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内田樹──「あそび」のないシステムは脆弱です【GQ JAPAN連載特集:希望へ、伝言】(GQ JAPAN) - Yahoo!ニュース [雑感・日記・趣味・カルチャー]

内田樹──「あそび」のないシステムは脆弱です【GQ JAPAN連載特集:希望へ、伝言】(GQ JAPAN) - Yahoo!ニュース

「遊び」こそが文化です。遊びは余裕そのものです。(労働だけしていて)余裕がない社会は文化も滅びます。文化のない社会は、心の隙間を埋められない貧しい社会になるわけです。人々の心が荒(すさ)んでいけば、人は社会的な利益ではなく、自分の利益しか考えなくなります。他人のことを考えたり、共感・同情できる社会というのは、心にもお金にも余裕のある社会です。それがなくなれば、お金が回らなくなって、結果、経済が崩壊するのでしょう。「風が吹かなければ、桶屋が倒産する」って感じですかね。

「コスコロ」(ポストコロニアリズムではく、ポストコロナの方ですけど)時代は、他者(国家もね)を信じられなくなる時代ですから、当然ですが、他国も信じられず、結局、自給自足のライフスタイルが流行するのでしょう。

この状況を受けて、近年の経済学の考え方の見直しが始まるかもしれません。経済学の常識の一つに「比較優位」があります。全部自分でやってしまうのは効率が悪いし、生産性が低いので、その作業が得意な人に仕事を任せるというやつです。家事が得意な妻に、家事の全てを任せて、夫は外に仕事に行くというあれですね。これからはそういう考え方のほうがバカにされる時代になるに違いありません。ジェンダーフリーの時代ですしね。

自分が得意ではないものは、得意な人に任せるというアウトソーシングの考え方は、他者との信頼関係を前提にしています。しかし、コロナによってその信頼関係が完全に崩壊したのですから、何でもアウトソーシングするのは、逆に生産性が低くなる可能性が高くなります。江戸時代のような半鎖国状態に戻るしか、もはやポスコロ時代をサヴァイヴすることはできないと思います。

モノが必要なときに必要な分だけ作るという効率性優先のトヨタの「かんばん方式」は、もしかしたら、どこかの誰かに(信頼という依存を前提に)犠牲を強いていたのかもしれません。やはり、ある程度在庫を抱えておくという無駄がないと、何かあったときに対応できないわけです。クルマなんかだったらどうでもいいかもしれませんが、食料であったり、感染症予防のマスクであったりしたら、命に関わります。そういうところに目配りをしてこなかったような効率優先の、遊びのない社会から先に滅んでいくのでしょう。

その意味では、日本なんか、真っ先に滅びますね。「選択と集中」とか、いまだに時代遅れの考え方を振り回しているアホみたいな経営者が圧倒的多数ですからね。

我々はもっと遊んで見聞を広め、教養を深めて、政治や文化についての無駄話しないと、ますます、経済が悪化していくと思います。

話が急に飛びます。「芸能人は芸能の専門家で、政治の専門家ではないんだから、黙ってろ!」というバカが一定数いて、呆れます。「だったら、おまえら、教育の専門家ではないんだから、学校教育に関して一切口出しするな。インターネットの専門家でもないんだから、ネットもするな。高校野球の専門家ではないんだから、高校野球についてもコメントを控えろ。芸能の専門家もないんだから、芸能人について一切コメントするな。お前らだって政治の専門家ではないんだから、選挙にも行くな。奴隷にでもなってろ、バカ!」と言い返したいですね。自分の中のダブルスタンダードに気づけないほどのバカは再教育が必要です。

我々の民主主義社会の教育は、自分の専門でもないことでも考えを言えるようになることですから、それを放棄するということは、我々の社会に否定することです。そういう奴らはまさに「反社(反社会的存在)」です。われわれの社会に、彼らのような「脳無し」を再び包摂するのであれば、彼らへの再教育が必要です。


「国立大学法人化は失敗だった」 有馬朗人元東大総長・文相の悔恨:日経ビジネス電子版

失敗どころか、大失敗ですね。日本の経済的没落は、そこから始まったと言っても過言ではありません。研究者が研究できない、研究者を育てない、研究者に研究ではなく、研究資金の競争に明け暮れさせるようなシステムを作ったのは、競争原理で活性化させることができると信じた新自由主義者に洗脳された阿呆な小泉純一郎元首相です。彼もまた安倍同様に万死に値するんです。