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「外来種駆除」は、代理戦争 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「池の水ぜんぶ抜く」の殺生正当化 専門家は「教育上いいと思えない」 - ライブドアニュース

外来種を殺戮することの教育上、宗教上の是非はともかく、生態系への影響はないのでだろうか。私は「外来種駆除」に関して10年以上前に疑問を感じ、事あるたびに学生たちや友人に話し、またブログなどにも書いてきた。しかし、ほとんど無視されてきた。いまになってようやく私の考えに若干近い記事を読むことができて、うれしい。

「外来種駆除」は、在来の絶滅危惧種を保護するための正当な行為であるという主張は理解できる。しかし、人間に置き換えた場合、同じことが許されるのだろうか。外来種というのは、人間であれば、外国人だ。人類の場合、外国から来た移住してきた人たちだという理由だけで問答無用に殺戮すれば、国際問題になる。人権問題だ。

これはもしかしたら、ナショナリズムの代理戦争なのではないか。移民や外国人を排斥したいけれど、できないと欲求不満を感じている人たちが、世の中には多数いる。そんな差別的な人たちが、外来種は根絶することに喜びを見出しているのではないか。ナチスが行ったユダヤ人虐殺のようなことが他の生物を相手に無意識に行われていることに恐怖を覚える。生物学者は、私の考えを一笑に付すのだろう。しかし、私は真剣である。

人間とは異なり、他の生物には、国境は無意味である。国境が無意味になるという「グローバル化」は現代人以外の生物にとって、古代より当たり前のものだった。日本人は島国という田舎に住んでいるために、国境の存在は当たり前のものに思えるのだろう。しかし、他の生物には、人間の都合で引かれた国境などまるで意味がない。気候や環境が変われば、どこか別のところに移住するのが生き残るためには当然の行為なのだ。そういう自由な移動に関して、人間の都合で移動したにせよ、無理矢理に「生態系」(エコロジー)という考え方を当てはめていいのだろうか。

「エコロジー」というのは、それ自体、ポジティヴな意味をまとったものになっているが、冷静に考えてみれば、固定的なものを善とし、変化を悪としている。

生態系は本来、固定的なものではなく、柔軟なものであるはずだ。それをいっさい考慮せず、永遠に今の状態が続くことが正義であると思い込んでいるのは人間の傲慢さなのではないか。外国船のバラスト水に乗ってやってきて東京湾に繁殖したホンビノス貝など、人間の利益になるものは、駆除することが検討されることがない。しかし、ブラックバスやらブルーギルやらアカミミガメやらアメリカザリガニなど、売り物にならないというだけで、殺戮の対象になる。

余談になるが、それらはいずれもアメリカからやってきたものだ。もしかしたら、アメリカに支配され続けている日本人のアメリカに対する怨念が「外来種駆除」に込められているのかもしれない。



今泉ひとみさんの歌声に合わせて、小鳥がさえずっているところが、魔法のようです。