SSブログ

母に電話をしてみました。 [マネー・買い物]

1週間前に入院した母親が、そろそろ退院した頃だと思って、電話してみました。持病が再発したため、急遽救急車で病院に運ばれ、輸血を受け、3日間も個室で絶食状態で過ごしたそうです。以前の元気さはありませんが、なんとか生きている感じでした。わたしも長男の受験が終わったら、できるだけ早く、息子たちとともに母の顔を見に行きたいと思っています。

ところで、母は、退職後ずっと投資信託の分配金を毎月受け取っています。両親ともに元公務員ですから、年金はたっぷりもらっているし、貯金もありますから、お金の心配はまったくありません。両親の年金と投資信託の分配金を合わせたら、わたしの月給よりもはるかに多くなります。

そのような生活を危機に晒す恐ろしい事が起きるような気がしています。今回は、リーマンショック並みの世界同時株安に見舞われそうな予感がするのです。そのため、わたしは母にいったん投資信託を解約するように伝えておきました。毎月の分配金は比較的大きなものなので、それを失うのは確かにもったいない気がします。しかし、かりに元金が20%以上減った場合、その損失は、年間の分配金の額よりも大きくなるはずです。元金が減れば、分配金もいずれ減るはずです。わたしなら、自動機械のようにロスカットをすると言っておきました。大きく下がれば、その反動が起きて、いずれまた騰がるのはわかっているのですから。

実は、明後日(火)にふたたび銀行に行ってその話をしてくる予定だったそうなので、わたしよりも耳ざといようです。釈迦に説法でした。

経験上、12月から1月にかけては、地合いが悪いことを母は十分承知しているとのこと。しかし、今回は、9年に1回の大恐慌が来るに違いありません。このショックはそんなに軽いものではないはずです。

もちろん、わたしの予想がハズレたら、ハズレたで、たいへん喜ばしいことだし、わたしを笑ってくれればいいのですが、ただそれは恐慌が来る時期が先に伸びただけなので、そのときの下落率はさらに大きくなるだけでしょう。損失の割合もそれに応じて増えるわけです。

2008年の金融恐慌(リーマンショック)の打撃を軽視して、あとで笑いものにされたのが麻生政権です。麻生太郎は今、安倍政権の副総理。またもや、「実体経済を鑑みれば、日本経済に与える影響は限られている」などとしたり顔で言って、再び世界中の笑い者になるのでしょう。

こういう状況では「君子危うきに近寄らず(A wise man does not court danger)」という格言通りに行動すべきです。何も危険がなかったらなかったで、それはそれでいいのです。「羹に懲りて膾を吹く」などと笑いものにされても、危険を察知できずに、飛び込んで猛獣に食われてしまうよりははるかに賢明です。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」だって、つねに当てはまるとは限りません。

そういえば、ネットで、君子を君主などと書いている人がいました。「君主危うきに近寄らず」という言い方もあるのでしょうか。確かに、君子は君主のことですが、現代日本語では、君子は特に道徳的に優れた人物のことを指し、君主は国王とか領主のことを指すとわたしは認識しています。

それにしても、我が国の君主は君子からは遠くかけはなれているので、みずから危うきに近づいて、猛獣をけしかける、きわめて徳の低い人物ですから、とんでもない事態に発展しそうです。


ダウ急落を利用して、空売りで大儲けできたら、いいのになあ。 [マネー・買い物]

YouTubeを見ていたら、ダウの急落を利用して、空売りで何百万だか何千万だかわかりませんが、大儲けしている人がいて、目敏いなあと感心しました。ぼーっとしているわたしには、そんなことはまったく思いつきもしませんでした。あいつはきっとポルシェとかフェラーリとか家とかその金で買っちゃうんだろうな。うらやましい。

わたしもダウが急落する直前に(1日前ですが)、大恐慌が来ることを予知しました。(18歳くらいまでは、自分の地震予知が当たって自分でも驚くことがよくありました。気持ちの悪い能力ですね。)しかし、空売りの方法も知らないので、大儲けするチャンスはありません。

ここから1、2か月は下落トレンドが続き、ダウも日経平均も20%以上下落すると予想します。ということは、日経平均の場合は19,000円前後になるということです。

もしそうなったら、安倍政権は、憲法改正どころではなくなりますね。アベノミクスによる株価回復は、木っ端微塵に吹き飛びます。企業の大量倒産によって労働者不足もきれいに解消するでしょう。金融株が騰がり出すと、ひと相場が終わりと昔から相場が決まっているので、そろそろ日本株の上昇も終わりだと思います。外れるかもしれませんけど。

結局、安倍総理は政治を私物化し、借金を増やして、日本経済をより一層悪化させ、労働者を奴隷化し、エンゲル係数を上げた最悪の宰相の一人としてと記憶されるのでしょう。

直近で日経平均が最安だったのは、麻生政権のときですが、今あのアホー太郎は副総理の座に居座っています。ツートップがバカなのですから、日本はどうしようもないクズ国家です。

わたしは、日経平均が19,000円台まで下がったら、再び株を買おうかと考えています。下落時の空売りで儲けられれば、利益は2倍になるのですが、信用取引で失敗して人生を棒に振りたくないですから、そういうことには手を出しません。

仮想通貨バブルが崩壊し、いままさに株バブルが崩壊しようとしています。昼間犬の散歩をしてきたら、先日書いた中古住宅と新築住宅の値段が変わっていました。中古の方は、3300万円だったのが3100万円。新築の売れ残りは4400万円が4080万円になっていました。不動産バブルも崩壊しつつあります。これで森永卓郎さんが正月に言っていた、「トリプルバブル崩壊」が完成するわけです。

バブル崩壊後ですね、わたしら貧乏人が儲けるチャンスは。


選挙に行ってきました。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

th_IMG_20180204_152530.jpg

th_IMG_20180109_171515.jpg

市長選に行ってきました。お昼頃この子の散歩ついでに投票所に行ってきました。投票しなくても結果が予想できるのですが、「運動」のためです。その時点での投票率は8%ほど。驚くべき低投票率。

沖縄の名護市長選の方は、日本の将来(憲法改定、日米地位協定)に大いに関わるため、激戦となっていて興味深いですが、うちの地元は何の問題はないので、現職が勝つはずです。そうではなかったら、驚天動地です。ありえませんね。

名護の方は、辺野古基地移設反対の現職が自民の押す候補者に負けたら、意外なことに、明日の日経平均株価は上ってしまうかも。そうなったら、本当にびっくりしちゃうよなあ。でも、日本はアメリカの意のままに操られる駄目な国であることが証明されるわけです。

5 Books That Will Change Your Life - Blinkist Magazine

英語の自己啓発本。

「心臓がドキドキしているときは(心拍数100以上)、あまりに感情が高ぶって、合理的に考えたり、判断できない状態です。では、感情に支配されず、物事を上手に決められるようにするにはどうすればよいのでしょうか。そのコツをゴウルマンはわかりやすく教えてくれます。」みたいなことが書いてあります。

家計がキツイっす…2018年は"異例の値上げ"が相次いでいる - NAVER まとめ

値上げラッシュ!

ポンジュース、タバコ、ビール、モスバーガー、クリープの値上げは我が家にはまったく関係ありません。

困るのは、野菜とゆうパックの値上げ。しかし、野菜は、いずれ安くなるので、それまではもやしと豆苗で我慢していればいいでしょう。じゃがいもや玉ねぎは別に高くはありませんし、業務スーパーなどで輸入品の冷凍野菜を利用すれば当座はしのげるはずです。

考えて応答してくれる。スマホとつながるAI搭載ドアホン「Belle」

英語版しかないので、これを我が家にインストールしたら、営業の人たちはみなびっくりして逃げていくかな。その映像も記録できるので、おもしろいビデオが作れそう。

Household robots: more than just expensive toys… | Technology | The Guardian

留守番は、頼りにならない犬ではなく、こういうロボットに任せたほうがいいかな。強盗をねじ伏せるくらいの怪力を持つろロボットの登場をお待ちしております。でも、そんなものを作ったら、戦争の道具にされるのかな。

コインチェックの被害者を見下す人たち [マネー・買い物]

仮想なのはコインだけじゃないよね:日経ビジネスオンライン

コラムニストの小田嶋隆さんはさすがに的を射たことを言う。

われわれは、自分に利益をもたらさない情報であっても、他人の損害を伝えるニュースであれば、その情報から一定の心理的充足を得ることができる。メディアのある部分は、その種の情報を売買するために運営されている。


以上のようにメディア批判のジャブを繰り出してから、小田島オジサンは被害に遭った人たちに向けられる罵声に着目する。

テレビやネットには、仮想通貨のハッキングの被害を被った人たちに対する罵声が溢れかえっている。お笑い芸人の被害者など笑いのネタにすらされている。批判する側の声の多くは「やっぱり額に汗して働かなければいけない」とか「日本は製造業の国なんだから、投資なんかで儲けようとするやつが悪い」などというものばかり。それらは、そもそも資本主義というものを理解できていない馬鹿どもの声だ。金利で儲けることがいけないなら、彼らが勤める会社に融資する銀行などの金融機関すらいらない。そんな彼らの馬鹿丸出しの奴隷根性を逆に罵るところこそが、小田島さんの信頼できるところである。

仮想通貨に夢を抱いた人たちの多くは、この世の中で成功できていない人たちだった。そんな人々に無慈悲な罵声を容赦なく浴びせる人たちの心の中に潜むものは何か。それは、弱者への軽蔑である。仮想通貨などに投資しなくても豊かに暮らしていける人たちは、自分たちの労働力に見合った給料をもらって、将来も安定した暮らしが保証されているような人たちなのだろう。そんな彼らは非正規社員やニートをしばしば見下す発言をするが、それと同様に今回の仮想通貨の被害に遭われた人たちへの罵倒は、彼らのいつもの薄汚い「上から目線」が露呈してしまっている。非情な日本人の大好きな自己責任論である。

なにゆえ、仮想通貨に夢を託すのか。それは、法定通貨には夢を抱けないからである。日本社会から弾かれてしまった貧困層は、額に汗して働いても、ブラック企業に搾取され、死ぬまで低賃金で働かされる。しまいにはAIロボットの導入によって、いずれお払い箱にされる運命だ。そのような過酷な現実を知っているからこそ、彼らは仮想通貨に夢を託したのである。(いまだに夢を持ち続けている人もいる。)

仮想通貨は、ブロックチェーンという技術を使っている。それは、ドルや円やユーロなどのような法定通貨とは異なり、国家や国家間が通貨の価値を取り決め、保証するものではない。仮想通貨投資家たちは、国家を信頼しない人たちなので、国家に依存せず、自分たちでお互いに支え合うというシェアリングエコノミーに似た仕組みに共感を寄せる。NEMという仮想通貨は、まさにそれを売りにしたコインであり、仲間内で交換すればするほど価値が上がるという仕組みになっている。それこそがシェアリングエコノミーに親和性の高い人たちの琴線に触れたのである。

このポイントを完全に無視して、被害に遭われた人たちに、「ざまあみろ」というようなことを言ったり、仮想通貨なんて子供銀行のプラスチックのお金みたいなものだと勘違いしている人は、仮想通貨の問題が提示した重要で深刻な論点を全く理解できていない。あまりに知性が低すぎる。

仮想通貨に夢を抱いている人たちの多くは若者だ。これが何を暗示しているのかを想像できないのであれば、彼らのほうがむしろ品格も知性もない軽蔑すべき存在だと言わざるをえない。

教育の見直し [資格・学び]

昨年の今頃、わたしは転職を考えていました。今の仕事を完全に辞めてしまう勇気もなかったので、3月から工具屋でバイトを始めました。次年度からの年収減を少しでも補えればいいと思いました。しかし、すぐさま本業の依頼があって、2週間ほどでバイトは辞めることにしました。

中年になってからのバイトは、かなりストレスフルなもので、わたしには商売の適性はなかったようです。年齢のせいか、物覚えも悪くなり、ますますマルチタスクが苦手になってきていることも原因でしょう。しかし、わたしが知らない世の中の勉強をさせてもらい、有意義な時間を過ごせました。お金や商品や労働時間の管理、商品のディスプレイの仕方、掃除、客対応(万引きの見張り、買ってもらう方法)、社員との人間関係(力関係)など、いろんな側面で学びや気付きがありました。これまでわたしは教育の世界しか知りませんでしたから、商売の世界の考えが非常に新鮮でした。

しかしながら、教育者の観点から、ビジネスの世界での教育には大きな問題があることを強く感じました。わたしが働かせてもらったお店は、なぜか社員教育はありませんでした。現場で複数のことをいっぺんに教えらられ、いきなり実践から入るのです。とにかくやってみてくださいと言われるのです。他の店員の行動を観察する時間は非常に短く、そのやり方の説明も、要領を得ないので、聞いていてもわけがわかりません。

どうしてそういうことをするのかとたずねても、「うちの店ではそういうことになっています」で終わりなのです。とにかく、そのやり方を真似るしかないのです。仕方がないので、親切そうなパートさんに頼って、教えてもらいながら作業をするのです。これは他のパートさんの仕事を邪魔しているだけのようで、非常に気が引けます。誰かの役に立つというより、他人の邪魔をしているだけですから。

教育では、なるべく、「それはそういうものなのです」とは言ってはいけないことになっているとわたしは思っています。わたしの授業では、なぜそういうことになるのか、そうせざるをえないのかを理詰めで考えていくことをします。それをしないと、教育ではなく、「お手」や「待て」のような調教になってしまうからです。覚えろって言ったら、覚えればいいんだ、自分の言うことを聞けば、報酬を与えるという方法は、教育としては前近代的です。

これまでのテストのスタイルも、わたしが考えるような教育とはかけ離れたようなものばかりでした。単語を1つ正しく覚えたら、1点分与えるというようなものです。それは機械的に覚えておけば、点数が取れる、ただの丸暗記なのですが、それを教育と見なしてきた時代はとっくの昔に終わっています。いまは、そんなことはできて当然であってというところから始まり、その上で、話の内容を正確に理解し、それに対する自分の考えを理論的かつ具体的にまとめ(データを使うこともあります)、他人にわかりやすく伝える(発表できる)ようにすることが教育であると考えられるようになってきました(とわたしは思っています)。正解は一つという前提が崩れた今、他者の多様な物の見方に触れ、柔軟な姿勢で最適解を探し続けられる能力を身につけることは、社会にとって有益なことであり、それこそ現代的な意味での教育のはずです。(そういう考えを受けて、私立中学の試験問題も変化してきているようです。)

21世紀は、単純作業ができれば、お金が稼げて、社会に貢献できるという時代ではありません。そういう作業は、機械やロボットに取って代わられつつあります。しかし、そんな古い考えがいまだに商売の世界には残っているのですから、驚きました。正直に申しますと、その会社には将来性はないと感じました。教育を重視しない会社や社会には、将来性はないと思います。もちろん、店員という仕事は、ほんとうの意味での末端の仕事なので、創意工夫は必要ないのかもしれません。大学院の博士後期課程まで行っているわたしのような人間がする仕事ではないのは明らかですが、それにしても、大きな問題があると感じました。

わたしのバイト先には、体系的な従業員教育がないばかりではなく、当然のごとく、従業員が独学するためのマニュアルさえも用意されていませんでした。即戦力になる人を使うだけで、教育にはお金をかけないというようなビジネス手法が、このデフレの20年間に日本中に広がってしまいましたが、そういう企業は、これからは落ちぶれていくのでしょう。現場で教える余裕もないので、社員教育を大学にアウトソーシングする時代が続いてきましたが、そんなものすでに終わっています。というより、始まってもいませんし、始める必要もありません。

少子高齢化による人口減社会、労働者不足に対応するためにも、末端であろうがなかろうが、「教育」のあり方をもう一度見直す必要があると思います。


杞憂と危惧 [コンピュータ・ネット・テレビ]

先週末のNYダウの急落に関して、テレビやネットでは、火消しばかりだが、果たして明日からの世界の株式市場はどうなるのだろうか。ダウの急落は、下落率で見たら大したことではないので、まったく心配がない、という意見が多いようだ。ダウは高値から1000ドルしか下がっていないが、日本株のほうはすでに2000円も下がっている。割合はアメリカのおよそ2倍だ。月収24万円の人が今月は2万円減って22万円になったようなものなのだけれど、心配しなくてもいいのだろうか。

(NY株の急落でも、アマゾンは上がったらしいですが、現在のPERは313倍。今の株価に見合う利益を得るためには313年もかかるわけです。大丈夫なのでしょうか。とはいうものの、アマゾン株を持っている人は、大金持ちになっているわけですから、よくわかりませんね。)

テレビを見ていたら、仮想通貨(暗号通貨)について解説するという番組をやっていた。イントロだけ見て、あきらかに学ぶところがなさそうだったので、チャンネルを替えてはみたものの、そちらもくだらなかったので、また戻ってきたら、コメントを求められた精神科医の名越康文さんが、「これまで我々はお金に利子がつくということを前提に考えてきたけれど、もともとお金は物々交換を楽にするために作られたものなのだから、交換のための媒介として使うという基本に立ち返る必要があるのではないか。そうすれば、どんどん交換されるようになると思いますよ。」などと、わけのわからないことをその場しのぎで語っていた。仮想通貨の存在意義の話から大きくズレた、あまりに頓珍漢なコメントで、呆れてしまった。そのうえ、名越さんは、自らも恩恵に預かっている資本主義経済を完全否定していることに気づいていないのだ。さらに江戸時代のように、貨幣価値が300年間ほとんど変わらないという桃源郷のような状況に戻れると思いこんでいるのが実に不思議である。日本の購買力平価がここまで下がって貧乏になってきているというのに、貨幣の価値は変わらなくていい、利子はつかなくていい、給料も上がらなくていいなどと言うようであれば、我々は外国人に不当に安い賃金で働かされるような明治時代に戻ってもいいという話になる。テレビを見ている人たちには、こういう意見は受けが良いのだろうが、冷静に考えたら、付加価値を否定すること自体、人類学的な知見からもかけ離れている。

それから、もっと問題なのは、安倍政権の傍若無人な政治の私物化である。その問題にはいっさい触れず、相撲協会の理事選挙の話を詳しく解説するような番組ばかりを流している。これまでうちの妻は貴乃花親方は憎々しいとか、日馬富士に同情するとか言っていたけれど、まったく関心を失っているというか、呆れ果てて、いまでは韓国ドラマばかり見るようになってしまった。

テレビは国民を教育する機能も持っているはずだから、少しは啓蒙的な活動もしてほしいものだ。しかしながら、テレビそのものが「蒙」になっている昨今、国民が「蒙」化することは避けられなくなっていることを危惧する。