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サクラチェッカーは信頼できるのか? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

サクラチェッカーはあてにならない?信頼度・信憑性を適切に判断しAmazonで失敗しない買い物術 - OOTORI BLOG

信憑性はあるの?サクラチェッカーの精度を検証!3つの疑問点も解説。 | ガジェパ

私はサクラチェッカーが登場したときにしばらく使っていたのですが、当てにならないので使うのをやめていました。ところが、アマゾンでおかしなものをつかまされることが増えてきたので、また使い出しています。

サクラチェッカーは必ずしも当てにならないことはわかるのですが、買ってはいけない商品を特定するための一定の目安にはなるし、宣伝文句に騙されて迂闊にポチらないようにするために役に立っています。どういう仕組みでサクラレビューを特定しているのかわかりませんが、サクラチェッカーを作成したご本人もFAQを作成し、仕組みについて解説したり、批判に対する弁解を書いているので、ある程度は信じられるというのがちょうど良い落とし所かもしれません。とはいえ、サクラレビューを完全には信じることなく、危険判定が出た商品を買いました。実際は、まともな商品でした。


「馬鹿が俺らの嘘を本気にしている」…フェイクニュース製造村に潜入! 極貧地域、クラスの4割が毎日5本執筆の実態 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい

ここまでフェイクニュースが多くなると、世の中オオカミ少年だらけという意識が強くなり、私は大手のニュースサイトすら訪問しなくなりました。昨日の朝、発令されたJアラートも信じませんでした。またもや政府が煽っていると思い、ガン無視。実際、今回も私が正解でした。フェイクニュースは、民間のグループの商材となるだけではなく、政府のお金儲けの道具にもなっているのは事実です。国が発表するニュースもほぼ信用できない時代です。


ChatGPTはリベラルに偏りやすい…AI依存の進んだ社会は「大衆を軽視した知識人の独裁社会」になっていく 独裁者的なAIによって社会が管理される恐れ | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

私も同じことをすでに学生に伝えてあります。こと環境問題に関しては、ChatGPTは白人の環境保護論者が言っていることをそのままなぞっているだけで、言っている内容には新鮮味はないし、新たな視点を与えてくれるわけでもありません。リベラルな人には相性がいいのでしょうけど、そうではない人たちにとっては単なる洗脳装置にしか見えないのでしょう。私は中立的な立場なので、ChatGPTの限界と危険を認識しています。

500年後に大悪人となったコロンブス 【奴隷貿易の生みの親、原住民を大量虐殺】 - 草の実堂

アメリカ大陸は、白人による大虐殺の上に成り立っている国がひしめいています。ところが、そこの住んでいる人たちの多くは、こういう歴史認識を踏まえていません。連中の多くはキリスト教徒ですから、自分たちが、文明化されていない人たちに正しい教育を施していると信じています。世界中の人たちが英語を話せるようになることが正義だと思っているのは、そういう思想を背景にしています。その上に、ビジネスが乗るわけです。英語が通じれば、自分たちは語学習得に使う時間を他のことに使えるし、しかも母語である自分たちが優位に立てるというわけです。

これが英語による植民地主義です。結果、日本には子供に幼少期から英語を学ばせるバカ親が増えてしまったわけです。そんなことをしても、バカはバカのままです。英語ができれば「グローバルに活躍できる」ということの根拠がないことにすら気づけないのですから、私に言わせれば、彼らはただの奴隷ですよ。英語に使われるだけの奴隷です。我々は英語を奴隷にしないといけません。



水曜日の授業で、「英語なんて文法ができなくても通じればいいんだ」などと言って、一人上から目線で私をバカにしているような態度が見られる学生がいるのですが、私が難易度の高い英語のディクテーションをやらせたら、自分自身の不勉強ぶりを正しく認識し、すっかり心を入れ替えて、急に私に尊敬の眼差しを向けるようになりました。その変貌ぶりには驚きました。久しぶりに学生が成長する瞬間を目の当たりした感があります。そういう学生は一気に成長するんですよね。私がそうでしたから、わかります。

授業でストレスを感じさせる学生および受講生はあと2人ほどいます。私より年上のオジサンです。授業が進むにつれて私の凄さを認識してくれることを期待します。自画自賛ですが、実は私は凄いのです。何が凄いかって言われても、凄いとしか言いようがありません。そんなことを言っても、ブログには私の授業を再現することはないので、私の言葉なんて誰も信用しないでしょうけどね。

今年は、私に親近感を抱き、心酔してくれている女子学生もいます。先日は「今日の授業、面白かったです」だなんて言われました。そんなことを直接言われたのは初めてなので、びっくりしました。その学生のおかげで、そのクラスではいつも笑いが絶えず、楽しく授業ができるようになりました。


また別のある女子学生に授業後「どうしたら速読ができるようになりますか」と質問されました。

私は「まず速読の練習はしないでください」と言っておきました。すると、彼女は目を丸くして可愛い表情を浮かべたので、以下のように解説しておきました。

速読の練習なんていうものはなくて、もしあるとすれば、それは飛ばし読みに過ぎません。それは速く読む練習ではありません。マラソンに例えると、速く走れる人は、ゆっくりでも」走れます。ゆっくり長く走る練習をしているうちに徐々に速く走れるようになるという法則があるのですが、それと同じです。一度しっかり学習して頭にしっかり入った英文を何度も読んで、見た瞬間に意味がわかるように訓練すればいいだけのことです。その単語とその単語の配列を見ただけで、わかるというのが速読です。飛ばし読みとは本質的には違います。飛ばし読みは、キーワードを探して、そのキーワードを繋いで、メインアイデアを想像するというものです。それはそれで重要なスキルですが、細部を理解できないので、授業で学生たちにサマリーを書かせると、まったく反対の意見として受け取るような人が続出します。それが誤読というものです。教員としては誤読の推奨はできませんので、しっかり丁寧に文法を押さえ、単語のニュアンスを正確に掴んだ上で、読むスピードの向上を目ざないといけません。とはいえ、丁寧に読んでいるうちに、誰でも速度は上がるので、速読には特別な練習プログラムは存在しないのです。確かに目を素早く動かすという訓練はありますが、それはゆっくりであっても文章が読めることが前提となります。それができないのに、どうして速読ができるようになるのか、まったく不思議でなりません。






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