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Yukio Mishima Speaking In English [雑感・日記・趣味・カルチャー]



三島由紀夫の英語は、書き言葉をベースにした、しっかりとしたものであり、発音やイントネーションはイギリス風のものである。彼のような教養人にふさわしい英語を日本人も目指すべきだったのだと思う。

日本文化というと、華道や茶道ばかりに目が行きがちだが、美しさと死が結びついた野蛮な部分があると三島は主張する。その好戦的な野蛮さは、晩年の三島に取り憑いてしまった武士道についての言及だ。

三島由紀夫の言っていることは、およそ50年後の今、「サムライ・スピリッツ」とか「侍ジャパン」だのと、ビジネスや消費の対象にされるようになってしまった。お金を生む「侍」という商品になりさがって、美とは無関係のものになった。

それだけならまだしも、命を賭けて戦うことがヴァーチャルなものになり、生身の人間が発する醜悪な臭いが脱臭され、真空パックの商品になった。そういうものに人々が慣れっこになると、自分の嗅覚でものごとを判断することをやめてしまう。そんな思考停止した人々の数が増えていくと、またぞろ、権力者はそれをプロパガンダとして利用し、一般庶民を無用な戦いへと導いていく危険性が生じる。

三島が間違っていたのは、日本人の90%以上が長期間にわたって農村生活を送っていたことを無視したことだ。都会ぐらしの人間にはわからなかったのかもしれない。戦国時代の武将は国取りゲームを好んだのかもしれないが、領民は戦いが続くあいだ農作物の世話や収穫ができなくなるし、農地が戦闘によって荒らされるかもしれないし、もし自分が殺されたら、家族は路頭に迷うことになるので、戦うことに熱心ではなく、戦うふりだけをして、さっさと帰ってきてしまうということもあったようだ。それが大多数の日本人の本来の姿ではないだろうか。そういう「ずる賢さ」や「醜さ」を本物の戦闘を知らない三島は見ていない。

三島が生きた高度成長期の日本は、外国人の目を通して、日本人は勤勉だとか、真面目だとか、戦いを好まない優秀な国民だと教え込まれ、敗戦の屈辱を忘れさせてくれる外国人の称賛に酔っていた時代のせいもあったのだろうが、三島はそれに意義を唱えようとして、ますます本筋からずれて行き、最終的に自決に至る。それがほんとうに美しいものだったのかどうか、大いに疑問である。いまだに漫画のように思える。

クリエーターである三島は自分がでっち上げたヴァーチャルな世界の中で生き、自分の目に映る空間の薄っぺらさに嫌気が差して、いや怒りを覚え、自ら電源スイッチを切ったのではないかと思う。「現代人は命をかけて生きることが許されておらず、自分も畳の上で死ぬことになるだろう」と予言していた三島の死に方として、それがふさわしかったのだろうか。三島は「自分は甘ったれた太宰に似ているところがあるからこそ、太宰を嫌うのだ」と言ったことがあったが、三島の自決は、「退屈な日常」を生きることからの単なる逃避ではなかったのか。三島はそれを「耐え難い退屈さ」("unbearable boredom")と呼んでいるが、それに耐えなかったのは、彼の甘ったれた部分の表出だったのではないか。

いま「三島の悪霊」が、日本中に取り憑いているように思える。それすら気づかない思考停止の人間が自らを「保守」と名乗ってのうのうと生きていることに私は恐怖を感じる。



三島の言うように、日本には「精神的な独立」が必要だ。しかし、「楯の会」のようなごっこ遊びでは、それを獲得できないことくらいわからなかったのだろうか。