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「幸福のUカーブ」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

中年でみじめさがピークに達する「幸福のUカーブ」とは? - GIGAZINE

47歳をすでに過ぎているオジサンの実感から言わせてもらえば、「幸福のUカーブ」というものの存在は確かにある気がします。ただ、47歳が不幸のどん底かどうかはわかりません。人それぞれだと思いますが、だいたいそのあたりであることは間違いないでしょう。その時期は、子供が親から離れていくこと、夫婦関係が冷えること、仕事に新鮮味、やりがいを感じなくなってくることなど重なる頃です。気がつくと、悩みを相談できる親しい友人もいないし、知らない人たちに混じって新しい友人を作るという気力もないし、むしろ、そのことがストレスの原因を増やすことになりかねないし、ということで、徐々に孤独感に苛まれ出すわけです。

「幸福のUカーブ」では、47歳をどん底として、その後は上昇モードになっていくそうです。黙っていてもおのずと回復していくのかもしれませんが、私の場合は、不幸な気分を乗り越えるために、自分がやりたかったことは何だったのかを考えることから始めました。他人とのコミュニケーションを盛んにするというのを好む人はそれでいいのでしょうが、私は学生に教えるという仕事なので、コミュニケーションはまったく不足していません。むしろ過剰なので、減らしたいくらいです。だから、コミュニケーションを増やすことは一切考えませんでした。むしろ、他人との接触する機会を減らし、自分の欲望を追求することを優先することにしました。

人は誰でもそうなのかもしれませんが、他の人間のために生きています。家族持ちであれば、家族を優先し、仕事では客や上司や経営者を優先することになります。国民としては国家に税金を払うために生きているようなものです。自分を楽しませることは二の次なのです。私も結婚し、子供が生まれてからずっと、自分のことより、家族や仕事を優先し、自分を置き去りにしてきました。ふと気がつくと、「自分は何のために生きているんだろうか」と沈思黙考するようになりました。そこで自分を楽しませることを最優先の課題にする決意を固めたわけです。

これは経済的な事情によって余儀なくされたことですが、まずやり始めたのは、愛車の整備・修理です。壊れたものを修理することでまるで自分自身が身体的にも精神的にも健康になっていくように感じるのが不思議です。年齢を重ねるにつれて、人はみな劣化します。劣化しない人はいません。私は以前はマラソン大会にも出場するくらいランニングに勤しんでいましたが、膝を悪くして走れなくなりました。そうなったのは加齢の問題もあるのでしょう。実際のところ、自分の身の回りのものを修理しても、自分自身の劣化を食い止められるわけではありませんが、そうすることで、自分が復活したかのように錯覚できるのです。それが快感となりました。

次に選んだのは、楽器です。私は大学生の頃にエレキギターを購入し、一度挫折しています。以来、25年以上、楽器に触れることはありませんでした。しかし、東日本大震災のあと、震災のショックから回復するためだったのかどうか覚えていませんが、ふと思い立ってウクレレを購入しました。3000円台の激安品でした。しかし、また、それも挫折しました。それから6年後、YouTubeにウクレレのチュートリアル動画がたくさんアップロードされるようになり、それを見ているうちに、私も弾きたいと感じるようになりました。それがきっかけで、いまではウクレレはもとより、ギター、三線、ピアノ、バイオリンを弾くようになりました。いずれ近いうちに若い頃からの憧れの対象だったチェロも弾けるようになりたいと思っています。

ここでは書きませんが、もちろん仕事上の目標も持っています。ただ、人は仕事の目標は持っていても、個人としての目標を持っていない人のほうが多い気がします。その状態が続くと、「幸福のUカーブ」のどん底に達した時点で、人生が終わってしまうかもしれません。幸福な生活を維持するためには、他人のことばかり考えず、プライベートな目標を持つことが重要だと思います。