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寝ても悪夢、覚めても悪夢 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

あまりに布団が暑くて、早朝5時過ぎに悪夢とともに目が覚めました。寝たのは0時半ですから、睡眠時間は4時間半から5時間。それからずっと起きています。眠いです。

今朝見た悪夢の中では、私は学生に戻っていました。授業で難しい英語の文章にぶち当たり、それが理解できない同級生たちが、私の周りに集まってきて、私に教えてほしいとせがむので、必死に教えているという場面で目が覚めました。汗びっしょりでした。

確かに、学生時代から、そんなことをやっていましたし、それがいまの仕事になってしまったようなものです。これこそまさに悪夢です。悪夢から目覚めても、現実もまた悪夢です。寝ても悪夢、覚めても悪夢。そろそろ悪夢を見ずに、思う存分熟睡したいです。もう十分長生きしましたし、ほどほどに満足したので、いつお迎えがきてくれてもいかまいません。

俗に言う「バカッター」は学校教育の敗北でもある。気がする。 - パパ教員の戯れ言日記

この記事には、私はまったく同意できません。学校教育の敗北ではないと思います。

基本的に、学校は、教科を教えるところです。一定の知識を与え、モノの考え方を身につけさせるところです。自分の頭を使って、偏見や先入観を打破したり、新しいものの考え方を受け入れたり、自ら作り出したりすることを訓練する場です。日本の文科省も自民党の政治家も勘違いしているようですが、学校は道徳や愛国心を教えるところではありません。国民をナショナリズムという枠組みにはめ込むのではなく、その枠組みを外から眺められるような教育をするところです。その枠組みの中に入りたければ、そうすればいいですし、その外に居続けたければそうする自由があるべきです。

世の中には無責任な人が多く、自分の責任を回避するために、学校になんでも押し付ける人がします。なにか不祥事があると、学校が悪いという意見に傾きます。しかしながら、学生がアルバイト先で、不道徳な行為をしたとすれば、それはアルバイト先の責任者の問題です。学校とは関係ありません。そういう馬鹿を採用した側の責任です。学校側が謝罪を迫られてもいないのに申し訳ないと思うのは、学校側の驕りです。分をわきまえていません。

麻生太郎とか、安倍総理とか、カルロス・ゴーンとか、はたまた強盗とか詐欺とか殺人を犯すような連中みたいな「バカッター」同然の馬鹿が世の中にはいくらでも居ますが、あれも学校教育の失敗であって、すべて学校の責任なのでしょうか。そんなことはないでしょう。

なんでも学校の責任とする発想は、日本独自のものなのではないでしょうか。教員は、もっとビジネスライクに割り切ったほうがいいと思います。教員の方がすべて自分のせいであると考えるからこそ、周りの人々がつけあがるのです。

「恥を知れ」自民党批判の細野豪志氏を受け入れた二階俊博氏に驚き (2019年2月12日掲載) - ライブドアニュース

細野豪志は、政治家としてだけではなく、人間として許せないタイプです。

戦時中、若い連中に「お国のために死んでこい」と言っていたくせに、敗戦後は、コロっと態度が変えて、「我々を犠牲にした国は、ぜったいに許せない」とか言った人たちと一緒です。



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