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アルゼンチンモリゴキブリ [雑感・日記・趣味・カルチャー]

南米ゴキブリを野外で確認、千葉 繁殖容易、害虫となる恐れ:東京新聞 TOKYO Web

ペットの爬虫類や魚の生き餌になるからって、そんなものを安易に国内に入れてはいけませんよね。アルゼンチンモリゴキブリはデュビアとも言うそうで、Mサイズだと50匹で2500円くらいで販売されているようです。1匹50円もする贅沢な餌ですね。アマゾンだとSSサイズ 5グラム(約100匹)が1,475円です。私もゴキブリを育てて販売しようかな。いい副業になりそうですが、部屋でゴキブリを育てているなんて人にはなりたくないですね。Gの話はここで終わりです。

さて、学生にこの1年間を振り返ってもらうという課題を出したのですが、彼らの文章を読んでいるうちに、オンライン授業に対する怒りや不満を抱いている人の傾向がわかってきました。彼らは他人とのコミュニケーションが好きで外交的という性格が見られるのですが、場合によっては精神的に自立しておらず、自己管理能力や環境適応能力が低いという傾向もあるようです。

小中高時代、他人に与えられた課題をこなすだけの人生を送ってきたために、自分で自分を律して、時間の管理をしたり、自分で問題を発見して、それを解決しようという姿勢が育ったなかったのかもしれません。「学費を払っているのに、なぜ教えてもらえないんだ」とぶつぶつ文句を言うだけで、すべて自分の怠惰な生活はコロナと大学のせいににして、甘えている学生もいることがわかりました。

そもそも、最初期の大学はヨーロッパ各地から集ってきた聖職者たちが神学についてユニバーサル言語であるラテン語で語り合う場だったとテレビの放送大学かなにかで聞いたことがあります。すぐに大学は医学や法学や哲学を学ぶ場所に発展しましたが、基本的には自分がぶち当たった問題をさまざまな地域からやってきた有能な人たちの力を借りて自分で解決することを目指す人たちのための場所だったのです。いまは大学で問題解決の方法を教えてもらおうなんて考えている人もいるようですが、そんな受動的な考えを持っていること自体すでに終わっています。解決すべき問題はそういう人の姿勢の方です。

中世ヨーロッパの大学 / 世界史 by 逆転検事 |マナペディア|

大学は、それぞれの分野に存在する問題を解決したいという目標を持っている人たちが集まってくるところで、彼らが社会貢献できるように後押しするところです。何かの問題の答えを教えてくれるところはありません。自動販売機に100円を入れると、100円の価値の飲み物が買えるようなものと仕組みが違うのです。100円を入れても、何も出てこない場合もあるし、100億円の価値のあるものが出てくる場合もあります。そういう場所です。

卒業論文という最終課題は、自ら学んで、自分で事を起こし、適切な手続きを経て解決する能力があることを証明するものです。その証明書が学位です。その切符があるかないかが高卒と大卒との大きな違いです。他人に与えられた仕事を効率よくこなすだけの人と、自分で問題を発見し、他者と協力しあって解決に導こうとする人の違いです。

対面授業をしない大学に苛立ちを隠せない人たちは、残念ながら、大学を学校と勘違いしている人たちです。小中高のような学校では教員免許状がなければ教員になれませんが、大学は研究機関ですから、教員免許状がなくても、それぞれの分野で優れた業績があれば、教員になることができるのです。そこは決定的な違いです。教えることより研究することを優先しているのです。かつての大学は先生が何も教えてくれない場所でした。

マスコミの報道でも、大学での学問についての認識が甘い人が多いようで、「なぜ小中高はコロナ禍でも開いているのに、大学は閉じているんだ。学びの機会を奪うな。学費を返せ」などと乱暴なことを主張する人がたくさんいましたが、彼らには「あなたたちは大学時代、授業に真面目に出席して、しっかり勉強したのですか? 自分が学んだことをすらすら言えるんですか?」と問い返したいです。アルバイトとサークル活動だけで、大学に行っても部室にこもりっぱなしだったんでしょうが。

コロナによって、大学は原点に強制的に回帰させられたという事実を正しく認識している人はどれだけいるでしょうか。文科省もそういうことをすっかり忘れて、だいぶ前のことになりますが、卒論は出さなくても卒業できるように制度を改革しました。結果、文科省そのものが解決すべき問題になってしまいました。

ゴキブリの話から始まったわけですが、我々が駆除しなければいけない害虫は…

これ以上はやめておきます。それより、ゴキブリを育てて餌にするほうが金儲けの種になりそうですね。



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