SSブログ

「東京五輪に興味はない」若者たちが"政治の暴走"を感じるワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「東京五輪に興味はない」若者たちが"政治の暴走"を感じるワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

私もそうですが、スポーツを見ることにはまったく興味がありません。原田曜平は何事においても高齢者と若者のギャップを広げ、年寄りはスポーツ観戦に興味があって、若者は興味がないという方向に持っていきたがるので、アホらしくて読みたくありません。

私は子供の頃から自分一人でスポーツをするのは好きでしたが、集団競技は大嫌いでした。運動が得意な人というのは、えてして、他人の失敗に厳しく、試合に負けると、自分のせいではなく、すべて自分より弱いチームメイトのせいだとしたがる傾向があまりに高いという真実に、子供のときに気づいてしまったからです。たいていスポーツ好きの人間は悪い奴が多いです。競争主義のデメリットを疑わない人が多いのです。私の偏見かもしれませんが、いまだにそれを真実だと思っています。

体育の授業もスポーツ嫌いを増やす原因になっています。日本の学校における「体育」の授業は、その科目名からも分かる通り、楽しむことを度外視しています。体を育てることが目的なのです。何のために育てるのか、あまりにも明らかです。体の大きな外国人と戦える兵士を育てるためです。その影響が強いため、日本では、スポーツは楽しむものではなく、辛いことに耐えることを通して精神と身体を鍛えるのだという偏見で凝り固まっているのです。私は子供の頃から「体育」が一番キライな科目でした。

私は40代を前にして、マラソンにハマりました。あのころは体を動かすことが楽しくて仕方がありませんでした。スポーツを自分のペースで純粋に楽しむことができたからです。他人と競い合うなんてこともしないし、誰かに不当に非難され、ストレスをためるということもなかったからです。意地の悪い人間に接する機会はありませんでした。(子供の付き合いで少林寺拳法もやっていましたが、あれはけっこう辛かったです。)

話を戻しますが、五輪には私もまったく興味がありません。その原因は、スポーツ嫌いを増やし続けている体育の授業にあるのではないでしょうか。体育の授業はろくなものではありません。どうすれば上手になるのか、どうすれば速く長く走れるようになるのか、という科学とは無縁な世界です。日本の体育の授業は大きく「学問」の領域から外れているのです。家庭科の授業は科学と結びついています。体育だけが違います。何もかもデタラメなのです。