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政坊の職業節 - 唄:上原政信 [音楽・楽器]



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信号無視話法分析の恩恵 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

蓮舫議員の6・10年金質疑を信号無視話法分析。報告書を読んでいなかった麻生財務相 | ハーバービジネスオンライン

こういうクライテリア(判断基準)を作り、(頭の悪い庶民の代表である)頭の悪い国会議員どもを啓蒙し、まっとうな議論を促進することは、民主主義の発展に貢献すると思います。

とかく、マスメディアでは、自民党の応援団が不当なほど多くいるように感じられます。彼らはまるで野党の存在意義がないかのように、奴らにはこの国を任せられない、野党は批判ばかりして代案を出さない、まとまることができず情けない、などとうそぶきます。

実際、野党の重要な役目は、代案を出すことではなく、政権与党が提出した法案の穴を見つけることです。外部の目をもって、批判をすることで、「国民が暮らしやすい社会にするために」より良い法律を作っていくのです。それが民主主義の真髄です。

したがって、「代案を出せ」攻撃で、議論することを放棄していることになります。その作戦に国民や野党はまんまと引っかかってきました。結果、マスメディアには自民党の応援団が溢れかえっています。彼らは「他者」や「少数派」や「弱者」をまるでないものかのように扱うファシスト集団に思えます。

民主主義というのは、大多数の意見のみが採用され、少数意見は無視されるという制度設計ではありません。むしろ、少数派を納得するように、大多数のものたちが努力する仕組みです。数の論理で少数派を黙らせるのは、絶大な権力で、庶民の口をふさぐことと一緒ですから、北朝鮮や中国のような国と同じです。それを民主主義だと見なす自民党の応援団のほうがはるかに情けないし、みっともないことです。

民主主義の原理を誤解したまま、自民党を支持することは、絶対王政のような時代に戻すことと同義です。これはきわめて危険なことです。いずれまた、フランス革命のようなことが起き、王様が断頭台で首をはねられるような野蛮な時代が来るかもしれません。

そんな日が絶対に来ないように、蓮舫さんのような議員が自民党と戦うことを応援すべきなのです。「長いものには巻かれろ」という時代は終わらせなければいけません。







Itchy Boots:お気に入りのバイク旅動画 [お出かけ]



Itchy Bootsさんは、女ひとりでヨーロッパ大陸をバイクで自撮りしながら旅しています。美人さんなので心配になりますが、彼女のたくましさに惚れてしまいます。

私も若い頃にこういう旅がしたかったなあと後悔することがあります。

バイクの免許を取らなかったのは今更ながら残念です。

昨晩、またもや、私の科学者不信を募らせる大きなニュースが飛び込んできました。

私は22時過ぎにヨレヨレになりながら帰宅しました。テーブルに用意されていた夕食を食べながら、妻がつけていたテレビをぼーっと見ていると、画面の上の方に「津波」の文字が点滅しました。

私が住んでいる地域では揺れは全く感じませんでしたが、しばらくすると日本海側で大地震があったという情報が入ってきました。山形の鶴岡と新潟の村上あたりの震度は6強。そのスケールを見て、再び東日本大震災の忌まわしい記憶が蘇ってきました。

なんとか夕食を食べ終わり、風呂の中にいつものようにスマホを持ち込み、津波と地震のテレビニュースを流しているNHKのホームページにアクセスし、アナウンサーの話に耳を傾けました。しばらく見続けていたのですが、津波が来る気配は一向にありませんでした。画面に写っている漁港の様子も穏やかです。街を歩く人々も慌てている様子がありません。その映像を背景にしたアナウンサーの警告的な口調だけが浮いています。おどろおどろしい口調で我々を脅かすように「1メートルの津波が来る」と言葉を頻繁に繰り返していました。「津波は何度も来ることがあります。海岸や河口付近には近づかないでください!」

今朝、再びネットニュースで確認すると、10センチの津波が観測されたと書いてありました。予測が10倍も違っていました。この精度の低さ、そして地震予知の不可能が、現代科学のレベルを物語っています。

人類はこの地球上で偉そうに振る舞っていますが、まだまだ地球を自家薬籠中の物にはできていないのです。


Ave Maria - EASY Piano Tutorial - Schubert - Sheet Music (Synthesia) [音楽・楽器]



シューベルトの「アヴェ・マリア」は、私のようなピアノ初心者が左手を使う練習として有効な曲だと思います。特に、この動画は、アレンジがシンプルで、スピードもゆっくりなので、初心者には都合が良いと思います。

近頃は、鍵の相対的な位置が目視しなくてもわかるようになってきました。また、何回も練習している曲の場合、頭を使うより先に、手のほうが先に動くようになりました。そんなふうに自動化されて、右手に余裕が生まれると、左手も少しは動かせるようになるかもしれません。

ピアノを始めてからまだ4ヶ月程度ですから、こんなものでしょう。この調子だと、左手もそこそこ使えるようになってきたなと実感できるのは、1年後かもしれませんね。諦めずに、精進します。




ドビュッシーの「月の光」もいいですよ。

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相手をイライラさせる人の特徴 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

話していて「イラつく」人の特徴 話の飛躍や言葉足らず - ライブドアニュース

相手をイライラさせる人にはいくつかの特徴があります。すぐに思い浮かぶのは、偉そうに振る舞う態度です。麻生太郎が典型的な例です。「お前は、いったい何様のつもりなんだ。国会議員というのは国民の代表であって、国民に偉そうな口を叩く権利はないだろうが!」大臣というのはministerの翻訳ですが、ministerは神の声を聞いて、信者に伝える聖職者であるのであれば、民主主義社会である現代のministerは、国民の声を吸い上げて、総理大臣(Prime Minister)に伝える役です。日本の大臣はMinisterの意味を知らないのでしょう。麻生太郎は英語が話せますが、肝心なことは全くわかっていないのでしょう。

また、相手をイライラさせる原因は、話し方にもあります。上の記事に書かれているのは、相手をイライラさせる人の話し方は、知的かつ論理的に言語を使えないということです。何事においても言葉足らずで、論理が飛躍しすぎている人との会話では、そのギャップを埋めることを絶えず強いられます。したがって、その人の話を理解するのに苦労をし、また誤解をするケースが多くなります。誤解をするたびに、話のわからない馬鹿であるかのように扱われることになります。結果、その人との会話が楽しめず、だんだん話しかけることが億劫になり、ほぼ没交渉になっていくわけです。

この記事には書かれていませんが、イラつかせる人の特徴としては、自分の話しかしない人もいます。相手(私!)にいっさい質問をせず、自分の経験談や主張のみで会話を構成しようとする姿勢が、相手をリスペクトしていない証拠です。そういう姿勢に気づくと、この人とは一緒にいたくないという気持ちになります。何のためにもならない話をダラダラとされても、時間の無駄でしかありません。

他にももっと人をイライラさせる特徴は挙げられます。たとえば、ネガティブなことしか言わないとか、逆に、ポジティヴ過ぎるとか、毒にも薬にもならないきれいごとしか言わないとか、誰かの批判しかしないとか、いろいろあります。私もきっと誰かをイラつかせていることは間違いないと思います。最近、ある知人は、私があいさつをしても、無視するようになりました。まあ、いいんですけどね。私も無視するようにしています。

【銃社会の闇】アメリカでの大量射殺事件、ほぼ毎日発生していた | BUZZAP!(バザップ!)

アメリカでは大量射殺事件が毎日起きているそうです。銃社会に暮らすアメリカ人にとっては日常的なことですから、ニュースにすらならないのかもしれません。いつものことですね、くらいな反応なのでしょう。アメリカはやはり狂っていますね。

200万円損した人も!「保険ショップの無料相談」という落とし穴(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

無料で相談に乗ってくれるからと言って、保険ショップの従業員がタダ働きしているとでも思っているのでしょうか。彼らは保険会社からのリベート(キックバック)をもらっているに決まっています。彼らもビジネスでやっているわけですよ。さもなければ、どこで利益を出すのでしょうか。テナント代も支払わなくちゃいけないし、従業員の給料も支払わなくちゃいけないし、完全無料で相談に乗ってくれるような善意の塊の人がこの世知辛い世の中にいるわけがないではないですか。そんなことも想像できない人が、ころりと騙されるわけです。

バーンアウト症候群? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

バーンアウト症候群とは | アスク・ヒューマン・ケア

燃え尽き症候群になった私:こころの病 克服体験記|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト

この手の記事を読むと、私は「うつ病」というよりも、「バーンアウト症候群」に近いのかもしれません。私は専門家にうつ病という診断を下されたこともありませんし、誰も私のことをうつ病だと思っているわけでもありませんし、私が勝手に自分のことをうつ病的だと思っているだけです。きちんと仕事をこなしているので、医学的にはうつ病なわけはないのですが、職場の私と、家にいるとき私では別人です。家にいるときの私は、セミの抜け殻のようです。この症状は東日本大震災のショックと安倍ゾンビ政権の復活とともに始まりました。

「バーンアウト症候群」というのは、頑張りすぎたせいで疲れ果て、やる気を失ってしまう状態のことです。私みたいな真面目な人間がなるもののようです。そうならないように、がんばって手を抜こうとしても、なぜか責任感や使命感を持って仕事に取り組んでしまい、結果、無駄に仕事を背負い込み、時間に追われて疲労困憊してしまうのです。このところ、1日が終わると、完全に燃え尽きてしまって、どよーんとしています。週末も、平日に片付けられなかった書類の山を横目に、虚空を見つめています。

たまった書類を片付けても無賃労働なので、虚しさを覚えます。そのせいで、違うことをやりたい、仕事を忘れたい、逃亡したい、どこかに行きたい、ズル休みしたい、ひとりになりたい、癒やされたい、貯金通帳にお金が貯まるのを見ていたいという気分になります。ところが、現在にも未来にも私には絶望しか見えません。

そんな私にとっての唯一の希望は、あのゾンビ野郎が血祭りに遭って、悶え苦しみ、そして息絶えるのをせせら笑いながら見つめることだけです。その日が来るまで、もう少し生きてみようと思います。

ちなみに今朝も4時起きでした。まだ夕方ですが、寝そうです。


三線のカラクイの滑り止め [音楽・楽器]

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三線のカラクイの滑り止めとして、バイオリンやチェロ用の松脂(rosin)を注文しました。2ヶ月くらい待つのであれば、70円くらいで買えるようです。私は1ヶ月以内に届けてくれるところで、130円で販売されているものを選びました。アマゾンだと、300円から500円で販売されているようです。三線用のものは1000円以上します。三線のアクセサリー関係は価格設定が異常です。


またもやアマゾンを騙る詐欺メール [コンピュータ・ネット・テレビ]

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いつもの幼稚な手口ですね。

連絡先の電話番号は03-5757-5252ですが、詐欺に使われていることがすでに知られています。

「アマゾンを更新できません」という日本語が理解不能です。もしこのメールの書き手が日本人だったとしたら、よっぽど勉強ができなかった人なのでしょう。

寿司1貫って1個? [食べ物・料理]

先日同僚と話をしているときに、寿司の話題になりました。私は、寿司を最後に食べたのは去年の夏でしょうか。回転寿司に行くお金もないし、白飯を食べないようにしているので、寿司はめったに食べません。そんなふうに寿司を遠ざけているせいか、家族全員、刺し身も生臭く感じるようになって、いつしか食卓に上らなくなりました。

かつて寿司を食べていたときは、私は7皿食べるのが普通でした。頑張って8皿です。それに対して、件の同僚は、20貫がデフォルトだそうです。それを聞いて、私は「え〜!」と大声を上げてしまいました。私は1貫という単位を、2個分だと思ったからです。つまり、彼が40個も食べると思ったのです。

20個でも多いですけど、40個はあまりの大食いですね。それ以上ツッコミはしませんでしたが、もしかしたら彼は20個という意味で20貫と言っていたのかもしれません。

先ほど、たまたまテレビのニュースを見ていたら、回転寿司屋のCMが流れました。そのCMの中で、1貫を1個という意味で使っていることに気づきました。

念のため、ネットで調べてみると、多くの人は1貫を1握り(1個)の意味で使っていることがわかります。

お寿司の「1貫」って1個?2個? そもそもなぜ意味が揺れているのか? - まぐまぐニュース!

このサイトで見ると、「貫」は誇張した表現で、かつては1貫2個という意味で使っていたことがわかります。詳しい解説は上掲サイトに譲りますが、昔は握り1つの大きさが40gもあったそうです。それを食べやすくするために2個に分けて半分の大きさにしたとのことです。現在、1個の重さは20g程度です。したがって、1貫を2個とするのが正しいと私は思います。1貫を1個と見なす傾向は、世知辛い世の中の反映かもしれません。そのうち、1貫は、寿司の半分に切ったものを指すようになるのかもしれませんね。


やる気が起きません [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今日は週末ですから、一般の労働者は仕事をする必要はないはずです。しかし、今年はスーパーマーケットの店員さんよろしく土曜日も仕事をしています。今日も大学に行ってきました。授業の方はやる気満々なんですけど、課題の採点が億劫なのです。英文のエッセイを読んで添削したり、点数をつけるのが辛くて、2クラス分たまっています。本当は他に2クラス分の数枚が残っているので、正確に言えば4クラス分です。わざわざ視界に入るように、机の上に乱雑に積み重ねて置いてあるのですが、まったくもって、読む気が起きません。仕事はたまる一方です。こうなったら、暇なランチタイムや、通勤途中の電車の中で片付けるしかなさそうです。

自分で作文の課題を出しておきながら、採点するのが嫌だとボヤくのならば、そんな課題を出さなければいいだろうと言われてしまうかもしれませんが、作文を主目的とする授業であったり、作文を重視する授業なので、学生たちに作文をしてもらわないと、授業として成立しないのです。

今日は、やはり土曜日ですから、しっかり休むべきですね。明日は日曜日ですから、明日も何もせずに休むべきですよね。本来、休日というものは、平日で失われた体力や気力を回復するために確保されたものですから、週末にたまっている仕事を片付けず、何もしないというのは、正しい時間の過ごし方であり、誰にも責められないはずです。やる気が起きなくても、許されるのが週末でしょう。

明日6月16日は父の日だそうです。ならば、いよいよ、自分へのご褒美として、何もしないに限ります。