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「ウィズ・コロナ」は無責任 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

カフェが街から消える!?「客数激減時代」2つのコロナ生存策【#コロナとどう暮らす】(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

「ウィズ・コロナ」の時代だなんて格好つけて言う人は、コロナを永遠に終わらせるつもりがないのかと思います。この「ウィズ・コロナ」という言葉はコロナ感染者が隣の席に座っていても、感染しないように配慮しながら生きていかざるをえない状況という意味なのでしょうが、権力者がコロナを撲滅することを諦めて、そんな生活を何年も続けていくことを人々に要請するようなことは決してしてはいけないことです。あまりに無責任な言葉だと思います。

「ウィズ・コロナ」などという言葉を使うなら、新型コロナウイルス感染症は風邪やインフルエンザ同様に撲滅することができないものであっても、万が一コロナに感染しても重症化させないような万全の医療体制を整えてからにしてほしいです。まだ第1波が終わっていない状況で、この惨禍を招いた側の人間が、「ウィズ・コロナ」だなんて軽々しく言ってほしくないですね。

「ウィズ・コロナ」という言葉は、この生活を余儀なくされ、不便を強いられている一般庶民が使うのは問題ないと思いますが、権力者が責任を回避するための言葉にしか思えないので、それを使う為政者には要注意だと思ったほうがいいと思います。無責任のレッテルを貼って、次回の選挙では落とすべきです。

一方、「ポスト・コロナ」「アフター・コロナ」は使うのはよいと思います。コロナが収束することを前提にしているのですから、まともな言葉の使い方です。あと数年はこういう生活をせざるを得ませんよ、と「ウィズ・コロナ」派の人たちは言いますが、だったら、五輪の中止をいますぐ発表しなければ無責任です。

カフェの話から遠ざかってしまいましたが、もともと私はカフェに行く金銭的な余裕はないで、カフェがなくなろうが、どうでもいい話です。私のライフスタイルにはいっさい関係がありません。

それより、気になるのは、喫茶店のほうです。タバコの煙がもうもうと立ち上るあの昔ながらの喫茶店は、どうなってしまうのでしょうね。喫茶店にはテラス席なんておしゃれなものはないし、「三密」そのものですから、この悪夢の安倍時代では生き残れないでしょうね。外国資本のカフェは生き残ったとしても、街の小さな喫茶店文化は消えてしまうかもしれません。

カフェは家賃の安いところを求めて、2階に上がってサバイバルしようとしているそうですが、誰が好き好んで2階にまで上がってコーヒーを注文するのでしょうかね。コンビニでもっとおいしいコーヒーが買える時代ですよ。