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ChatGPTに人間を成熟させる能力があるのでしょうか [資格・学び]

「成績が悪い学生は、頭が悪いのではない」まじめで長時間努力する人ほど成績が伸びない決定的理由 「結果」は能力ではなく、やり方で決まる | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

「パレートの法則」を当てはめて、全体の2割しかない「重要なところ」をめざとく見つけられるような、効率の良い人が成績が良いというお話。野口悠紀雄先生は「重要なところ」の定義をしないまま、最後まで議論を続けています。

何が大切かというのは、個人的・主観的なものであり、価値観の違いによって大きく差が出ます。場合によっては、その人が置かれた環境によって大きく変わるのですから、大事なものとは何かという議論があってはじめてこの議論は筋が通るものであるはずです。

ただの新聞記事の中の大事なところは、最初数行に過ぎませんから、そんなものはバカでも見つけられます。小説はプロット以外は大事ではないと考える人は、プロット以外には着目する能力がありません。そういう態度こそが愚の骨頂であり、成長を阻害するものであるというのが文学者の思考です。ビジネス界では宗教のように信じられている「パレートの法則」ですが、私に言わせれば、ただのクソ理論です。頭の悪い人の宗教にすぎません。大事なことは、その他大事であるとは思えないような瑣末的な部分と勇気的につながっていることに気づけない人が「パレートの法則」を真に受けるのでしょう。愚かです。


教師はもういらないの?ChatGPTで学校と教育はどう変わる? - 通信制高校ナビ

はっきり言わせてもらいますが、小中高の99%の教師はいらないと思います。教員不足は、教師の給料を上げることで解消するのではなく、AIに代替させることで解消すべきです。

初等から中等教育までならばAIさえあれば十分です。高等教育でも大方は教員なしでもなんとかなるかもしれません。実際のところ、大学の語学教師の99%はゴミですから。英語のネイティブなんか特にゴミの中のゴミです。ネイティヴ・スピーカー気取りの日本人の語学教師もゴミ。真っ先にChatGPTに取って変わられるのが彼らです。英語が流暢に話せるだけが取り柄で、中身なんてゼロです。まともに本を読めない連中です。英語で英文法を説明して、TかFかの内容確認の問題をやって終わりです。あとは発音練習とリスニングの練習をしたり、仲間同士で自由に議論してくださいで済ませます。彼らも日本にとって不要な連中です。

教員はChatGPTにできるようなことはChatGPTにおまかせし、AIにはできないことをやるように思考を大転換しないと、完全に置いていかれます。教育者が集中すべきことは、人間の思考や感情そのものを取り扱うことです。それは「成熟」に関わるものです。それを理解している教員は私の周りには一人もいません。一方、ChatGPTに人間を成熟させる能力があるのでしょうか。どうみても、なさそうです。



今日の私は心が荒(すさ)んでいます。相当に荒(あ)れています。英語教育をしていると、どんどん自分がバカみたいに思えてきてしまうのです。英語なんかできるようになったところで、世界で活躍できるというのは大嘘です。あまりにバカすぎる日本人も薄々気づいているはずです。

「日本人はどうして英語ができないのか」という疑問を投げかける英会話学校のWEB広告を見るたびに、うんざりします。英語ができないことは、日本人の無能さを表していると言いたいのでしょうか。むしろ、私には英語を使わずに生活できたり、学術論文が書けるような日本語や日本人の優秀さを想起させる疑問文なのですが、世の中の日本人の99.9999%は日本の英語教育が悪いと解釈するのでしょう。そこが日本人の愚かさそのものだということにいまだに気づけないのですから、絶望的です。バカは死んでも治りません。というか、日本人はさっさと滅びた方がいいのです。

World likely to breach 1.5C climate threshold by 2027, scientists warn | Climate crisis | The Guardian

2027年には、産業革命以前と比べて地球の平均気温が1.5度上昇するとのこと。地球環境は壊滅的な影響を受けるのでしょうかね。イタリアでは大洪水が起きているそうです。こんなクソみたいな人類はさっさと滅びてしまった方が地球のためになるんでしょう。


サクラチェッカー

私が買おうと思っていた商品(断熱材)をためしにチェックしてみたら、かなり危険な商品であるようで、5段階評価で1.67でした。あぶない、あぶない。

今日は宅建の建築基準法の勉強をしました。あこ課長の動画は容積率まで見ました。このあたりの多くはFPで学習した部分ですから非常に覚えやすいです。







【地デジ録画BDもOK】1円も払わない!DVDやBlu-rayはパソコンで無料再生できる [コンピュータ・ネット・テレビ]



DVDもブルーレイももう使わないから、不要かな。うちではパソコンに繋げるプレーヤーも壊れたので、捨ててしまいました。

【よくわかる!】小屋の作り方【タイニーハウス】 [家・DIY・修理]



本当にわかりやすいです。小屋づくりの全体像がつかめました。私もいつか自分の手でタイニーハウスをこしらえてみたいです。


AIは怒らない。ADHDの人が暮らしやすくなるAIの使い方7選 | ライフハッカー・ジャパン

困り事があって誰かに相談したいと思った時、まずはChatGPTに相談してみるほうが、余計な人間関係で心にダメージを負わないかもしれません。機械は人間とは違って感情がありませんから、我々は相手を傷つけないように配慮してストレスを感じることはより少ないと思います。そういうわけで、このところ私は何でもChatGPTに質問するようにしていますが、返ってくる答えは不十分です。ChatGPTは専門家のような知識は持っていないので、まだまだ自分であれこれと調べないといけない状態は続きそうです。


Amazonが「AIを使ったスマートな採用」をやめた理由…その「意外な危うさ」に気づいていますか(古豆) | 群像 | 講談社(1/3)

AIはこれまでの知識の集積から何かしらのパターンを作って、そのパターンに合う回答をしてしまうので、これまでとは違うタイプの人間を採用したいという企業側の思惑に反して、AIは彼らを単純に排除してしまうことになります。アマゾンのケースでは、それが男女差別につながってしまったとのこと。私にもだんだんわかってきましたが、AIに人間の仕事が奪われるという言説には多分に嘘が混じっているようです。しかも、悪質なのは、資本家が労働者を搾取しやすい環境を整えるために、その嘘によって労働者に恐怖や不安を植え付けようとしていることです。この嘘を嘘であると決然と同定することをしなければ、我々はまた奴隷へと戻っていってします。私は、斎藤幸平さんのように「階級闘争」を経なければいけないという思想には与しませんが、不安を感じるべきものではないAIに対して根拠のない不安を感じている一般の労働者の精神状態はこのままだとかなり危うい気がします。悪い資本家に利用されないように、スキルではなく、知性のほうを磨く必要があると思います。


文章を書く際には「私」という単語をもっと使って一人称視点で書くべきだという主張 - GIGAZINE

確かに、論文は私もIを主語として使うこともありだと思います。論文は客観性を重んじる体で描かれるものであることはわかるのですが、個人的な見解にもかかわらず客観性を偽装することに対して、強烈な違和感を覚えることが多かったです。単独で論文を書いているのに、Author's weを使ったり、むだに受動態を使ったり、はたまた、ユダヤ・キリスト教の古典主義的伝統にしたがって無生物主語を使うなんて工夫を凝らすのは時代に合っていない気がします。「それってあなたの解釈(感想)でしょ?」と言われても、「当たり前だろうが、べらぼうめ。そのどこが悪いんだよ?」と返せるような状況の方が健全だと思います。個人主義の時代ですからね。

人間の寿命はどんどん短くなっている!? 「太古の昔は900歳」聖書の記述と“神のプログラム”の謎|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム

ユダヤ・キリスト教的には、人類の寿命は短くなっているというわけですよ。10分の1以下です。ひょっとすると「高齢化」なんて嘘かもしれません。

ネコを外に出してはいけない意外な理由 “驚異的な狩猟能力”が与える生態系への影響(どうぶつ奇想天外/WAKUWAKU) | TBS NEWS DIG

ネコを家の外に出すと、感染症の媒介者となって人間自身を死に至らしめるために、猫を家の中に閉じ込めるようになったのは20年から30年前からだと記憶しています。また生態系を破壊するというのも確かにそうなのかもしれません。ただ、生態系を破壊するのは人間なので、人間がなんでもコントロールすべきだし、人間は地球上の現象すべてをコントロールできると考えるのは傲慢だと個人的には思います。


次男が久しぶりに宅建の問題集を見ていました。まだ宅建業法ですから、始まったばかり。10月に試験があるので、まだまだですけど、運転免許も取りに行っているし、大学の授業(プログラミング言語のPythonを含む)もたいへんだし、TOEICなどの他の資格試験も受けたいし、ということで、少しは焦ってきたみたいです。五月病になる暇はないですね。

学生の中には、GW明けに急に来なくなってしまう者や精神状態がおかしくなってしまう者がいます。近頃では合理的配慮を求められることが多いのですが、合理的かどうかの判断は、誰がするのかという合理的な配慮がないまま進んでいるようです。現場の教員はかなり混乱しています。一回も授業に出ないのに単位を与えるという事例をつくってしまうと、単位制度そのものが不要になります。それならそれでいいのですが、大学側は無駄にテストをすることを求めてきます。テストなんか意味がないと個人的には思っているのですが、それでも、客観的な評価の指標が欲しいというわけです。誰かに苦情を言われないようにという保身からです。そんなものが教育だと思っていること自体、教育を放棄しているとしか思えません。大学も単位制度や、学生側の授業評価の制度なんて完全にやめてしまったほうがすっきりすると思います。


今朝、自動車税の納付を済ませ、合わせて滞納していた学会費も振り込んでおきました。痛い出費です。