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何やってもうまくいかない時に知っておきたい仏教の教え [雑感・日記・趣味・カルチャー]



自因自果と他因自果。

自分はこんなに努力しているのに、実が結ばれない。それは自分のせいではなく、他に原因があるのだろう。うまくいかない人たちの中には、そんなふうに考える癖を持っている人もいます。一方、成功者の中には、すべては自分の努力と才能の結果であり、外部的要因は一切関係がないと考える癖がある人もいます。偶然の要因なんてものはないと考える習性があるのでしょう。

ビジネスの世界では、内在的要因と外部的要因に峻別して自社の業績を冷静に分析し、進むべき道を決定します。すべての原因は自分にあると考えた場合は、道を誤るリスクがあります。そんな考えは自分自身を過大評価しているだけで、傲慢すぎます。自分が成功した要因には環境などの影響もあったはずと考えるべきであり、すべて自分の努力のおかげだと単純に考えてはいけません。逆に、失敗した場合でも、経済状況が悪かったのだから、仕方がないという分析も有効です。すべて自分の努力でなんとかなるはずだと考えるのは「認知の歪み」です。そんな態度では感謝の心を忘れてしまい、いずれ恩人たちに見放されてしまうでしょう。

ところが、岸谷さんによれば、仏教では、すべての原因は自分のみにあるというそうです。率直に言って、その考えは間違っているし、仏教ではないと思います。岸谷さんは、輪廻転生や因果応報という考えには論理的整合性があると我々に錯覚させようとしているのでしょう。うまくいかない人は死ぬまでうまくいきません。成功する人は最小限の努力で成功してしまうことも大いにあります。そういう人生を素直に受け入れなければ、我々は生きていけないのです。

思考実験をしてみたらわかるはずです。フィクションなら可能かもしれませんが、現実の世界では、まったく同じ条件のもとに生まれることはできませんし、同じ性格や才能で生まれることもありません。生まれた時代、親の資産とか、環境(地方か都会か)などもみな違うのです。したがって、岸谷さんの主張を証明する実験はぜったいに不可能です。同じ条件を揃えることができない限り、成功者と同じ分量の努力をすれば、その人と同じように成功できるという主張が真実であると証明することはできないのです。私には、因果応報とか自因自果というのは、岸谷さん版の仏教の身勝手な思い込みとせざるをえません。

もちろん、自分の不幸はすべて他人のせいというのも歪んだ発想です。そこから生まれる愚痴は最悪の結果しかもたらさないことも重々承知しております。他責的な思考に囚われていながら、その事実に気づかず、自由になれない人が多くいます。そういう人を救うのが仏教なのでしょう。それにもかかわらず、岸谷さんが唱える仏教は、愚人たちには手厳しい気がします。本来の親鸞の考えとは違うのではないかと感じます。


現代人である我々は、自分自身を俯瞰する能力を身につけることを最優先課題にすべきです。全部自分のせい(おかげ)も、全部他人のせい(おかげ)も歪んでます。それはゼロヒャク思考(白黒思考)の典型です。そういう歪んだ思考から脱出することが俯瞰というのです。仏教で言う達観とは次元の違うものかも知れませんが、私のような凡人は俯瞰を目指すべきだと感じます。




120時間の残業生活が激変、定時退勤を実現した公立教員の「時短術ベスト3」 「ギガ先生」が授業で使い倒す「4大ツール」とは | 東洋経済education×ICT

時短は悪い事のように言う人が高齢者に多いのですが、それが過重労働を生む原因の一つになっています。私も他の教員に苦言を呈されても一顧だにせず、手抜きに普請しております。手抜きと言うと聞こえは悪いですが、学生にお任せするのです。英作文は自分でDeepLやChatGPTを使って添削するようにと。ふだんの小テストは紙を使わずGoogle Formsを使うようにし、自動採点してもらうのです。名簿に記入するときは手入力になりますが、それもPythonかなにかを使って自動化したいと考えています。あとは教科書の内容を全て教えるのはやめ、時間が来たら、自分でやっておくようにと学生に丸投げするのです。学生から苦情が来たら、「教員は忙しいのはわかっているでしょうが。人間の時間は有限であることを知らないのですか」と返答します。「それに、私はあなたの親ではないのですから、一生面倒を見てやれません。自分のことは自分でしてください」と言っています。反論を食らったことはありません。

「懐メロ好き」には理由があった 専門家が明かす科学的根拠とは – Sirabee

若い頃によく聞いた曲は確かに癒しになります。ただ、そればかりしか聞かない人というのは脳が劣化しているように感じます。私が子供の頃、周りは演歌しか聞かないようなオジサン、オバサンばかりでうんざりしました。逆に、私はクラッシック専門だとこだわりの強い人も嫌いでした。私は雑多なものが好きなので、いまでもOffical髭男ディズムとかYOASOBIとかあいみょんとか、新しいものも好きで聞いています。浪曲とか狭義の邦楽とかは聞くこともありますが、演歌だけはどうも好きになれません。子供の頃からたいぶ聞かされましたが、感性がまったく合いません。

あなたも「主体的」に「社畜」になっている…「新しい資本主義」の巧妙な罠(白井聡) | 現代新書 | 講談社(1/4)

資本家の利益は従業員の利益という宗教に洗脳されているから、労働者は積極的に資本家の利益を優先して働くのです。したがって、ますます労働者は搾取され、貧しくなるのです。資本主義というはそういうデザインになっています。だから、共産主義を目指せというのがマルクスの主張ですが、私は、それは嫌です。社会主義と資本主義の間で、ちょうどよい落とし所を探るのが良いと思います。








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