SSブログ

成人式の意味を考えてほしい [雑感・日記・趣味・カルチャー]

成年式発祥地・蕨市【蕨市民会館:埼玉県蕨市】 | フォトさいたま

現在のスタイルの成人式は、埼玉県蕨町(現・蕨市)の「成年式」が全国に広がったものであるというのは、よく知られている事実だと思う。

戦後すぐに、当時の蕨町青年団長の高橋庄次郎が、戦争で疲弊した若者たちを励ます祭りを企画し、蕨第一国民学校(現在の蕨北小学校)を会場として、3日間にわたって「成年式」を実施したという。戦地から戻ったばかりの青年たちは国民服で、女性はもんぺ姿で参加した。

現代の成人式では、多くの男性はスーツ、女性は振り袖姿で、地元の文化会館のようなところに同窓会よろしく集まって、市長や市会議員の話を聞かされる会になっている。私は行ったことがないのでよくわからないが。

冷静に考えてみれば、実に不思議な儀式である。どうしてそんなことで大人として認められるのか、理由がわからない。(韓国の成人式では、民族衣装を身につけるらしいが、それに似ている!)

大学時代、人類学の授業で、子供が大人になる「加入儀礼」(イニシエーション)が世界的に(ヨーロッパ人に「未開」とされた人々の間にも)存在していることを知った。たとえば、体に穴を開けてその穴に飾りを通したり(痛い!)、歯を抜かれたり(痛い!)、タトゥーをされたり(痛い!)、割礼をされたり(痛い!)、高いところから飛び降りたり(バンジージャンプ!)、暗い森のなかで脅かされたり、数日間狭い小屋に閉じ込められたり、というものがある。そういうものは、痛みや恐怖に耐えられることを示すことで、大人であることを証明するものだ。女子の場合は、大人の女性に性教育を受けるというものもある。

我が国の成人式は、コスプレ気分で地元の会場に集まり、同窓会ついでに、お偉方のお話を聞くイベントになり果てているが、それと比較すると、スーツを着たり、振り袖を身につけるということは、大人であることの証明になっているのかわからなくなる。むしろ、一部の馬鹿野郎が、酒を飲んで騒いだり、バイクやクルマで暴走行為をしたりすることもあり、残念ながら、自分がまだまだ子供であることを証明をする場になってしまっている。

元来、成人というのは人に成ることを指す。つまり、成人式というのは、周囲の人間が、大人の都合で、「今日から、君をもはや子供ではなく、一人前の人間、大人として扱うことにするからよろしくね」という儀式なのである。大人社会のメンバーとして認められた者は、民主主義を担う「市民」になる。「市民」というのは、一人ひとりが、自分の頭で考え、さまざまなことを自らしっかり学んで、知恵を出し合い、自分たちの暮らす社会をより良くすることに貢献することが求められる。もはや自分の都合だけで生きられなくなるのである。自己中心的な言動は許されない。脱税をするとか、罪を犯すという反社会的行為は厳しく取り締まられるのだ。選挙に行かないことも本当は許されない。

どんな社会においても、そのような加入儀礼はあるものだろうが、江戸時代、一般庶民には成人式はなかった。武士には、元服という儀式があったことから考えればわかるが、人になれるのは武士の子息だけで、一般庶民は、人にはなれなかったのである。政治に参加することが許されていなかったからである。武士から見たら、ただの奴隷であり、人ではない。奴隷には自由人としての心得である「教養」(リベラル・アーツ)がないからだ。自分の頭で考えるだけの知恵がないものが、政治に参加できるわけがない。

そんな無教養な奴隷が選挙権を行使している国の未来はあまりに暗い。だからこそ、それぞれが勉学に励み、政治に参加し、社会貢献をすることが必要なのだ。教育というのは、そのためにある。

現在の日本は一応民主主義社会ということになっている。したがって、選挙権を持つ大人は、民主主義社会を維持、改善する政治に参加する資格を与えられている。そういう意識を持たせるための成人式なのだが、教育に失敗した烏合の衆が、教養のない者たちの話を聞いているフリをするコスプレイベントになっているのだとしたら、大いに改善の余地があるだろう。税金の無駄遣いも甚だしい。

成人式に「参加したくない」若者の事情 現在の自分の境遇を考え - ライブドアニュース