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作者の気持ちを作者は解けるか!? [資格・学び]



どうせ時間の無駄だと思うので、私は見ていません。見ていませんが、文学者の端くれとして、この企画は捨て置くことができないので、コメンテーターよろしく、コメントします。

小説家はあくまでも物語を作る(作った)人であって、主人公などの登場人物そのものではありません。その前提に立てば、作者は作者の気持ちがわかるのかという問題設定自体が成立しません。たとえ登場人物の気持ちがわかるのかという問題に変えたとしても、試験問題の作成者は小説の登場人物ではないので本当のところは何もわからないはずです。正解は問題作成者の解釈ひとつで変わるものです。この手の試験問題の正解は、問題作成者の解釈を読み解くことが求められるのです。ついでに言いますと、作者本人と、小説の語り手は別人格です。語り手も、登場人物と同様に作者の創造したキャラクターです。

そういう文学的素養がない人たちが立てたと思しき企画は見る価値はありません。1950年代に小説の読み方が大きく変わったことを、70年経ってもいまだに気づかない人たちには、文学教育が必要です。

昔、詩人の谷川俊太郎が、自分の詩かエッセイがセンター試験で勝手に使われたと言うので著作権法を盾に抗議したことがあります。そのときだったと思いますが、自分でその問題を解いてみて、正解が出せなかったと告白していました。その場合、問題作成者の答えが正解なのか、作者の答えが正解なのかわかりません。

そんなふうに正解が出ないことを真面目に考える場が、大学という教育機関なのですが、最近の大学教育は、「正解を教えてくれればそれでいい。あとは自分で暗記するから」と言って、授業中に寝ている学生が多いのです。昔から日本人学生は、勤勉とは程遠く、授業中に寝ている人も多かったのですが、さすがに「模範解答集をコピーしてください」とは言いませんでした。

正解は自分で考えるものだという前提が大きく崩れているのでしょう。正解はどこかにあるはずだから、それを覚えることが勉強なのだという思想に毒されているのでしょう。ものを疑うことから学問は始まるのですが、疑うことすらしていないのですから、教育が崩壊しているどころか、始まってもいないのです。

テレビを見ていると、誰しも感じていることでしょう。おバカタレントが、とんちんかんなことを言って笑う番組もいまだに消えません。それを見て笑っている側が、もっと馬鹿だというメタレベルの視点が欠如していることは、知性的には思えません。

「○○大学教授」とか「弁護士」などという肩書をひけらかしているインテリ気取りのコメンテーターもほとんどはバカです。誰でも言いそうなことを誰でも言いそうな表現で話すだけで、いかなる生産的な議論も生みません。「炎上」を避ける技術は無駄に巧みですがね。立川志らくは、その点、正直なので、よく炎上していますが、立川談志の芸を正しく受け継いでいる落語家の了見ですから、あれでいいのです。視聴者に、自分の考えを他人に押し付ける機会を与えるのではなく、真剣にものを考える切っ掛けを与える行為をしているのは、立川志らくです。立派だと思います。多くの日本人の中で、決定的に欠如しているのは、そういう視点です。

アマゾンの書籍値下げ、出版界に歓迎の声 懸念は公正さ:朝日新聞デジタル

再販制度は、日本独自のルールなので、グローバルスタンダードに合わせるわけですね。売れ残りを出版社が買い取るようなことよりも、書店が値下げをして、売り払ったほうが、無駄がないと思います。古本屋は儲からなくなるでしょうけどね。


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