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相対主義を仏教の視点で語る【価値観は人それぞれ】 [雑感・日記・趣味・カルチャー]




考え方や価値観は人それぞれで、それはそれでいいという相対主義が蔓延し、常識になっているけれども、親鸞聖人は「仏(ぶつ)からいただく他力の信心だけはただひとつ。それを獲得すれば、みな同じように喜びに満ちた世界で生きられる」と言っておられる(その言葉自体は法然上人のもの)。究極的には価値観も考え方も統一されるというのが浄土真宗の教え。

とはいうものの、人類の考え方はどこまで行っても整合性が取れません。それは視野狭窄に起因しています。視野を広く持たなければ、人類は愚かしい戦争の歴史に終止符を打てないのは想像にかたくありません。

話が少し変わりますが、私がいつも気になるのは、ブッダの教えを広める人たちが多神教的な価値観を受け入れ、「神」の存在を当然のものとしているところです。私の考えではブッダはキリストみたいな哲学者です。ブッダ自身を崇拝するのではなく、その教えを体得する努力をするのが仏教徒であるはずです。

「神」という名前は直接出てこないのですが、浄土真宗が阿弥陀仏を本尊としていること自体、神仏習合的な考えから脱していないように思われます。一神教的な価値観になぞらえれば、阿弥陀仏が神やキリストなのです。キリスト教では、その厳格な一神教の考え方を理解できず、キリスト教を布教する者たちは人間としてのイエスやその母親までをも崇拝し、多神教的な価値に立脚してしまったというのと似ています。そのような偶像、すなわち他力にすがることを正義とすることに私は強い抵抗を覚えます。

この考え方を誤って捉えると、ありもしない超越的な存在を信じ、敬うことで、自分が救われたような気持ちになること自体を他力本願と考えてしまう罠が待っているように思われます。さらには、カリスマの崇拝によって自己満足に陥ることもあるかもしれません。

仏教はそろそろ一度きちんと総括しないと、このままではカトリックがプロテスタントに否定されたのと同じ歴史的過程を踏んでいく気がします。






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