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本を読まない奴はダメなのか? [本]

「最近の若い奴は本を読まない」などと、ぼやくオジサンやオバサンがけっこういますが、私は以前からおかしいと思っています。そうぼやく人たちは、本を読むことよりも、本を買う(消費する)ことを重視している気がします。単純に、たくさん読むことが偉いように錯覚しているのかもしれません。以前、公認会計士の勝間和代さんは、本の内容はすべて記憶しておかなくてもいいんだとか言っていました。その考えは半分正しいですが、半分間違っています。

要するに、本の読み方は多様であって、1つしかないわけではないということです。学者が論文を書くときは、最初から最後まで全部読んでいる暇はありませんから、索引をチェックして必要な部分のみを読んで引用に使います。したがって、学者は大量に本を処理しますが、目を通すページ数としては大したことはないかもしれません。

人によっては、内容を記憶するために読むこともあります、受験勉強や資格試験の勉強はそっちです。1冊の教科書を読み込んで、問題集を何周もして完璧に仕上げることが学習の中心ですから、何冊も読む必要はありません。何冊も読む方が弊害が大きくなります。

はたまた、覚えるためではなく、味わうために何度も読み返すものもあります。詩はそういう読み方をします。小説でもその方法を採用する読者もいます。文学者の場合は、何かを発見するために同じものを繰り返し読みます。だから、書籍の月間購入数は0冊の時もありますし、100冊の時もあるわけです。1年かけて1冊を読みこむこともありますし、1日に数冊目を通すこともあります。コンスタントに毎日1冊ずつ読むような人もいるのでしょうが、それが理想なわけではありません。内容の薄っぺらいビジネス書や自己啓発本やなんとか新書みたいなものならその方法で十分間に合うのでしょうが、結局のところ何も記憶に残らないのですから、お金の無駄でしかありません。

いずれにせよ、本の読み方というのは多種多様であって、一般化することはできません。人や状況によるのです。冊数だけで、読書家だとか決めつけるのはおかしいのです。

新聞のアンケートでは、1冊しか読まない人な何%だというものが年がら年中ありますが、まったく無意味な調査だと思います。年間に1冊しか本を読まないからダメだ、教養がないと決めつけるような発想自体が、教養の観点で、欠陥があると思います。




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