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【ミニマリスト】前向きな逃避。となりの脅迫者を断つ。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



やまぐちせいこさんはスーザン・フォワードさんの著書の紹介をされています。身近な脅迫者からいかに逃れ、自由意志で行動できるようになるかが大切だというお話です。身近な脅迫者は、相手にFear(恐怖)、Obligation(義務感)、Guilty(罪悪感)を与え、自分の言いなりにさせようとします。スーザン・フォワードさんはこの頭文字をつないでFOG(霧)と読んでいます。霧のように相手の視界を曇らせる操作をするわけです。

個人レベルでもそのような脅迫者はいますが、もっと恐ろしいのはマスメディアです。ワイドショーを通じて垂れ流される情報にはこの要素が多分に含まれています。新型コロナウイルスに関連する報道はFOGの典型です。ウイルスの恐怖や不安を煽り、法的根拠のない「自粛」という義務を課し、それを守らない人に罪悪感を植え付け、守らなかった人を取り締まる「自粛ケーサツ」という愚か者の犯罪行為を見せて、彼らへの恐怖や不安を大衆に植え付けるのです。戦争中も同じことがなされたことは子供でも知っているでしょう。

マスコミは大衆への情報提供をすることで、広告費を稼ぎ、生計を立てています。彼らにはスポンサーがいるのですから、スポンサーに都合のよい情報しか流さないのは当然です。その情報は当然バイアスのかかったものです。これを使えば生活が便利になりますよ。いま流行しているこれを知らないと時代に乗り遅れて恥ずかしいですよ、これを買いなさい、ここに行きなさい、さもないと時間の無駄になりますよ、うんぬんかんぬん。

大衆としてはそういう情報を得れば得るほど視界が曇り、自分の頭(直感や経験)を使わなくなって、騙されやすくなる危険性が高まります。そうならないうようにするためには、学問があるのです。学問は我々の視野を明るく明晰なものにしてくれます。

学問や学識と「情報」とは根本的に違います。学問や学識は、物事をどのように分析・分類し、どう活用していけばよいのかを考える土台を作ってくれるものです。情報は、informationという英語からも分かる通り、自分たちが置かれている状況を形(form)にするという戦争用語です。敵の軍隊がどのような配置にあるのか、それに対抗するためには自分たちの軍隊はどのようにすればいいのかを可視化したものが情報です。学問や学識が土台であるならば、情報は上っ面なんです。戦争自体の問題について考えるわけではなく、どうすれば勝てるかという問題だけしか見ないんですからね。

そういう上辺でしかない情報だけにこだわっていると大事なことをいつまでも身につけることができません。世の中で起きていることはこういうことで、専門家はこういうことを言っているというのが情報です。それを知ったからと言って、学問のない人は専門家の意見や指示を真に受けることしかできません。

それは機器を作る人と、マニュアルに従う人の違いです。マニュアルを理解できる能力があったところで、その人にはその機器を作る能力があるわけではありません。学問や学識は、機器自体を大本から作る能力を養うものです。我々に必要なのは、そっちであり、大学教育は、そちらに焦点を当てています。学生の多くは、どうすれば良い企業に就職できるかのマニュアルを教えてもらえる就職予備校のように思っているようですが、そういう学生は馬鹿そのものです。

話が大きくずれました(が、私はいつも意図的にずらしています。こういう文章は英文ではだめな文章の典型であることも知っています)。結論を述べますが、脅迫者は身近にたくさんいます。自分も脅迫者になっている可能性もあります。教師としては、これを知らないと恥をかくぞ、卒業できないぞ、就職できないぞ、ホームレスになるぞ、という無言の脅迫のメッセージを出しているかもしれません。なるべくそういうことにならないように、私は穏やかな対応をして、成績を甘くつけています。私が学生の責任者ではないと割り切っているわけです。親ではないんですからね。

また、話がずれますが、私の成績の付け方の基準は、私が店員さん(学生のこと)にあれ持ってきてくださいと言ったときに、「あれ」を持ってきてくれれば合格ということです。こっちも気に入ってくれるかもしれませんと、自分が望んでいなかった+αのものまで提案してくれたらさらに上の成績をつけるというだけです。そういう基準です。それが自然にできるかどうかは、学ぶという行為そのものがわかっている人です。しかし、残念ながら、それをマニュアルとしてやっている人のほうが多い気がします。

それにしても話がバラバラですね。