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コロナと戦ってはいけない! [雑感・日記・趣味・カルチャー]

人類はコロナと戦ってはいけないと私は思っています。安倍元総理や菅総理は東京五輪を「コロナに打ち勝った証」として開催するという決意を表明していましたし、「これはコロナとの戦争だ!」と主張する人も多いです。しかしながら、ウイルスと戦って勝てると思うのは人類の傲慢さの表れであると思います。インフルエンザや風邪でさえ、我々人類はいまだに打ち勝つことができていません。ウイルスは戦っても勝てない相手であることさえ認識できない人類はあまりに愚かであると思います。

我々は災いに遭遇すると、どうしても狼狽して近視眼的になってしまいがちですが、そろそろ我に返って、神の目で自分たち自身の醜い姿を冷静に観察する必要があると思います。神の視点から鳥瞰すれば、SARSやらMARSやらエボラ出血熱やら鳥インフルエンザやら今回の新型コロナやら、そして原発事故にも当てはまりますが、犯してはいけない罪を人類が犯したことに対する、地球の怒り、地球が人類に対して与えた罰のように思えるはずです。その罰を我々は甘んじて受けなければいけません。悪いのは、地球やウイルスではなく、人類の方なのですから。新型コロナウイルスはもともと、人類が禁を犯したことから発生したものです。触れてはいけないもの(野生)に触れてしてしまったゆえに生まれたものです。これは「ガイア理論」と呼ばれるものです。その理論に従えば、地球は増えすぎた人類の数を減らし、地球に対する負担を軽減しようとしていると見ることができます。つまり、我々はウイルスと戦うことで、地球=自然と戦っているわけです。ユダヤ=キリスト教的一神教の世界観では、自然というのは人類がコントロールできるものと考えられていますが、その考え方が無謀であることくらい我々は百も承知であるはずです。改めて我々は一神教的世界観の限界を認識しなければいけません。

私も日本のコロナ対策に対して強烈な不満を抱いているのは事実です。しかし、一方で、我々は誰かを悪者に仕立て上げ、罵声を上げることで溜飲を下げることなく、本気で自分たちの傲慢さを反省するべきだとも思っています。そんなことを言うと、反発する人が大量に出てくることは目に見えています。そんな彼らに言いたいのは、あなたたちはこの地球で暮らす価値が本当にあるのか、もう一度振り返ってほしいということです。おそらく、地球の立場に立ってみたら、彼らにはそんな価値はないでしょう。もちろん、彼らだけではなく、私もあなたも地球にとっては無価値な存在なのです。どうでもいいゴミなのです。ゴミを生み出すゴミ人間はゴミとしてさっさと処分されるべきなのです。

ガイア理論を見つめ直してみて思うこと 成蹊大学学長 北川 浩

東京オリンピックへの妄執に取り憑かれた連中が、国民に早く忘れて欲しいこと | ハーバー・ビジネス・オンライン

まさに、インパール作戦です。以前から主張していますが、私が日本が「コロナに敗北した証」として、打ち上げ花火のように東京五輪を開催してほしいと思っています。そうすれば、傲慢な日本の人々は滅亡するのです。IOCのバッハ会長はそれを期待しているのでしょう。日本というライバルを潰すのです。

黒澤明監督の『七人の侍』の最後の志村喬のセリフのように、「また生き残ってしまったな」などと私が言えるかどうか定かではありませんが、もし五輪後も生きていたとしたら、そんなセリフをつぶやいてみたいと思っています。しかし、残念ながら、その前に、死ぬ確率のほうが高い気がしています。