SSブログ

忖度はできても、共感はできない人たち [資格・学び]

「AIには超えられない“共感力”を…」国語から文学が消えることの問題点|TOKYO MX+(プラス)

国語から文学を排除する理由は明らかです。官僚や政治家たちは、権力に「忖度」はできても、困っている人たちや弱者に共感ができない人たちです。彼らは、「騙されるやつが悪い」「貧乏は貧乏に甘んじろ」などと、誤った自己責任論を披瀝するような無能な人たちです。そんな無能な人たちの魂胆は、我々の社会を「他者に冷淡な社会」に持っていこうとすることです。共感ができなかったり、自分の頭で考えられないアホな国民ばかりであれば、統治しやすいですからね。

文学の機能は、当然ですが、感情教育ばかりではありません。論理的思考力の育成にも役立っています。文学作品は、単なる「やま勘」では、分析・評価することはできません。証拠を集めて、正しく分析し、作品の価値を正当に評価することができる人間を養うのが文学の役目です。文科省の官僚は、その機能は実用的な文章を読むことで代替できるというのですが、それは嘘でしょう。彼らの目論見は、国民(子どもたち)に役に立たない(毒にも薬にもならない)実用的な文章ばかり読ませて、論理的思考力や批判力を育成することを妨げ、官僚が行使する権力に従順な人間を育てることでしかありません。英語教育から文学を排除し、一方で権力者に従順な人間を育てる「道徳」を強化し、成績を点数化するのも、その政策の一環です。

日本というのは、歪んだ論理を堂々と国民の代表である野党議員の前で披瀝する官僚たちによって気持ち悪い社会に変えられてきています。笑っちゃうほどヤバいです。