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説教している場合ではないですが:商人の国ニッポン [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今朝、夢を見ました。夫婦で定食屋に行ったのですが、私のところだけ、頼んだ料理がいつまで経っても来ないのです。結局、2時間待たされ、空腹感を通り越し、自分が食べたのか、食べてないのかもわからなくなるくらいになり、とうとう店の対応のひどさに激怒して、店の者たちを全員呼んで謝罪させ、私は店の中のさまざまな問題点を偉そうに指摘・説教しました。なぜか、店の関係者にアントニオ猪木がいました。私は自分をかばうように恐る恐る「猪木さんは悪くありませんよ」と言っていました。しかし、猪木さんは平身低頭して、私に詫び続け、申し訳ないな気分になったときに、目が覚めました。自分のダメなところがよくわかる夢でした。

外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

確かに旅館に泊まったときに、「歓迎○○様御一行」などと自分の名前が書かれた看板が玄関先に置かれていて、ギョっとさせられた経験が何度かあります。日本人の私でも決して気持ちの良いものではありませんでした。多くの外国人にとっては、プライバシーを侵害されたと感じるものだと、この記事は教えてくれます。

日本には、他にも、勘違いした「おもてなし」があり、すぐに止めてほしいものがあります。それは商売の世界の「おもてなし」です。ショッピングモールやスーパーマーケットなどへ開店早々に行くと、入り口に店員さんたちがずらりと並んで、両脇から「おはようございます。いらっしゃいませ~ おはようございます。いらっしゃいませ~」と十数回も挨拶されます。それは店側の客への配慮なのかもしれませんが、客としては非常に居心地が悪く、踵を返して家に戻りたくなるほどです。客は神様ではないので、放って置いてほしいです。何度もそんな目に遭って不愉快になったので、私は、開店早々には行かないことにしています。

日本人が考える「おもてなし」というのは、日本独自の新しい伝統にすぎません。閉鎖的な日本人には「おもてなし」の感覚なんか昔かからなかったことを、若い人たちに知ってもらう必要があります。hospitalityというのは、西洋の伝統で、病院(hospital)やホテル(hotel)に通じる概念ですが、西洋のhospitalityの概念を理解してから、「おもてなし」というのはどういうものなのか、考え直したほうがいいでしょう。

電車の中の無駄な説教(優先席の近辺では云々、カバンを云々、座席を云々、乗り換えがどうのこうのというやつ)も鉄道会社が親切心からやっているのかもしれませんが、ほとんどは無益な情報なので、不愉快にしかならなりません。イアフォンでラジオを聞いているときや、静かに本を読んでいるときに、車内アナウンスが入ると、邪魔された気持ちになって、不愉快になります。電車だけではなく、他の分野でも、時代に合わせて、もっと合理的に、効率的にやってほしいものです。

生徒の成績で教員を評価、大阪市の施策は「教師の軋轢生み授業の質下げる」教育コンサルが苦言 | キャリコネニュース

「勉強の目的はテストのスコアを高くするためだ」と見なす(一見合理的に見える)考え方は、大学にも浸透してきています。英語教育では、学生のTOEICのスコアを上げることが重要視されており、いずれ、それができる教師の能力が評価される時代になるのでしょう。スコアを上げるためなら、TOEICの癖を分析して、その裏をかくことを教えたり、効率よく文章を読んだり、速読の練習をさせたりすればいいのですから、授業の中身は、単なるテスト対策で十分です。そんな予備校的な教育を推し進めていけば、大学生が大学で本来学ぶべきことを理解しないまま卒業していくことになります。その程度のものなら、わざわざ大学に足を運ばなくても、家でパソコンを使って勉強できると思われてしまえば、結局は大学教育の自壊につながります。

大阪は「商人」の町だから、そういう考え方に親和性が高いのでしょう。一見合理的に思えますが、回り回って、不合理な考え方です。教育の理に合致していないのですから。昨今、日本が全体的に「商人」の国になりつつあります。日本には「商人」しか「社会人」として認めない風潮が強まりつつあります。そのこと自体を疑えるような人間を育てるのが大学教育だと思います。大阪は勝手に(失敗必至の)実験をしてもらってもいいですが、迷惑千万ですから、全国に広がることは避けてほしいものです。

安倍首相「サンゴは移した」の嘘に琉球新報編集局長が「民主主義国家の総理としてあるまじき行為」と痛烈批判|LITERA/リテラ

裏を返せば、日本はまだ民主主義国家にはまだなっていないということです。その真実は安倍総理の嘘、麻生太郎の暴言から、透けてくることです。日本が「商人」の国になれば、社長の命令は絶対服従という態度が養われるのですから、権力者の命令には従わざるを得ないことを当たり前と考えるようになります。まさに明治時代を通り越して、江戸時代に遡るわけです。天皇の命令には絶対服従だと考えられるようになったのは戦中ですが、うかうかしていると、すぐにそういうところに戻ってしまうのが日本という国です。日本人は外国人におだてられ、日本は「侍の国」であるという認識を持っていますが、本来はロシアが農奴の国であるように、日本も百姓の国です。「お上の言うことには逆らえねだ」と。安倍や麻生にならって、民主主義を軽視すれば、ヒトラーのナチズムとか、ソ連のスターリニズムとか、要するに全体主義の国に近づくわけですが、教育の目標が、商人の精神を育成することになりつつある現在、なかなかその風潮に逆らえなくなりました。居心地の悪い社会になりつつあります。

最悪の事態を避け、民主主義社会の実現に向かうためには、一定方向に流れることを本能的に回避しようとする「抵抗勢力」をまるで障害物のように見なす人たちの数を少しでも減らすことを意識した教育が必要です。逆の見方をする人とを排除すれば、民主主義は育ちません。「他者」をリスペクトするという(先に民主主義や個人主義を完成させた西洋では当たり前の)態度が養われません。

「おもてなし」というのはそういう「他者へのリスペクト」の上に乗るものです。商人の発想だと、自分たちにお金をくれる相手をリスペクトし、そうではない人に対しては、差別するという発想になります。「おもてなし」は、まさに内と外を峻別する日本人らしい醜い心の反映です。

勤労統計と手口ソックリ 安倍政権から膨れたGDPのカラクリ|日刊ゲンダイDIGITAL

GDP水増し疑惑を訴えた『アベノミクスによろしく』を出版されたばかりのときに私も読みました。安倍政権は、嘘つき政権ですから、「さもありなん」という感じで、驚きませんでした。

魔術師の安倍総理が、魔法をかけて、我々が見たいような世界を見せてくれたのです。そろそろその悪夢から我々が目を覚まさなければいけないときが来ました。