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まんが日本昔ばなし「節分の鬼」「見沼弁天」 [コンピュータ・ネット・テレビ]



明らかに、鬼は、かつて大和朝廷が征伐の対象とした蝦夷(えみし)と呼ばれたアイヌ民族だろう。鬼は退治すべきものという「桃太郎」的発想から一歩も出られない人たちに、この物語を知ってほしい。

我が家では、よくわからない「新しい伝統」(語義矛盾、形容矛盾、撞着語法)の「恵方巻き」やら「煎り大豆」を妻が食べるのが好きなので(無駄な出費!)、糖質ダイエット中の私も仕方なく食べているけれど、「鬼は外、福は内」というのは、長らくやっていない。ベランダや隣家との境界の敷地にゴミをまくような「伝統」は、時代に合わないからだ。

家の中にばら撒いた炒り豆を赤ん坊が食べて、窒息死する可能性もあるし(うちに赤ん坊はいないが)、踏んで怪我をすることもある。恵方巻きを無言で一気食いして、窒息死する危険性もある。もうこういう馬鹿騒ぎは、やめたほうがいいのではないかと思う。

恵方巻きは、セブンイレブンが全国に広めた新しい伝統だという説がある。たしかに、私がその存在を初めて確認したのは、セブンイレブンだった。

我が家ではいつしか寿司を食べなくなっているので、たまに食べると生臭くて気持ち悪くなる。商業界では、新たな「伝統」に登録して、クリスマスと正月と2月14日のバレンタインデーの間に、もう一つ金儲けの材料を突っ込みたいようだけれど、売れ残って廃棄する恵方巻きが、彼らに損失を与えているようだ。大してうまくものない海苔巻きご飯に、縁起物だからといって、べらぼうに高い値段をつけて販売しても、アベノミクス効果が効いてきて、貧乏な家庭が増えている昨今、そんなものを食べる余裕はますますなくなっている。

アベノミクス効果で、経済格差が拡大し、富裕層が増えているのは確かだが、貧乏人が2本食べるところ、金持ちだからといって一人が20本食べることはできないのだから、経済格差が拡大することには何の恩恵がない。

日本を含め、地球上起きている問題の根源にあるのは、経済格差の拡大と貧困の問題だ。各国の政権は、それを助長するような政策を取り続けているが、そろそろ「巻き返し」が来てもおかしくない。



昨日、久しぶりに暖かくなったので、ポタリングを楽しんだ。私も「見沼弁天」のあたりまで行ってきた。あそこにそんな伝説があったとは知らなかった。

美人の弁天様(白蛇の化身)に親切にした馬方(馬子)の青年が、恋人を差し置いて、弁天様に恋をしてしまう。どうしても再会したいと何度も見沼を訪れる青年に、弁天様が姿を現し、お礼に「開けると不幸になる幸せの玉手箱」を授ける。

その後、青年は金持ちになり、大きな屋敷を構える。しかし、青年は自分はちっとも幸せにはなれていないことを悟り、思い切って「開けると不幸になる幸せの玉手箱」を開けてしまう。すると、急に貧乏になって、元の生活に戻るのだ。しかし、箱の中には、蛇の白い鱗が1枚残っていて、主人公は、恋人と結ばれ、一生、幸せに暮らしたという話。幸せとは、いったい何なのだろうか。

そんな答えの出ないようで出ている問題については、いまさら考える必要もないかもしれない。それはともかく、馬の背に野菜を積んで、見沼から千住のあたりまで、毎日歩いて運んだというのだから、昔の人は体力があったと感心する。少なく見積もっても、往復60キロはあるだろう。その荷物運びを効率よくするために、見沼代用水が作られたのだから、この昔話はそれ以前の話だろう。


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