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六十の手習い [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「六十の手習い」とは、年をとってから学問や習い事を始めることを指すことわざです。辞書によっては、「手習い」の項目に「四十の手習い」という例が記載されています。ネット検索すると、「六十の手習い」ばかりヒットしますので、「六十の手習い」のほうが正しいのでしょう。

まだ還暦には10年以上ありますが、私も50歳近くになってから楽器を始めました。まだ1年3ヶ月しか経っていませんが、すでに四種類の楽器(ウクレレ、ギター、ピアノ、三線)を楽しんでいます。

こんなふうに、年をとってから新たに何かを学びたくなるのには理由があると感じています。長く生きてくると、何を見ても、何を聴いても、何を食べても、既視感を覚えるばかりで、心が動かされることがなくなるものです。感動も進歩も感じられない生活を送っていると、ルーティーンをこなすだけの人生に虚しさを覚えるようになってきます。そんな人生に虚無感を抱いてしまった大人は、その虚しさから解放されるために、自分の収入につながるわけでもないような無駄なことを学び、新たな学びを通して自分自身をアップデートする実感を味わいたい、再び赤ん坊のように生まれ直して、新鮮な人生を送りたいという気持ちに突然襲われるのです。それが「還暦」が意味するものなのでしょう。

私は高校生の時に母親と喧嘩をして、どういう文脈だったか全く思い出せませんが、「お母さんは、どうせ惰性で生きているのでしょ!」という言葉を放ったことがあります。私が結婚するときに(その十数年後ですが)、母親は私の妻の両親にそのエピソードを暴露しました。そのときの私は、自分の若気の至りに赤面させられただけではなく、母親が私の言葉に強烈なショックを受けていたことを知りました。

いまそのときの母親の年齢である私は、改めて、若い頃に私が母親に放った痛烈な言葉を思い出します。いつのまにか惰性で生きていた自分に気づいたのです。自分が投げたブーメランが30年近く経って戻ってきたのです。

馬齢を重ねるだけの私を復活させてくれたのが、楽器の演奏を覚えることです。それは「惰性の人生」を回避するための愚かな自己防衛かもしれませんが、60歳を待たずに始めた私の「手習い」です。