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カントの哲学 [資格・学び]



カントは学問(哲学・科学)の範囲を限定することで、その後の学問に画期的な革命を起こしました。人間は五感を通して入ってきた情報を元に考えるのであるから、人間が学問する範疇はそこに留め、それ以外の死後の世界などという超次元のことは考える必要がない、考えてもわかるわけがないことを考えるのは時間の無駄だとカントは唱えました。人間がわかる範囲には限度があるという考えはなるほど画期的です。これによって、カント以降、学校で扱う領域は、人間の五感で確かめられる部分に限定されたわけです。カントはその上で、学問で扱う範囲の中に「意思」の範疇を定め、それについて考察を加えましたが、その部分は影響力はなかったそうです。みんながこの世界をヤバくすると思うことはするな、という倫理は、たしかに魅力的ではありません。

人間には限界があるという思想は、私には、ユダヤ=キリスト教的な一神教的な発想に思われます。かつてユダヤ=キリスト教的世界観に生きる人達は、神が自分たちにこのように考えさせていると捉えていました。昔の文献を読むと、MethinksやMeseemsという単語が出てきますが、それはIt me thinks / It me seemsの意味です。フランス語文法が分かる人には理解できるはずです。いまはIt seemsの形に変化して残っています。ちょっと前のできの悪い翻訳ソフトは日本語の主語のない「思う」をIt thinksと訳していましたが、あれを思い起こさせます。この場合のItは明らかに神のことです。神が私に考えさせるということです。それが人間中心主義の時代に入り、I thinkに変化したのです。

人間が自分で考えるだなんて、個人的には傲慢極まりないと思います。数十年前、『利己的な遺伝子』なる本がベストセラーになりましたが、あれは人間中心主義以前の古典主義に戻ってこの世界を捉え直してみようという古典主義的な発想だったのだと思います。私はそっちのほうが正しい気がしています。まるで自分で考えているかのような発想はただの錯覚かもしれません。




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