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サル山の大将と取り巻き連 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

プチホリエモンたちの孤独:日経ビジネス電子版

小田嶋隆さんは、さすがに公共のメディアで名前を出してホリエモンを罵倒することはできないでしょうから、私が代わりに書いておきます。ホリエモンを騙ることは、あまりに日本的な文脈的すぎて、バカバカしくて、時間の無駄かもしれません。本来は、ネトウヨお笑い芸人の松本人志の発言と同じように、メディアや世間は完全に無視すべき対象であると思います。

1980年代だったら、ホリエモンは「ツッパリ」だったかもしれません。私の目には40年遅れのツッパリにしか見えません。ツッパリは、あえて、学校の道徳の教科書に書いてあることと逆のことを言ったり、(改正や廃止を訴えることなく)校則を守らないことで、自分の個性を演出する趣味の人たちでした。そういう目立ちたがり屋のホリエモンに賛同する取り巻き連(フォロワー)も、当時「ツッパリ」の一味になった側と同じ心理なのだと私は察します。彼らのアイデンティティは、脊髄反射的に逆張りの戦略を取ることで維持されます。彼らが採用している戦略はそれだけです。つまり、何も考えていないのです。何も考えていないというのは、視野が狭いという意味です。彼らの議論は、逆張りであることゆえに、挑発的に聞こえますが、あまりに退屈で、中身がないものです。ゆえに、私はホリエモンを軽蔑し続けてきたし、彼に賛同する人間を侮蔑の対象にしているのです。


ホリエモンの視野の狭さ、知性の低さは、座標軸を使って見ればすぐにわかります。座標軸というのは、2つの基準をもとにY軸とX軸を定めて4分割して物事を見るためのものです。それに当てはめてみれば、世間で言われていることの逆張りの意見であっても、ちっともバランスが取れていないことがわかります。ホリエモンが見ているのは、座標軸の4つの範疇(カテゴリー)のうちの2つだけです。残りの2つの存在は、ホリエモンやその一味には視界に入っていません。だからこそ、彼らは、世間一般で言われていることの反対が正解だと思いこめるのです。そういうふうに見れば、ホリエモンの議論が知的には感じられなくなるはずです。ホリエモンの愚かさは、与党の愚かさと野党の愚かさを足して2で割ったようなものです。いずれにせよ、馬鹿です。

ホリエモンが馬鹿に見えるのは(実際に高卒の馬鹿ですが!)、全体を包括的に見て、自分自身の議論の穴を塞ぐという姿勢がないことにあります。ホリエモンは決して自説を曲げず、他者を攻撃することだけで、自分自身の正しさを主張します。(安倍晋三や自民党の議員たちと同じ論法です。)

ホリエモンのアイデンティティを支えているのは、結局は東大に合格したという事実とお金であるゆえに、人間性が低く見えるのです。ホリエモンは直接言葉にすることはないようですが、「お前らは東大に合格していないだろ。俺は金持ちだが、お前は貧乏だろ。馬鹿だから貧乏なんだよ」と自分を攻撃する対象に対して態度でマウンティングします。自民党の議員が、「お前らは、国会議員ではないだろ。与党ではないだろ」と言って、批判する国民を見下すのと同じです。

教育の目的は、人間の視野の狭さを克服するためにあります。視野の広い人間というのは、つねに人間は間違うということを前提にしています。科学の考え方と同じです。それを理解できない人は、本来の教育を受けてこなかったのでしょう。東大に合格したのも、クイズ王のような受験テクニックを駆使しただけかもしれません。私の目には、ホリエモンも安倍晋三も、サル山の大将にしか見えません。

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サル山の大将が、「お前らは、俺にもっと餌をよこせ。俺は腹が減っているんだ!」と言っています。「お前たちが食べる餌を1粒ずつ俺にくれればいいだけだ。大したことはないだろうが」と。サル山の大将と言えども、餌は人間にもらっているだけですから、餌の量は決まっていることを前提にしています。餌の量を拡大することは思いもつかないのです。役人や政治家というものは、こういう愚かな人たちです。