いまは複数の楽器の演奏を楽しんでいます。ある程度演奏できるようになると、大きな進歩を感じられない日々が続きますがませんが、それでも確実に長期的な進歩は感じています。私の場合は、ふだん使う機会の少ない小指の付け根の筋肉痛が癒えると、進歩した気分になります。

この数ヶ月、急に「自粛ケーサツ」がうるさくなりだして、うんざりしています。実家に帰るな、旅行に行くな、海へ行くな、山へ行くな、飲みに行くな、外食もするな、買い物にも行くな、葬式も結婚式もするな、公園にも行くな、と何でも禁止、禁止です。咳をした程度でも周りから白い目で見られます。家では、乱暴な妻がドアを勢いよく閉めたり、ガチャガチャと大きな音を立てて食器を食器棚にしまう音に怯えて暮らしています。その攻撃の刃がいつ私に向かってくるとも限りません。そんな内憂外患に苦しめられているのは私一人ではないでしょうけど、少なくとも、そういうつまらないことがいちいちストレスにならないように、我々は精一杯努力をする必要があると思います。

「ソーシャルディスタンス」という言葉の認知度が日本では100%近くまで高まっていると思います。私はこのブログでも昔からコメント欄を閉ざし、ソーシャルディスタンシングという概念を知る前から、他人との距離を取っています。それは他人から不必要な影響を受けないためです。影響には、受けるべき影響と受けてはいけない影響があるのです。こういうネット空間では、受けてはいけない影響の量のほうが多く、自分自身の日常生活を不自由にする材料になってしまうというのが、経験上わかっているので、私は他者を避けている次第です。

しかし、そうやって、不愉快なコンタクトを避けていても、このコロナ禍では、人の心を病ませるような無神経な情報が毎分毎分飛び込んできます。もはや避けようがありません。こういう状況では、あらゆるものに対して無神経になる訓練が必要なのかもしれません。

世の中には、変わり者も多いので、逆に、自分を苦しめるような不快な情報を探し求めて、テレビやネットニュースを見るような中毒患者もいるかもしれません。悪い情報を聞くと安心するというような変なやつもきっといるはずです。その状況を見て、他人を攻撃し、自己満足を得、自分の能力の高さを誇示するという不愉快な輩です。「自粛ケーサツ」(ホリエモンの言葉だと「自粛厨」とか「ゼロリスク厨」)もその仲間ですし、ホリエモンみたいなやつもその仲間です。

彼らを一掃する方法はないものでしょうか。おそらく、人類はいまだそんな愚かさから脱却できていないと思いますので、そんな愚者たちから距離を置くために、私はそういう情報をできるだけ遠ざけることにしました。