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『紅蓮華 』GURENGE - Demon Slayer: Kimetsu No Yaiba OP Violin | Luna Lorrain [音楽・楽器]



これは無理。



このバージョンなら速度を落とせば弾けるでしょう。


それはさておき、先日ウェブの記事で読んだのですが、ある占い師によると、占いの世界には「占い文法」なるものがあって、だいたいそれに沿って書くことになっているそうで、占いの言葉の具体的な側面にはほとんど意味がないとのこと。

彼女の告白を読んで、昔、ある男性の人気占い師がFMラジオで同じことを言っていたことを思い出しました。たとえば、星座の名前を手で隠しておいて、そこに書かれている文章を12星座分すべて読んでいき、自分の星座について言っていそうなものを選ぶという実験をしてみると、どれもこれも自分に当てはまるような気がするそうです。血液型占いでも同じです。これはいわゆる「バーナム効果」とか「フォアラー効果」とか言うものです。心理学のクラスを受講した人なら誰でも知っている現象です。

その占い師がなぜ占いをし続けるのかと言うと、実は、「何もかもあなたのせいばかりではないのですよ」ということを伝え、傷ついている人々を癒やしたいのだそうです。

無責任社会の伝統のある日本では(昭和天皇は戦争責任を取りませんでしたね!)、誰もが責任を取らず、他人のせいにし続けてきました。近頃盛んに用いられる「自己責任」も、肯定的な意味ではなく、否定的な文脈の中で使われています。「お前が不幸なのはお前が努力をしなかったせいであり、お前とは他人の関係にある俺(あるいは政府は)はまったく悪くないし、俺はお前を助けてやる義務はない」という文脈です。こんなふうに「自己責任」という言葉は、自分の責任を回避するために多用されているのです。本来は、自分の言動を自分の責任として積極的に引き受けることを称揚する思想がなければいけないのですが、残念ながら、いまは逆になっています。

無責任と同義の意味で使われる「自己責任」という言葉に苦しまされている人たちを救うためには、すべてを、自分と利害関係のある人ではなく、星回りのせいにしてしまうことが最善だと、その心優しい占い師は考えているようなのです。なるほどと思いました。

確かに、世の中には、そういう装置がたくさん存在します。そのような装置がなかったら、苦しすぎて生きていられないかもしれません。それらの中には、神社や寺院も存在します。なにもかもを神や仏のせい(おかげ)にしてしまえば、自分が所属するコミュニティーの誰かを傷つけたり、争いを拡大することもありません。実は、為政者はその機能を悪用して、民衆の怒りの矛先をかわしてきたわけです。

自分の人生が苦しいものであるのは、もちろん、他人の責任ばかりではありません。しかし、かといって、すべて自分のせいばかりでもありません。いろんなことが輻輳的に重なり合って、この状態になっているわけです。仏教というものは、そういうことを静かに受け入れていけるようになることを求めていますが、ただそれに甘んじるだけであるのも、虚しさが募るだけでしょう。人生・生命(Life)というものは、実に複雑ですね。



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