SSブログ

妻が裁判員として [雑感・日記・趣味・カルチャー]

暇なので、いずれ書こうと思っていたことを書き留めておきます。

実は、昨年末、妻が裁判員として、連続強盗事件の裁判に参加しました。このブログにも触れておきましたが、実は「朝の秘密の任務」というのは妻を地方裁判所にクルマで送ることでした。期間は5日ほど。日当1万円ほどでしたので、なかなかのお小遣い稼ぎができたようです。

仕事は大変だったそうです。裁判中の食事や飲み物に関しては全部無料で、好きなお菓子や飲み物を持ち帰ることもできたと喜んでいましたが、朝から晩までまるまる一日拘束され、裁判のためのミーティングで面白くない話を聞かされたり、意見を述べさせられたり、裁判中は容疑者本人に質問をさせれたり、学校の先生などと違って不特定多数の人間の前で話すことに慣れていない人には、きつい仕事だったとのこと。

守秘義務があるため、事件の詳細については私も教えてもらってはいませんが、話の断片から概要は伝わってきました。事前に心配していたのとは違って、殺人事件ではなかったので私としても安心できました。生々しい殺人現場の報告を聞かされたり、遺体の写真を見せられることはなかったので、トラウマにはならなかったようです。しかし、それ以来、人間不信にはなったようで、世の中には悪い奴しかいないと思い込むようになって、なんでも裏があるはずだと疑い深くなってしまいました。

妻の経験から勉強になったことがあります。量刑に関しては、裁判官が事前に決めているものに予定調和的に落ち着くということです。過去の判例のデータベースから、3つの選択肢が割り出され、一番重いものと中くらいのものと一番軽いものの中から、最終的に真ん中の量刑を選ぶように誘導されるのだそうです。裁判員としていくら自分の見解を述べても、裁判員全員が同じ判断にならないと帰れないので、他の裁判員に迷惑になるだけです。しかも、裁判官もあれこれ言葉巧みに自分の考えに同意させようすることもあったそうです。「これって、私なんかいらないかもね。ただ裁判をしているふりをしているだけじゃないの」と妻は少し憤慨していました。それが民主主義なんでしょうか。

映画『十二人の怒れる男(12 Angry Men)』 (1957年)のように、判決が180度ひっくり返るなんてことはありえないようです。