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警戒は解けません [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今朝は数カ月ぶりに洗車をし、それからは15時半までずっと仕事をしていました。来週の分の課題を作ったり、80人以上のレポートを読んで成績をつけたので、もうヘトヘトです。忙しすぎて、昨日出す予定だった課題を出すのを忘れ、学生に催促のメールが届いたほどです。

明日は120人分、金曜日は70人分のレポートを片付ける予定です。でも、無理だろうなあ。結局、がんばっても土曜日までかかるのでしょう。仕事の量を上手に配分しないと病気になりそうです。このところ私が休めるのは、日曜日と月曜日くらいなものです。在宅ワークだから家で自由な時間を過ごせそうな感じもするのですが、ぜんぜんそんなことはないですね。

仕事が忙しいというのに、3月に一度追い払ったツバメが二度目の巣作りをしようと1週間ほど前からまたやってきたので、そのツバメとの戦いをしています(現在完了形)。奴らを追い払うために、ちょっとでも壁に泥をつけると水で流してしまうという戦術を使ったのですが、先方も諦めが悪く、うまく行きません。蛇のおもちゃを吊るして怖がらせようとしたのですが、彼らは真贋を見極める能力が高いようで、効果がありませんでした。

ツバメが再来したばかりの頃は、窓枠の上のところに巣を作ろうとしていたのですが、数日前に、玄関ドアのストッパーのところに鞍替えしました。ふと思いついて、ドアストッパーにバケツをかぶせてみたら、止まる場所がなくなったようで、泥をつけなくなりました。ところが諦めの悪いツバメたちは、今朝、またやってきて、大きな鳴き声を出しながら、洗車中の私を高いところから観察していました。時々、私の頭上をひらりとかすめ飛んで、ドアの近くで羽をバタバタさせるのですが、このときとばかり私は洗車ブラシを振り回して追い払いました。我ながら意地悪爺さんみたいで、滑稽です。

いくらでもよそに巣を作れそうな家はあるはずなのに、なぜ我が家ばかり狙われるのか不思議です。塗り壁についた泥は、水で流しながらブラシで擦っても、染みがついてしまって汚いので、ツバメに巣を作られるのはできるだけ避けたいのです。

そんなツバメとの戦いで、クルマが泥だらけ、糞だらけになっていたのですが、ようやくツバメが撤退してくれたようなので、今朝、洗車できたというわけです。

でも、油断しているとまたやってくるかもしれません。警戒は解けません。

追記:明日は雨だそうです。私が洗車をすると、翌日は必ず雨になります。自分の愚かさに呆れ果て、わざわざ雨が降っているときに洗車をしたこともあります。愚かですね。

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安倍の時代には実現は不可能です。奴らを追い出すまで無理です。

泥棒が警察をやっている! [雑感・日記・趣味・カルチャー]

自民党のネット誹謗中傷対策のメンバーに絶句! 委員長の平井卓也議員は福島瑞穂議員に「黙れ、ばばあ!」と匿名で書き込み|LITERA/リテラ

過日、埼玉県越谷市であおり運転で逮捕された男は、後続車があおり運転を注意するために、路上にクルマを停めたり、モデルガンのようなものをちらつかせたと弁解しているそうです。

他人に暴力をふるってはいけなんだと言って、ゲンコツを落とすようなジジイが昔いましたが、このオジサンは、そのタイプでしょうか。滑稽なダブルスタンダードですね。

我々の使命は国民を守ることだと格好いいことを言いながら、新入りの二等兵(国民!)をぶん殴って憂さ晴らしをする旧帝国陸軍の一等兵もいましたが、その悪しき伝統が残存しているのでしょうか。

誹謗中傷はいけないと言いながら、国民の代表である野党の政治家に向かって「黙れ、ババア!」と誹謗中傷し、言論を弾圧する人も、越谷のあおり運転オヤジと同じレベルです。あんなのが国民の代表なのですから、日本国民の民度の低さには背筋が凍ります。

平井卓也議員は泥棒が警察をやっていると言うか、殺人犯が警察のフリをしているというか、ジョージ・フロイドさんを窒息死させたあの白人警官と同じですね。まさにヘイト・クライムです。

我々は自分の中のダブルスタンダードを意識する訓練が必要だと思います。

その前に、まず「平井卓也」という自民党の国会議員の名前を覚えておきましょうか。

追記:
「誹謗中傷が殺到」伊藤詩織さんが提訴した漫画家がTwitterでつづる - ライブドアニュース

政治家は国民の代表だから、我々には悪徳政治家を批判する権利はありますが、フリージャーナリストや漫画家も我々の代表ではありませんから、我々部外者が彼らを非難する権利はないと思います。漫画家がフリージャーナリストを誹謗中傷する理由もわかりませんし、その漫画家を一般庶民が誹謗中傷する理由もわかりません。

話がずれますが、芸能人の不倫に関しても、ワイドショーや週刊誌は大好きですけど、私はまったく興味はありません。彼らを非難する権利が我々にあるのかどうかも疑問です。彼らはなぜわざわざそんな非生産的な仕事をして時間を潰しているのか、その理由を教えてもらいたいです。


カセットテープ、レコード、VHS、ラジカセ、雑誌のバックナンバーを販売するショップ "waltz" -Spotting- [音楽・楽器]



このおしゃれな動画を見ていて、「断捨離ってデジタルだよなあ」と思いました。

私みたいな唯物主義のアナログ志向の人間にとっては、何でも垂れ流しのデジタルになってしまうこと(=断捨離して家からモノを追放すること)は、裸で外を歩けと言われているようなことと同じです。丸腰だと、悪い白人警官にチョーキングされて殺される危険性があって、安心感が得られません。すべてデジタルになることは息苦しいんですよ。

それと、アナログな唯物主義者にとっては、A面とB面がある世界が心地よいのです。パラレルワールドです。人格は一つじゃないというか、あなたにはわからない部分が私にはある、というか。そういう側面を含めて、一個の人間なんだという感覚が、カセットテープやアナログ盤にはあります。

私の言っていることは、もしかしてクレイジーですか?

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Billie Eilish playing the ukelele [音楽・楽器]



ウクレレだからこそ、ささやくような歌い方になったのかな。横揺れの脱力感が、時代に合っている気がします。動画の真ん中あたりからギターで"Wish You Were Gay"を歌うシーンに切り替わって動画のタイトルと矛盾が生じますが、それはそれとして、ギターの弾き方がいいですね。


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あなたも私も差別主義者です! [雑感・日記・趣味・カルチャー]

GoogleとSiriに「すべての命が大切?」と聞くと「言い返されること」が最高すぎると話題 - フロントロウ -海外セレブ情報を発信

カナダで黒人差別に対する抗議集会に参加したら「知らない=発言しない」へのモヤモヤが晴れた|北極かえるのコモンロー日誌|吉村静 - 幻冬舎plus

BlackLivesMatterというのは、「黒人の命だって大切だ」と訳すべきなんでしょうか。AllLivesMatterは論点のすり替えだという批判がビリー・アイリッシュなどからされていますが、私にはよくわかりません。アジア人の命だって大切ですからね。

日本の中でも沖縄差別、アイヌ差別、在日朝鮮人差別は厳然としてあります。混血の人を差別する人もいます。さらに、地方出身者を馬鹿にする風潮もあります。これも差別です。もちろん男女差別もあります。非正規雇用者や生活保護者に対する差別も見逃してはいけません。世の中には、差別を差別だと意識していない人のほうが多いのかもしれません。

この問題は、黒人の問題だけに限定するような考えのほうが、むしろ論点のすり替えであると私は思います。この運動が過激化し、白人から権利を奪え、というような考え方になったとしたら、男から権利を奪えと主張したかつてのフェミニズムのように下品なものになってしまうかもしれません。黒人に対する構造的な差別のみが解決されたら、他はどうでもいいわけではないはずです。

これを機に自分の中に染み込んでしまっている差別意識に目を向けるべきだと思います。男は仕事をして、女性は家で家事をするというのが差別であることさえ意識できず、男は外で働くものだ、在宅勤務している夫が憎たらしいという女性も多いようです。それを差別だと意識しない女性は、男女差別を助長しているのです。

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Intelじゃなくても、Ryzenでいいよね。15万円超のMacじゃなくても、5万円のWindowsパソコンでも十分。YouTuberじゃなければ。

賢い人ってどんな人?話し方やタイプを知って頼られる人になる | Domani

賢い人とは、博識で、謙虚で、向上心があって、優先順位がつけられて、説明がわかりやすく、的確な質問ができ、他者を尊重し、相手に意見を一方的に否定せず、常に冷静で、長期的な視点と分析力を持っている人。これらの特徴の対極にある愚かな人は心の底から嫌いです。したがって、私も差別主義者であると断定できます。

公立校の悲惨な実態…一番恐ろしいのはコロナじゃなくて学校教員(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

半年程度学校を開かなかったからといって、その程度で上の世代の人たちよりも学力が落ち、コロナ世代と呼ばれ、差別されるのでしょうか。おかしいと思いませんかね。学力って、何でしょうか。教科書に書かれていることを教員が教え時間を経験していないというだけで、学力がないと見なすのは、教育とは何かという前提が違うと思います。平等と一律を過度に重視する文科省が子どもたちにタブレットを配ることに踏み切れないからといって、すべての子供達が学問にアクセスできないわけではありません。ネット上にはいくらでも教材は転がっています。それにアクセスできないような生活保護を受給している家庭もあるかもしれませんが、NPOのような団体から支援を受けることも可能です。この状況でICT教育を始めようともしない教員は駄目だというのもわかりますが、なんでも国や教師を頼ってばかりではいけないように思えます。「教えてもらってないから、わかりません」ということをいう学生がたまにいますが、彼らのような自ら学ぼうという意識がない学生は学生とは呼べません。教えてもらうことを前提にしているような教育は、もう終わったと思います。