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「『人望のないゴーン』逮捕が招いた意外な副作用」という記事について [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「人望のないゴーン」逮捕が招いた意外な副作用(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

この文章を書いている経営コンサルタントの日沖健氏によると、「リーダーには人望が必要」と説いてきた日本の教育関係者は、輝かしい実績を上げた人望のないカルロス・ゴーン氏の逮捕・逃亡事件に「これはまずいことになったぞ」と焦っているとのこと。へえ、初めて聞きました。私は教育関係者ですが、人望が必要だと他人に説教したことは一度もありませんし、私自身には人望もないし、友人もほとんどいません。しかしながら、人望のないことに教室内で焦りを感じたことは一度もありません。

それはそうと、教育関係者として、著者が以下のようなでたらめな比較をしていることに教育の失敗を見つけ、大いに焦りました。この経営コンサルタントの方は、以下の2つを比較して、若年層は、B社長を支持したという独自調査を行っています。

A社長:高潔な人柄で人望があるが、経営手腕が悪く会社の業績は低迷。業務は非効率で、残業が多く、給料は低い。

B社長:私利私欲むき出しで人望はないが、経営手腕がよく業績は好調。業務は効率的で、残業は少なく、給料は高い。

一目瞭然ですが、この2つの文の中には比較のポイントが複数あります。「人望」に着目して比較をしたいのであれば、その他の条件は揃えるべきです。このような比較では、業務内容、仕事の効率、残業、給料の多寡で選ぶ人もいるかもしれません。むしろ、その他の条件があることで、「人望」が比較のポイントになっているという印象を薄めているように感じられます。

この比較方法は学術的には完全にアウトです。バカ認定です。インチキな比較によるインチキな解釈をすれば、まさに「人望」すら失います。この方は人望の無さがリーダーの条件だと考えているようにさえ思えるので、逆説的にこのような馬鹿げた比較をしているのかもしれません。

私だけかもしれませんが、論理的にものを考えられない人によく出会います。去年、学生の中に、「一番の人と一番の人を比較してどっちが一番か」と幼稚園児みたいなことを言っている人がいてびっくりしました。それを言うのであれば、世間で一番と目されている人が二人いますが、そのどちらが真の一番なのかと言って比較すべきです。その学生は、どちらも一番ですという結論を導き出しました。私は閉口するどころか、腰を抜かしました。

私は論理的に考えることが重要だとしばしば説きます。そのせいか、あるとき学生に「論理ってなんですかね?」と問われ、答えに窮しました。

そのあと、論理の説明を考えていたのですが、論理は数学みたいなものだと言えばわかりやすいかもしれないと思いつきました。X+4=5という数式があったとして、Xはいくつになるのかと聞かれたら、X=1と答えるのが普通の人です。Xは(10-9)ですと答える人もいるかも知れませんし、(1×1)と答える人もいるかも知れませんが、いずれにせよ、1です。それが論理です。条件、カテゴリー、文脈などを考慮に入れ、一定のつながりを意識しながら帰着点を導き出す行為が論理なのではないかと思います。

A、B、Cという3つの観光スポットを巡って帰ってくるというツアーがあったとして、その巡り方に関しては、ABC、ACB、BAC、BCA、CAB、CBAという6パターンがありますが、そのどれが一番効率がよいかと結論づけるには、何らかの条件を与えることが必要です。通常は、時間や距離、交通費、混雑具合、店が開いているかどうかなど、いろいろな比較ポイントが見つかります。それらを考慮して、最適解を得るわけです。そういう考え方が論理的なものだと思います。

話を戻しますが、「『人望のないゴーン』逮捕が招いた意外な副作用」という記事を書いている経営コンサルタントの方は、論理的にものを考えられない人なのではないかと思います。結論を予め持っていてそこに強引に帰着させるために前提条件を歪める癖があるのか、あるいは世間一般の常識の逆を言うことで、自分は他人とは違うものの見方ができるという点において優れた人間なんだと主張したいというメンタリティーの持ち主なのかもしれません。

他人と違う意見を言うことは確かにクリエイティビティがあるかどうかの指標にはなりますが、その前に論理的な整合性も無視してはいけないと思います。さもなければ、信頼を失います。