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大学から教養過程を排斥したことの問題が深刻化している。 [資格・学び]

「地位はあるけど教養がない」人たちの末路 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

文学や哲学や宗教などを学んできた典型的な文系人間である私は、経済や法律や理科系を含む実学しか学んでこなかった人たちの無教養ぶり、首尾一貫性の欠如した日和見主義に、うんざりすることが年々増えてきている。学生時代から、彼らの人間的なつまらなさを見抜いていたけれども、案の定、日本社会の中で深刻な問題が出てきている。

「教養」というのは、英語のLiberal Artsの訳語らしい。しかし、中身がまったく異なっている。教養というのは、表面的にはクイズ王のような人のことを想起させるか、深い意味では人格的な徳の高さに言及しているように思える。

しかし、Liberal Artsは教養とはまったく違うものだ。自由人でいるための技術である。自由人というの古代ギリシャの民主主義を担った市民のことであり、彼らにこき使われた奴隷は含まない。自由人は、自分の頭で考え、他者と議論(debateではなく、discussion!)し、自分たちの能力を高め、そして自分たちの社会をより良くしようという強い意志がある。そういう人たちを「市民(citizen)」と呼ぶ。その意味での「市民(citizen)」であることを自覚し、日々研鑽に励む人のことを教養のある人と呼ぶべきなのだが、古代ギリシャ以来の哲学の伝統を共有しない日本人は、ただなんとなく、他人が知らない細かい情報を知っているだけの底の浅いクイズ王を教養のある人と捉えたり、お金持ちで、何があっても動じずに、ただ寛容に事態を受け入れる心の広い人を教養のある人と見なす傾向が強い。そういうのを教養と捉えているからこそ、今の日本のダメさ加減が深刻になっているわけだ。

大学から教養教育を排斥したことの問題が深刻化している。

早期英語教育の可能性とリスク:日経ビジネスオンライン

この手の英語教育論が近年の主流になっているらしいです。私にはため息しか出ません。

英語教育を専門にしている人たちの中にも5文型の指導は無駄だと主張する人がいますが、それを教えないとなると、英語教員がSVOとSVOO、SVOCの受動態を教えるのが非常に難しくなります。近頃の大学生は、文法的知識がない人が多いので、英作文をさせると間違いだらけでうんざりします。しかも、その間違いを訂正しても、それがなぜ訂正されるのか、理解できない人たちばかりなので、訂正しても無駄になります。それは自分で考える能力を育っていないからでしょう。空を見て、ポカンと口を開けていると、上から答えが降ってくると思っているような学生たちばかりです。彼らは、答えを暗記すれば、テストでいい成績が取れると思い込んでいるような奴隷なのです。「自分の頭で考えるな、ネイティヴスピーカーの英語に親しみ、彼らの真似をしろ、そうすれば、そのうちにわかるようになるよ」と言い続けてきた無教養な教育者たちの犠牲者が、いま教室には溢れかえっています。

結論としては、「このままだと日本は大変になる」と警告を発するよりも、「すでに日本は終わっています」と言って、絶望してもらったほうがよさそうです。



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