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「撤回する」ってなんだよ! 五輪開催は絶望的 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

昨日、森元総理の女性蔑視発言の釈明会見を最初から最後まで見ました。たまたまスマホで日テレ24をチェックしたら、ちょうど具合良く森会長が記者団の前に現れる場面でした。録画かと思ったら、生中継でした。最初のうちは、森会長は機嫌よく、記者たちの質問に答えていましたが、途中から、「だから、発言を撤回するといったわけですよ」と謝罪にもならないことを言い出し、キレ始めました。最後から2番目の質問で、記者から辞任すべきとはっきりと言われ、「そういう発言があったということで承っておきます。」と言って怒りを顕にし、「粗大ごみなら掃いてもらって結構だとのコメントを残し、粗大ごみよろしく舞台の袖に去っていったわけです。時系列的には違いますが、そんな印象です。

女性が会議にいると、競争意識が強いので、決まるものも決まらなくなるというような主旨の発言はラグビー協会に関するコメントであり、高橋尚子さんらのオリンピック・パラリンピックの組織委員会のことではないと言ったり、他人がそう言っていたのであって、私が言ったわけではないと露骨な責任転嫁もしていました。いずれにせよ、謝罪会見としては、火に油を注ぐようなものでした。

森元総理の女性蔑視発言は「日本は天皇を中心とした神の国である」などという戦前の「国体護持」の思想をいまだに引きずっている自民党の長老らしい発言です。自民党という政党が作った憲法改正草案には、天皇を国家元首とすると書かれています。明治時代に戻るというわけです。それが彼らにとっての「ふつうの国」なんだそうです。

天皇を国家元首とすることの意味はこうです。「日本民族」の父として国民は天皇を敬い、天皇の命令には絶対服従するという思想を浸透させておいて、自民党は裏で天皇を操り、絶対君主制を敷こうということです。これは私がハマっている陰謀論ではありません。自民党がこれまで歴史の教科書の書き換え、道徳の教科化などを通じて、民主主義を否定するきわめて危険な思想を国民に植え付けようとしてきたことは事実です。株式会社のようにスピーディーな国家運営が必要だというのは、民主主義を否定する行為なのです、宮沢元総理がかつて、テレビ番組に出演して、「いろいろご批判もありますが、日本は民主主義国家なので、物事はスムーズに決まらないものなんですよ」と答えていた様子を鮮明に記憶しています。正直に言って、自民党の総理が民主主義を正しく理解していることに私は驚きました。宮沢さん以降、そういうことを言う総理はただの一人もいません。これはどういわけなんでしょうか。

トップが決めたことには、異論を挟まず絶対に従うのが当たり前だ、という思想は民主主義を否定するものです。安倍元総理も何事も官邸主導のトップダウンでやってきました。現場の人間の考えは一顧だにせず、首相秘書官数名の意見だけで政策を決め(森元総理の密室政治と同じ!)、その案を議会に諮らず、閣議決定という形で実施していったのです。彼らのやっていることは民主主義を機能させないための合法的な手口です。

菅総理も官房長官時代に、記者たちの質問に対して厚かましい態度で対応しました。安倍の民主主義破壊工作を守るために説明責任を果たさないことに徹したのです。「批判には当たらない」「お答えを差し控えさせていただく」は国民との対話を拒否する言葉です。民主主義を破壊する行為です。そんな人間を民主主義国家のトップに据える事態は私には信じがたいことです。

いずれにせよ、森会長は、国体護持の民主主義否定派として、日本では正しく認知されているわけで、それ以降の自民党の首相はみな同じ血脈の中にいます。誰一人例外はいません。麻生なんかは完全に自分のことを殿様だと思っているくらいです。この国の政治は、江戸時代から何の進歩もしていないのです。

森会長の女性蔑視発言を受けて、海外のメディアや一般の人々から日本は猛批判を受けています。日本でもボランティアを辞退する人が出てきています。おそらく、東京五輪に参加することは、女性蔑視の思想を肯定することと同義と解釈され、それに反旗を翻す良心的なアスリートが参加を見送るケースがたくさん出てきそうです。内外、男女、オリパラの区別は問わず、五輪の主旨に反する、旧時代的な考えを持つ人々に対して抗議の声を上げる人の声が大きくなれば、反比例する形で、五輪を開催するにしても、縮小するしかなくなっていくはずです。そうなると、もはや国民体育大会(国体)のようなものに成り下がっていくと予想されます。「国体護持」派の本領発揮、面目躍如です。

このまだとオリンピックやパラリンピックに参加するアスリートは、意識が低い人というスティグマが貼り付けられそうです。森会長が辞任したところで汚名返上はなりませんし、すでにIOCはこの問題は片付いた、済んだことだと他人事のように言っています。そのそっけない対応も世界中の反発を食らうことになるでしょう。五輪開催はもはや絶望的です。コロナで開催できないということではなく、森会長が自ら潰したと歴史の教科書には書かれることになるのでしょう。

森会長は、謝罪会見で「撤回する」というフレーズを使いました。政治家がよく使う「撤回する」という言葉は、謝罪の意味があるようには思えません。辞書にも謝罪することという意味は記載されていません。発言というものは撤回できないと思います。撤回という言葉の使い方としては、「議案を撤回する」「判決を撤回する」「要求を撤回する」「処分を撤回する」などと言うように、自分が提案したプランAをやめにして、プランBを採用することだと思います。言ったけれど、言ってないことにしてくれ、というのは謝罪とは言いません。政治家は自分に都合の良いタイムマシーンを持っていると勘違いしているのではないでしょうかね。麻生太郎もよくそういう言い訳をして国民を黙らせてきましたが、私は「撤回」を受理しません。


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