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【マスク自作】GW中のお父さんお母さんチャレンジしてみては? [雑感・日記・趣味・カルチャー]



私には真似できません。ミシンもないし。

それはそうと、もうすぐマスク不足が解消されるとのこと。ボッタクリ業者から買わなくて済むようになりますね。数ヶ月前まで50枚で500円程度だったものが、3000円で販売されるようになって、突然のインフレに腰を抜かしましたが、しばらくすれば誰も買わなくなるので、投げ売り状態が期待できます。

おしゃれの一つとして布製フェイスマスクが浸透するかもしれませんね。給食係みたいなアベノマスクは論外ですけど。


【焚き火×発電】焚き火するだけで電気が溜まる!?BioLiteを使ってみた!&使い方紹介【防災】 [マネー・買い物]



薪の炎で風を起こしてタービンを回すという仕組みですね。原子力や火力発電や水力発電とまったく同じです。

Kiroro - 未来へ [音楽・楽器]



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冨田麗香「ファイト」(中島みゆき)2014.5.30@高円寺路上 [音楽・楽器]



以前にも紹介したことがありますが、冨田さんの「ファイト」が一番心に響きます。

みんな、戦っているんだよね。

原曲と違って、転調しないので、楽に合わせられるのもいいです。



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サンサーンス『白鳥』 [音楽・楽器]





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家庭内暴力と人類の暴力の話 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

先日、「自粛ケーサツ」の目をかいくぐって、実家に単身帰省をしたのですが(高齢の母親の命令ですから仕方がありません)、そのときに母親からいろいろ教えてもらいました。

弟夫婦は医療従事者で、子供二人はまだ小学生。学童保育にも預けられず、毎日両親が孫を預かっています。兄弟は2歳しか離れていないので、毎日大喧嘩をするし、宿題はやらずに、ニンテンドースイッチ三昧。我慢の限界を越えた弟の妻が、とうとう長男を殴って泣かせてしまったのだそうです。弟の妻は、「私は働くお母さんなんだから、あんたたちがちゃんとしてくれてないと、困るのよ」と言いながら、長男を追い詰めた末に殴って泣かせたんだそうです。見かねた私の母が、弟の妻を叱りつけたそうです。

最悪の状況です。

医療関係者のストレスは私のような無関係の人間には想像できないほどのものでしょう。イライラが募っているのはわかります。しかし、手を上げるのは良くなかったし、私の母が、弟の妻に説教するのもよくありませんでした。こういう場合は、私の母は、間に入って、弟の妻の気持ちを理解しながら、子どもたちに協力を要請する方法を取るべきだったと思います。私なら、子供に「お母さんはね、日夜、自分の命の危険を感じながら、患者さんのために働いているんだよ。君たちがしっかりしないと、お母さんは、頭がパンクしちゃうでしょ。君たちがお母さんに協力しなかったら、どうなっちゃうと思う? わかるよねえ。だから、お母さんに叱られなくても、自分で時間を決めて、宿題をして、お母さんを喜ばせてやったら?」とでも言うと思います。

この頃はみんなストレスがたまってイライラしている状況にあるので、誰かが「共感」してやらなければいけません。あれこれ、命令したり、叱責したりすることだけが教育ではないのです。「共感」も教育です。

話のついでに、私は母からある告白をされました。私が小学4年生のときに、学校の体育の時間の水泳教室に行くことを嫌がって登校拒否し、それに苛立って母親は私を殴ったことがあるというのです。私は殴られたという記憶がまったくありませんでした。いまも体育の授業はそうなのかもしれませんが、できる人だけを相手にして、できない人を指導するという意識がない先生が多いので、泳げない子供は、水の中に入って、とにかく泳げと言われるだけです。サッカーでもルールなんか教えてもらえず、とにかくボールをこんなふうに蹴るんだと言われ、チーム分けされて、あとは時間まで勝手にやってろで終わりです。そういう無責任で暴力的な教育が嫌でたまらなく、泳げない私が登校拒否をしたことは鮮明に覚えています。しかし、母親に殴られたことで恨みを抱いた記憶は、脳みその引き出しをいくら探しても見つかりません。体育の授業(教育制度!)への恨みは忘れませんが。(母親には私がなんにも恨みを抱いていないということがわかるような受け答え方をしておきました。)

話を戻しますが、家庭内での虐待というものは、必ずしも親の人間性の低さを反映するものではないと思います。社会制度を改善すれば、解決できることが多いと思います。テレビで毎日、子供への虐待のニュースが流れます。メディアも視聴者も警察も裁判所もみな虐待する親が悪いと決めつけます。果たして、そうなのでしょうか。無責任な我々が作り上げてきた社会制度の不具合こそが、虐待を永続化していると考えるべきではないのでしょうか。幅広く社会全体を見るマクロな視点を持つと同時に、苦しんでいる人に対する「共感」を忘れないようにするミクロな視点を持たないと、人類は野蛮な世界に逆戻りし、滅びてしまうかもしれません。いままさに、世界各国で差別が悪化し、人類の野蛮化が再発しつつあります。コロナよりもそっちのほうが危険です。コロナのあとに訪れる恐ろしいことというのは、文明の崩壊かもしれません。



クルマの修理動画を見ると、スッキリします [雑感・日記・趣味・カルチャー]

クルマの修理動画を見ていると、気持ちがスッキリとして落ち着きます。理由は単純です。修理動画の多くは、こうすれば直るとか、こうして直せたというものばかりだからです。動画内では、確実にクルマが直るんです。直そうと思えば、直せるのです。昨今の状況下では、そんな当たり前のことが当たり前に感じられなくなっています。だからこそ、車の修理動画を見ると、希望が持てるようになって、気持ちが落ち着くというわけです。

私は以前からクルマの修理動画を見て、古くなってしまった自分の車の不具合を自分で直し、それによって、まるで劣化した自分が修復されるかのような錯覚に癒やされてきました。私はクルマの修理だけが好きなのではなく、家の中の不具合を見つけてひとつひとつ潰していくことも好きです。家自体も直しますが、持っている家電やパソコンも自分で直します。自分で修理するという行為は、人に満足感を与えてくれるし、気分を明るくしてくれます。

修理もいいですが、習得も気持ちを明るくしてくれるものです。習得というのは、もちろん学びのことです。いままでできなかったことができるようになると、自分自身の進歩を感じます。人は何もしないでいると、どんどん劣化していきます。筋肉が落ちるように、能力も低くなっていきます。それを感じないようにするために、今まで自分が知らなかったことを知り、できなかったことをしてみるということが必要です。若い頃、私は英語以外の言語をいくつか同時並行で学ぶという遊びをしたこともあります。ざんねんながら、ほとんど身につきませんでしたが。いまは複数の楽器の演奏を楽しんでいます。ある程度演奏できるようになると、大きな進歩を感じられない日々が続きますがませんが、それでも確実に長期的な進歩は感じています。私の場合は、ふだん使う機会の少ない小指の付け根の筋肉痛が癒えると、進歩した気分になります。

この数ヶ月、急に「自粛ケーサツ」がうるさくなりだして、うんざりしています。実家に帰るな、旅行に行くな、海へ行くな、山へ行くな、飲みに行くな、外食もするな、買い物にも行くな、葬式も結婚式もするな、公園にも行くな、と何でも禁止、禁止です。咳をした程度でも周りから白い目で見られます。家では、乱暴な妻がドアを勢いよく閉めたり、ガチャガチャと大きな音を立てて食器を食器棚にしまう音に怯えて暮らしています。その攻撃の刃がいつ私に向かってくるとも限りません。そんな内憂外患に苦しめられているのは私一人ではないでしょうけど、少なくとも、そういうつまらないことがいちいちストレスにならないように、我々は精一杯努力をする必要があると思います。

「ソーシャルディスタンス」という言葉の認知度が日本では100%近くまで高まっていると思います。私はこのブログでも昔からコメント欄を閉ざし、ソーシャルディスタンシングという概念を知る前から、他人との距離を取っています。それは他人から不必要な影響を受けないためです。影響には、受けるべき影響と受けてはいけない影響があるのです。こういうネット空間では、受けてはいけない影響の量のほうが多く、自分自身の日常生活を不自由にする材料になってしまうというのが、経験上わかっているので、私は他者を避けている次第です。

しかし、そうやって、不愉快なコンタクトを避けていても、このコロナ禍では、人の心を病ませるような無神経な情報が毎分毎分飛び込んできます。もはや避けようがありません。こういう状況では、あらゆるものに対して無神経になる訓練が必要なのかもしれません。

世の中には、変わり者も多いので、逆に、自分を苦しめるような不快な情報を探し求めて、テレビやネットニュースを見るような中毒患者もいるかもしれません。悪い情報を聞くと安心するというような変なやつもきっといるはずです。その状況を見て、他人を攻撃し、自己満足を得、自分の能力の高さを誇示するという不愉快な輩です。「自粛ケーサツ」(ホリエモンの言葉だと「自粛厨」とか「ゼロリスク厨」)もその仲間ですし、ホリエモンみたいなやつもその仲間です。

彼らを一掃する方法はないものでしょうか。おそらく、人類はいまだそんな愚かさから脱却できていないと思いますので、そんな愚者たちから距離を置くために、私はそういう情報をできるだけ遠ざけることにしました。