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『♪鬼滅の刃 / 紅蓮華』沖縄方言Ver.がまったく何言ってるか分からない!!Acoustic cover by Niina [音楽・楽器]



たしかに何を言っているかわかりません。でも、素敵です。

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【三線】『いちゅび小節』(沖縄民謡) 弾いてみた [音楽・楽器]



1234回目の視聴でした。この方も露骨に胸の大きさで釣ろうとしていますね。見事に釣られました。

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住宅街の水路に2m超えの化け物が存在した。 [ペット]



めっちゃ勉強になりました。今回のマルコスさん、さかなクンみたいですね。

「3た論法」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

累計の新型コロナウイルスの感染者数は日本全体だと100人に1人ですが、東京は46人に1人になりました。ちょっと前まで、日本全体が120人に1人、東京が60人に1人でした。世界全体だと37人に1人です。

新型コロナウイルス 世界の感染者数・感染者マップ|NHK特設サイト

橋下氏「医療界に制裁」ツイートに医療関係者が怒り「必死に戦ってきたのに」 | 女性自身

「そんなに医師会に文句があるなら、医者になればいいだろう」というブーメランを浴びてぐうの音も出ない橋下オジサンでした。毎度お疲れさまです。彼の意見はほとんど賛同できないものばかりなのですが、なぜなんでしょうね。あそこまで反りが合わない人は珍しいです。森永卓郎さんが唯一感情的になってしまう相手は橋下徹氏だとおっしゃっていましたが、わかる気がします。

「イベルメクチンこそ新型コロナの特効薬」を信じてはいけない5つの理由 有効性はまだ確認されていない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

医学界において、かつては「使った、治った、だから効いた」という『3た論法』が支配的だったそうです。新型コロナウイルス感染症の軽症患者に対してのイベルメクチンの投薬治療を推奨する長尾医師もその教育を受けた世代だそうです。因果関係はわからないが、投薬治療を受けたほとんどの人が治ったのだから、効果があると認めるという発想です。一部には最強と言われている「統計学」的には有意味になるのでしょうが、因果関係がわからないのですから、医学的には効果があったとは断定できませんね。

文学批評では同じことがあって、初期にはキリスト教的な思想に合致した作品かどうかという基準で評価されたり、また評者の主観を根拠を示さずにダラダラと書くだけの「印象主義」が支配的でした。いまはいろんな文献や論文の網の目の中で考える批評が主流です。神ではないので客観的な判断は不可能ですから、民主的に多くの人の意見を総合的に見て判断するようなものです。医学の世界もその動きと連動しているのでしょう。

現在は「メタアナリシス」というものがもっともエビデンスレベルが高いとされているそうです。これは複数の研究論文のデータを統計的手法で解析した研究のこと。イベルメクチンの有効性に関してはまだメタアナリシスの段階にまで行っていません。単に一人の医者が効くかもしれないと言っているのだから、使えというのはあまりに無責任な態度です。もし重篤な副作用があったら誰が責任を取るのかという問題もあるので、いまは緊急事態なのだからイベルメクチンを使えというのも問題があると思います。馬鹿の一つ覚えのようにイベルメクチンを使えと言っている人たちは、私には江戸時代の「葛根湯医者」みたいに思えます。ご存知、藪井竹庵先生です。知らないか。

納豆を食べると血液がサラサラになるとか、免疫力が上がって、コロナに感染しなくなるとか、あるいはパワースポットに行くと運気が開けると言うようなことを言うのがどこにでもいる庶民ですが、アカデミズムの世界ではそれをやってはいけません。

「情報量が濃すぎて胸焼けしそう」──個人が作った温泉マップに大反響 趣味で始めて7年間、開発に「5500時間以上」 - ITmedia NEWS

よく調べましたね。でも、実際にすべての温泉に自分で足を運んだわけではないようです。

3分でわかる「日本政府は破産しない」ワケ…経済評論家が解説 | 富裕層向け資産防衛メディア | 幻冬舎ゴールドオンライン

自分が死ねば、日本も滅んだも同様です。国のことなんか知りません。子孫につけを残すとかいう説もインチキです。国は個人に借金をしているわけで、その個人のほとんどは日本人。政府の借金は日本人の資産です。

期待高まる新型コロナの「国産ワクチン」打てるのはいつ? - M&A Online - M&Aをもっと身近に。

国産ワクチンが実用化されたとしても数年後みたいですね。それまで待つ人は、その前に感染して死んでしまうのかもね。

かつてのサブカル・キッズたちへ~時代は変わった。誤りを認め、謝罪し、おずおずとでも“正論”を語ろう | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

サブカルとは、私の理解では「すべての表象から文脈や歴史をはぎ取って相対化し、権威や規範にとらわれず、自分はどこにもコミットしないまま、“ひとつの主義主張と距離を置けなくなる人”には冷笑的な態度を取り、ひたすら心地よさやおもしろさを追い求め、それ以上、何かを問われそうになったら、『そんなの何もわからないよ』と未成熟な子どものように逃げ出す」という性質を帯びたものだ。それは、いま思えばどう考えても、間違っていたのである。


香山リカさんが理解している「サブカル」の実態に関してはよくわかりませんが、浅田彰的なニューアカ(ニューアカデミズム)が間違っていたとは思いません。私はかつての常識的な視座を捨てて、すべてをフラットに考えてみるという視点は間違っていなかったと思います。ニューアカの旗手として崇め奉られた浅田彰は「スキゾ」だったわけではなく、彼自身まさにうず高く積み上げられた書物の中で寝ているようなパラノ的な人間そのものです。浅田彰の意に反して勝手にスキゾを目指した人たちがアホだったというだけのことでしょう。浅田は何事からも子供のように軽々しく逃走しながらも、同時に何事にも闘争をしかけるという矛盾がノンシャランに(無頓着に)同居する姿勢を理想としていたと私は理解しています。浅田彰は逃げ出すことだけを勧めていたわけではないでしょう。かつての浅田は、泥臭い積み上げ型のベートーベンではなく、軽々と天空へと我々を導いてくれる崇高なバッハのポリフォニックな音楽を理想としていましたが、現在は、自分の態度は間違っていたとは認めていませんが、ベートーベンの価値を若い頃に理解できていなかったことを素直に認めています。それは時代的な限界だったのでしょう。私が何を言いたいかと言うと、小山田圭吾とか渋谷系とかは私にはさっぱりわかりませんが、ポスモダニズム的な姿勢を「冷笑的」とするのは間違いだと思います。香山リカさんは誤解の上に誤解を重ねているだけだと思います。ワタシ的には、80年代のニューアカとポストモダニズム、そして現代のポストコロニアリズムはまったく矛盾なく共存しています。