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論破?論駁? [資格・学び]

渦中の論破王・ひろゆき氏に堀江貴文氏「うぜえな」のあきれ顔 | FRIDAYデジタル

フランスにおける差別の話はよくわかりませんが、西村博之氏の「論破」には欠陥があると思います。こういうことは勝負の問題ではありませんが、この勝負はホリエモンの勝ちでしょう。自分の矛盾を理解した上で、自分の夢を実現しようと頑張っていると主張するホリエモンのほうが大人です。勝ち負けだけで遊んでいるという姿勢は幼稚です。

論破なんてものは、時間や情報リソースの制限があるからこそ可能なのであって、時間や情報を無制限に拡大したら、ひろゆき氏の視野の狭さが露呈するだけです。人間には限界があるということを受け入れたほうが勝ちです。「負けるが勝ち」とはよく言ったものです。ひろゆき氏はそこがわかっていません。

こういうふうにメタレベルから攻めても、ひろゆき氏は敗北宣言を出さないはずです。出したら、ゲームオーバーになるからです。彼の飯の種を失うことになるからです。そんなゲームに付き合えるほどの暇を持て余している人だけが、ひろゆき氏を相手にすればいいだけです。ひろゆき氏のカモとなった人は全員、彼の都合の良いように利用されるだけですから、相手にしないのが良いと思います。馬鹿は相手にしないのが、いや馬鹿を生暖かい目で見守るのが、大人の態度です。

「論破」を辞書で確認すると、「 議論をして相手の説を言い負かすこと」とあります。この定義を見て疑問に思うのは、勝敗は誰が判断するのかということです。勝ったと思った側が勝利宣言を下しただけなら、それが錯覚であるという可能性を否定できません。もちろん、第三者がその事実を認めたとしても、第三者の誤審を否定できません。人間というのはその程度の生き物です。ボクシングなら、物理的に相手が立ち上がれなくなるので勝敗は明確ですが、知的なもの場合(ボクシングにも知的なゲームの側面があることを否定しているわけではありません!)、雌雄を決するのは難しいと思います(男女差別しているわけではありません!)。

「論破」は英語では"refute"というのだと私は記憶しています。"refute"を辞書で調べると、"If you refute an argument, accusation, or theory, you prove that it is wrong or untrue." と書いてあります。"refute"という行為には、相手の説が間違っていることを正しく証明する過程が含まれていなければいけないようです。実際のところ、ひろゆき氏は丁寧な証明を行っているのでしょうか。していないのであれば、"refutation"という意味の「論破」はできていないということです。つまり勝っていないのです。

論破に似ている単語としてよく使われる熟語に「論駁(ろんばく)」があります。こちらは「議論して、相手の説の誤りを非難・攻撃すること」という意味です。単純に攻撃で終わる行為です。勝利したかどうかは別問題です。要するに、言いっぱなしです。ひろゆき氏の「論破」は「論駁」レベルなんじゃないかと個人的には思っています。