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男女差別 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

いまは春休み中なので、お金になる仕事はしていない。

妻は、自分のテリトリーに、お金を稼いでこない男がゴロゴロしていることがよほど不愉快らしい。

「ボーナスもないんだから、週1でもいいからアルバイトしたら。」

お金がないから節約しないといけないという話をしていたときに言われたことだ。しかし、なぜ他人である妻にそんなことを命令されなければいけないのかわらない。そんな権利が妻にあるとは初耳だ。

尋常とは思えない時間に早起きして、満員電車に揺られ、ふだんしたくもない仕事をして、夜遅く帰ってくる私は瀕死の状態である。春休みになって、「ようやく、やりたいことがやれる。ぼーっとできるぞ。自分の人生が生きられるぞ」と思っているところ(悪夢であっても、夢が見られるほど、毎日余裕がある!)、妻は、時間をお金に変換しない男は無意味な存在だというメッセージを矢継ぎ早に放ってくる。まさに針のむしろである。十字架にかけられたキリストよろしく、四肢はすでに五寸釘で固定され、身動きひとつできない。全身血まみれである。心臓をブスリと一刺しすれば、命が尽きる。

「どうせやることもないんだから、仕事をしたら。」

「どうせやることもない」とは、いったいどういう意味なのだろうか。私には本当にやることもないのだろうか。あなたにはやることがないと、他人が決めつける権利があるのだろうか。うちの妻は20年以上、ずっとこの調子で、私を使役馬のようにいたぶってきた。職場でも奴隷だし、家庭でも奴隷である。

ふだん奴隷のように我慢強い私もとうとう堪忍袋の緒が切れた。

「世の中は共稼ぎ夫婦が多いのに、どうしてうちは俺一人が生活費を稼がないといけないのか。なぜあなたは家にいるのか。お金がないのなら、どこかの会社に就職して、俺の稼ぎの半分でもいいから稼いでくればいいだろう。なぜそうせずに、ただ俺を見下すんだ。もううんざりなんだよ。もう働きたくないんだよ。いますぐこの世から消えてしまいたいと毎日思っているだよ!」

私はいったい何のために、誰にために生きているのか。嫌な思いをして、懸命に働いても、当たり前のことのように感謝されず、稼ぎが少ないとひたすら罵られる。稼ぎがない男は、何の楽しみも持ってはいけないと、言わんばかりである。夫の稼ぎが少ないのなら、妻が自分で働くか、離婚して、もっと金持ちの男と一緒になればいいのに。お前なんか、熨斗(のし)をつけてくれてやるよ。

しばしば女性は、男性に差別されていると怒る。そのとおりだ。世の中には、女性を見下すくそオヤジがごまんといる。私もそういうオヤジは大嫌いである。

しかし、女性の方も、自ら差別されて当然と思っており、かつ男性を差別しているところがある。それに気付いていない女性があまりに多いのである。男性は外で働いて、女性は食わせてもらうのが当然だと考えている女性は、男性を差別している。

労働者階級の一般家庭であるにもかかわらず、専業主婦は当たり前みたいな考え方は、昭和40年代頃から始まったものあって、有史以来、日本にはそんな贅沢なことは相当なお金持ち以外許されていなかった。それがいつのまにか定着し、専業主婦は恥ずかしい存在ではなく、むしろステータスみたいになっている。大学を卒業した女性が仕事もせず、「家事手伝い」を名乗ることが許された時代も平成の初期まであった。

逆に、「専業主夫」は、人間のクズ扱いである。私は専業主夫ではないが、長期休暇で家にいるときは、なぜか「専業主夫」扱いになる。その生活に本当に辟易している。

フェミニズムというのは、女性も男性と同じ地位を獲得することを目指す運動だ。その考えは称賛すべきことだ。しかし、フェミニストの多くは、男性も女性とは違う形で生きづらい状況に直面していることを知らない。

フェミニズムの中核にある理念は、男性も女性もともに暮らしやすい社会の構築であるべきだ。しかし、そんな社会で暮らせるようになるには、まだまだ年月がかかりそうだ。くそオヤジどもが全員死ぬこととが必要だ。

しかし、その前に、私に死が訪れるのは間違いない。

もう何もかもうんざりだ。ニッポン、死ね。