【2022年 No.7】第二種電気工事士技能試験 フル解説版 2022年候補問題対応 [電気工事士]
自己成長よりもはるかに重要なもの【精神科医・樺沢紫苑】 [雑感・日記・趣味・カルチャー]
「成長」と言うと縦に伸びる感じがしますが、横に延びる方向もあると思います。自己啓発本が読者に強いる「自己成長」には私は嫌悪感を抱いていますが、横に広がれと言われたら、素直に言うことを聞きそうです。
その横に広がる感じを、樺沢先生は「毎日を楽しむ」と呼んでいます。いままでできなかったことができるようになる、やろうと思っていたことを1つで多く片付けるというようことがコンフォートゾーンから出ていくことであり、それが「自己成長」だと樺沢先生はおっしゃっています。
その意味の自己成長が苦しいのであれば、やり方が間違っている。自己成長はドーパミンが出て、楽しい気持ちになるはず。それがないなら、自己成長はしていない。たしかにそうなんでしょう。私も苦しいことに耐えるというのは、100%無意味だと思っています。苦しみを克服することがそんなに偉いことだとは思えません。自己満足にすぎないと思います。苦しみに耐えないと自己成長ができないと思い込んでいる人に対しては、私なら「そんなに苦しいなら、やめたら? きっとあなたには才能がないんだと思う。楽しめることこそが才能ですよ。そんなに辛いのなら、あなたには適性がないので、いくらがんばって成長しませんよ」と突き放すでしょうね。現に、そういうことをよく授業中に言っています。
誰も知らないレア情報を信奉することの末路 [資格・学び]
ネットでも新聞でもテレビでも、「研究によると、〇〇が発見された」と日々、新事実が報道されます。たいていの情報は無意味だと思ったほうがいいです。唯一信じてよいのは小中高の教科書に書かれたものだけです。
新事実が大好きな人たちが一部にいます。いままでの常識を覆すことが素晴らしいことであると思い込んでいる人たちです。彼らは新聞やテレビという旧メディアが報じていないからこそ、新しいメディアのインターネットの情報が信じられる思い込むようです。数万年単位で見たら、インターネットもテレビもともに歴史はあまりに浅いんですけどね。
コロナ禍で陰謀論にハマった人たちの特徴は一様に旧メディアは信じられない、だからこそ、SNSのような新メディアが信じられるのだ、と捉えます。少し考えればわかることですが、妙な論理です。健康的な発想の人間なら、どっちも同様に信じられるところもあるし、信じられないこともある、というものになるはずです。馬鹿でもわかることが、わからないくらい、陰謀論者はわからないのです。馬鹿すぎて。
かりに私が何かの研究をネット上で発表したとします。それは私だけしか主張していないことで、世の中の常識を覆すものだとします。だからこそ信じられると思うのはよほど頭の悪い人でしょう。その結果(主張、解釈)に至った研究方法やデータ、データの取得方法などはどうだったのか、またその分野に関する一般的な考え方はどうなのか、など全体像を把握してからではないと、素人には成否の判断がつきかねます。
一気にネット情報を鵜呑みにするような人は、ネットリテラシーどころか、リテラシーそのものがないのでしょう。まともに文章も読めないのでしょう。そういう人は、悪い奴らにコントロールされ、ころりと騙されて、効果のない薬などを買わされたり、新型コロナワクチンを打つと死ぬとか、妙なことを言い出し、結局のところ自ら感染して死んでしまうのです。そういう人はたくさんいたようです。本当に人間は学習しないですね。
人間が文字を使ってコミュニケーションをするようになってからは、まだ数千年ですから、まだまだですよ。人類はいまだにアホな生物のままなのです。野生の動物より賢いと思い込んでいるから、質が悪いくらいです。
彼らのようにならないために必要なのは、「消費者側」のマインドを脱し、「生産者側」のマインドにつくような思考訓練です。どうすれば他人をコントロールできるのかと言う発想を意識すれば、相手はどうやって自分をコントロールしようとしているのかを複眼的に見ることができるようになり、結果、騙されるリスクが減少します。それがリテラシーです。大学で学んでいる中核になるものは、どの学問分野もそういうことです。それに大学在学中にも、卒業後も、働いている間も気づかないという人は、残念ながら大卒としては認められません。
上手な利他を趣味にしよう? [雑感・日記・趣味・カルチャー]
25年以上前ですが、私がインターネットを活用し始めた理由は、利他のためです。学識を外部に開くためでした。自分のアピールとしては利用しなかったせいで、こんな状態になっているわけですが、それでも、数年、ウェブサイト運営は続きました。
しかしながら、まったく見返りがないので、どんどん苦しくなってきて、途中でやめました。以来、自分自身の利益を優先することにしました。
自分の利益を優先しつつ、利他を趣味的に行うことが精神を健康に保つ秘訣だと思います。なにもかも他人に与えるだけでは、自分が不幸になるだけです。自分が不幸なら、この世界に不幸な人が一人増えてしまいます。その状態を許すことはできないという心優しい人に迷惑が掛かります。これこそが利他心に囚われた宮沢賢治的な発想の矛盾です。