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「リベンジ消費」って何? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

コロナ禍明けには「リベンジ消費」が始まるなどと言われて久しいですが、いつ始まるのでしょうか。そもそも「コロナ禍」自体いつ終わるのかわかりません。一説によると、このあと数年は続くらしいです。だとしたら、「リベンジ消費」は延期され続けることになります。本題に入りますが、「リベンジ消費」という言葉は、実のところ、私には定義がよくわかりません。それについて考えてみたいと思います。

リベンジは復讐ですから、おそらくコロナ禍で外出したり、旅行で消費することができなかった人たちが、たまっていたうっぷんを晴らすために消費をするという意味なのでしょう。そういう消費によってお金を稼ぎたいという企業体がマスコミにさかんに使わせている言葉に違いありません。

そうこうするうちに、彼らの目論見は見事に外れて、円安と物価高に襲われ、遊興費で無駄にお金を使うという心理に水を差してしまいました。むしろ、これまでの消費を見直し、節約志向を強める動きが感じられます。

ここまで「リベンジ消費」という言葉を、マスコミが伝える意味で使ってきましたが、よく考えてみればわかりますが、もう一つの解釈が成り立ちます。マスコミは、コロナ禍に対するリベンジ(復讐)としての消費という意味で使っていますが、逆に、消費に対するリベンジという意味でも解釈可能です。これまで資本家がマスコミを通じて洗脳してきた消費脳的思考を見直して、むだな消費を一切しない、むしろ所有物を減らし、ものを捨てることでお金を稼ぐという方向に進んでいることは確かです。そのような思考はマスコミの目論見の反対を向いています。

私は「捨てる」系のYouTube動画を見ていると不思議なカタルシスを味わえます。私の中にその消費に対する復讐心がふつふつと湧いていることの証拠に違いありません。マスコミの洗脳から解かれたいという気持ちの表れなのでしょう。消費に対するリベンジは、ミニマリズム、断捨離ブームとなっていると考えると、話が恐ろしくわかりやすくなります。

とにかく、もういらないんです。いろんなものを手放したいんです。「超高齢社会」というのは、衰退と同時に成熟を果たした社会ですから、子供のようにお金を無駄遣いして楽しいという感覚を卒業した人たちの社会です。いまだに企業は我々を躍らそうとしていますが、もう体力がないので、踊りたくても踊れません。資本家はいまだにそこに気づいていないのです。アホですね。

今日はITパスポートの試験に行って来ます。改めて感じているのですが、私が欲しいものは物理的なものではなく、抽象的な何かだということです。資格を取りまくっているのは、その抽象的な何かを得ようとしているからです。それが何なのかは、自分でもよくわかりません。少なくとも、それは誰かが欲しがっているものではなく、私が欲しいと思うものです。他人の欲望を欲望するような時代は確実に終わりました。他人が欲しがっていないものであっても、自分が欲しいものを手に入れようとしているときにアドレナリンが出ることがわかりました。物を買うだけではそんな気分にはなれません。資本家が消費者に与えるものは、私には満足度が低すぎるのです。そんなもの欲しくもないし、手に入れても楽しくないのですよ。




こういう動画は、これまでテレビでは流さなかったものです。流したとしても、片付けられない人は困ったものだという印象を与えたり、ネガティヴなイメージを付与して、解決しなければいけないなどという常套句で締めるのが普通でした。彼らは自分たちの認知が歪んでいることに気づいていないのです。これが日本の普通の状態だということに目をつぶっているのです。この動画の方は新築の戸建てを購入して、一生払えないような住宅ローンを組んで、貧しい生活をせず、なんとかやりくりできるような現実的なローンで買える物件を探して、この残置物だらけの空き家に行きついたのでしょう。その片付けを通して、この家に対する愛着が増していくんだと思います。きっとそういう感覚は大企業がマスコミを通して与えようとするものからは得られないものだと思います。



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