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「愛国者として、日本人の英語力をこのままにしておくことに耐えられない」茂木健一郎氏が“脱TOEIC”、“脱ペーパーテスト”を呼びかけ [資格・学び]

「愛国者として、日本人の英語力をこのままにしておくことに耐えられない」茂木健一郎氏が“脱TOEIC”、“脱ペーパーテスト”を呼びかけ

「TOEICはクソだ!」というのは真実です。茂木さんのおっしゃる通りです。自分で受けてみればわかりますが、そこから人生について学べることは何ひとつありません。ビジネスとか生活に特化している表層的な英語を学ぶだけです。味気ないのです。だから記憶に全く残りません。人生の貴重な時間をあんなものに費やすのは無駄です。

それをきっかけに英語に親しめる人もいるのだから、TOEICは残しておくべきだという意見もわからないでもないですが、むしろ英語が嫌になるきっかけになる可能性のほうが高いのです。この頃のTOEICの問題傾向はおそろしくひっかけ問題が多くなりました。ひっかけ問題にひっかからない能力と、情報処理能力の高さを重視する傾向が強い試験への耐性を持っている人が高得点を出せるようなテストの何が楽しいのでしょうか。

そういう能力を重視する底の浅い人にはTOEICの勉強をすることを止めませんが、TOEICのスコアが高いことと英語ができることを混同している人には、あなたのお考えはとんだ勘違いですよと申し上げたいです。一度受験してみればわかると思います。

私自身、TOEICを授業で教えていますが、教えていても面白くもなんともないです。バカバカしいと思いながら教えています。この瞬間は、時間とエネルギーをお金に変換しているんだと思って教えています。TOEICの教科書が自動販売機に思えます。私が自販機に向かって話すと、お釣りの出口からジャリンジャリンと小銭が出てくるという仕掛けです。

事程左様に、TOIECの運営者は我々にきわめて満足度の低い時間を与えていることを理解してもらいたいですね。とにかく、TOEICはくだらなすぎるんです。内容が何もないのです。学校の国語の授業で不動産広告を読んで勉強させられるなんて考えられますか? そんな広告は、わざわざ勉強しなくても、誰でも読めるでしょう。英語の広告だって同じです。他のもっと深い話を学んでいれば、不動産広告や新規開店やバーゲンセールのお知らせとか、顧客のメッセージとか、苦情のメールとか、そんなものはわざわざ学ばなくても誰でも読めるようになるのです。わざわざ学ぶ必要がないものを、ありがたがって勉強している日本人というのは、滑稽極まりありません。

英語業界としては、お金儲けのタネになるので、TOEICで高スコアを取ることはアドバンテージになると喧伝しますが、そういう連中は教育者の風上におけない腹黒い奴らばかりですね。私は彼らをいっさい信用していません。ボケナス大学ではTOEICを英語教育に取り入れることが多くなりました。あれは馬鹿な保護者を黙らせるための対策なのです。それが大学側の本音です。「本当はあんなくらだないものを教えたくはないのですが、世間で需要があるものでね、仕方がないのですよ」というのが本心です。

私も愛国者として茂木さんよりもはるか以前からTOEICはクソだと言い続けています。でも、状況は悪化する一方です。我々陣営に勝算は全くありません。せめてTOEICではなく、TOEFLに置き換えてほしいのですが、実現の可能性はゼロです。日本の愛国者は絶滅危惧種になったということでしょう。売国奴ばかりです。



「いい人生」と振り返れたら。好きを仕事にできるまで【うんともすんとも日和】032 | バッグ作家・江面旨美さん [雑感・日記・趣味・カルチャー]



話があまりに深すぎてため息しか出ません。(以下はすべて私のため息です。)この方の話のメッセージの深さは、年を取らないとわからないかもしれません。思いがけず良い動画に巡り合えました。

自分のやりたいことができず、それを時代のせいにしながら鬱々と一生を終えつつある母親を反面教師として、遅咲きだったけれども、自分のやりたいことをついに見つけてしまい、日々、独創的なバッグづくりに励み続ける旨美さん。お二人の対比が胸に鋭く突き刺さる人が多いと思います。

私事ですが、今日は妻に嘆願され、妻の実家に行ってきました。アルコール依存症とアルツハイマーが進行している一人暮らしの義父のご機嫌伺いに行くというのが主目的です。飼い犬の様子を確認するというのも大きな目的の一つです。

年老いた父親はなんとか犬を散歩に連れて行っているようですが、元来ケチな性格なので、動物病院にすら連れて行かず、肛門絞りをしばらくしていなかったようです。到着早々、動物病院に連れていき、肛門絞りと爪切りをしてもらいました。心なしか犬は不快感が取り除かれ、元気になったように見えました。その後、義父を食事に連れて行ったのですが、放っておくと、ふらふらとどこかへ行ってしまうし、注文したラーメンが届く前に食べきれないほどの山盛りのてんぷらを買ってきたりして一体何をしているのかと心配になるほどです。実は食べに行く前に、家で少し食べていたようです。老人にしては明らかに食べすぎです。我々が心配して様子を見に行ったことをうれしく思って期限が良かったのかもしれません。

クルマの中で、義父に「免許を取って何年になる?」などと聞かれました。「2,3年か?」と。「30年以上ですね」と答えると、「あーそうか」というそっけない返事。2、3年というのはうちの長男と私を混同していたのかもしれません。妻はいまだに「おとうさんは昔からああいう性格だから」といって、認知症の確信が持てないようですが、私は第三者ですから、客観的にボケを確信しました。

ときどきボーっと放心状態になっているところも認知症の症状に思えます。急に髪の毛も真っ白になってしまったし、足取りも覚束ない状態です。トイレも近いそうで、家の中でもお漏らしをすることがあるとのこと。また、同じ話を3回も繰り返すのも、確かに20年近く前からあったことですが、さすがにこれまでとは様子が違うことははっきりとわかります。以前は焼酎やビールを飲んで酔っ払った状態のときにそのような症状がみられたのですが、今日はアルコールが入っていないようでした。

あとで義理の妹と会って話を聞いたら、CTスキャンで脳がスカスカになっていることがわかったとのこと。要支援か要介護状態であることは間違いありません。トイレやお風呂もカビで真っ黒です。風呂も数日お湯を取り換えずいるそうです。冬は風呂にも2、3日に1回しか入らないし、お湯は浴槽に張ったままで湯垢でどろどろになっていました。妻が1時間もかけて掃除をしていましたが、完全にきれいにはなりませんでした。

犬のための水も交換していないようので、緑のヘドロが浮いていました。牛乳は20日前のものが冷蔵庫に入ったまま。食卓の上には、賞味期限が2日前に切れた唐揚げが大量に残っていました。いずれ役所が間に入ってくれると思いますが、そのまま義父を放置しておくことは不可能です。

義父はアルコール依存症が高じてDVがひどくなってしまったせいで家族に逃げられました。そのために一人暮らしを余儀なくされ、娘に預金通帳や車を隠されてしまいました。若い頃から横暴で、わがままし放題だったのですから、自業自得としか言いようがありません。

でも、犬が気の毒でなりません。前回受診したのは1、2か月前だそうですが、それから500グラムやせたそうです。柴犬の雑種のようですが、12キロでした。たしかにおなかがへこんでいました。どう見てもやせすぎです。かわいそうなので、おやつと餌をたっぷり与えて帰ってきました。本当は私が引き取って面倒を見てやりたいくらいですが、父親も犬がいなくなるとまったく一人になってしまうので、心の支えがなくなってしまうかもしれません。悩ましい問題です。

トラブルを抱えているのは義父だけではなく、義母のほうもです。詳しいことをここで書くのは控えますが、もうめちゃくちゃです。二人とも子どもみたいになっています。

私の親はふつうの親ですし、我が家のご近所の老人たちもみなふつうの人たちです。彼らと比べると、妻の両親は救いがたいほど特殊に思えます。どうしてそうなってしまったのでしょうね。私は部外者ですから、手を出すわけにはいきません。ただ傍観するしかありません。おせっかいなことをして、問題をこじらせないように、妻や義理の妹を背後から支援する程度にしておきます。

今日は、最晩年にあのような夫婦になることがないように、いまからしっかり対策を講じておこうと妻と二人で固く決意しました。義理の両親の人生は「いい人生だったね」とはまったく言えません。ひどすぎます。

ワクチンの接種券が届いた [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今朝犬の散歩から戻ってきて郵便受けを見てみると、ワクチンの接種券が入っていました。さっそく近所の大病院のホームページから予約を入れておきました。空いているのは夜の時間帯ばかり。でも、駐車場も空いているでしょうから、むしろそのほうが都合がよいです。予約日時は3月1日(火)の19時。およそ1週間後ですね。

本当はモデルナを打ちたかったのですが、今回もまたファイザーです。モデルナが打てる会場は予約がいっぱいでした。

接種券は、2回目の接種から半年以上たっている人から順番に届くそうです。うちの妻には、1回目は私が無理やり予約を入れて受けさせたのですが、2回目は予約を入れてやったのに行かなかったので、そんなアホな人のところには接種券はたぶん届かないでしょう。

私は基礎疾患持ちです。そういう事情を考えれば、ふつうの神経の人間なら夫を守るために私も打たないといけないと考えると思います。しかしながら、うちの妻は自己中心的で視野が狭い人なので、私のことなど一切考えません。他人への感謝の心は一切ない人です。父親に似たのでしょうね。

今日はこれから妻の実家に行きます。実家と言っても、アル中の老父が一人で大きな家に住んでいます。アルコール依存症の精神疾患者とは一緒に暮らせないので、家族はみな家を出ました。自業自得です。危険なので、義理の妹に、貯金通帳も車も取り上げられてしまいました。いまはお金がなく、コロッケしか食べていないというので、見に行って来ます。犬に餌を与えているのかも心配です。妻は大好物のマグロの刺身を父親に差し入れするそうです。きっとゴミ屋敷になっているんでしょうね。20年前からやたらとゴミを拾ってくる人だったので、その悪癖が加速していないといいんですけど。

ワクチンに関してですが、私はファイザーを打ったのに、2回目は3日寝込みました。散々でした。3回目もそういう状態になる可能性があるから、長期休暇中に打っておかないと仕事に行けなくなってしまいます。

ワクチンを打っても感染するし、副反応が厳しいのだから、コロナに感染しちゃったほうがいいんじゃないと主張する愚かしい人がいますが、コロナに感染するリスクのほうがはるかに大きいですよ。家族を濃厚接触者にし、多方面に迷惑をかけることになります。ワクチンの副反応なんてせいぜい3日です。1か月も家に引きこもり生活を遅らせるなんてありえません。その間の食糧調達はどうするのですか。ワクチン接種のほうがいいに決まっています。アホすぎる議論には付き合いきれませんね。


多能工化 [健康・メンタルヘルス]

多能工化とは?導入する目的からメリットまで詳しく解説 | オンライン研修・人材育成 - Schoo(スクー)法人・企業向けサービス

「多能工化」という言葉は、メンタルヘルスマネジメントの勉強をしていて初めて見たものです。最初は何を言っているのかまったく理解できませんでした。マルチスキル、マルチタスク化と言えばわかりやすくなりますね。英語ですが。カタカナ語を無駄に使うビジネスの界隈で、こんな4文字の漢字なんて日常的に使われているのでしょうか。

要するに、「多能工化」とは従業員を「何でも屋」にすることです。一人の人が複数の業務をこなせれば、社内で誰かが新型コロナ等で欠勤した場合に、さっと代行できるので現場の業務を回していけるということらしいです。これは、かつてトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)の副社長だった大野耐一氏によって考案されたとのこと。トヨタらしいですね。従業員が多能工だと、緊急時に対応できるから確かに良いように思えます。誰もが他の業務ができるというのであれば、従業員が会社に迷惑がかかることを恐れてコロナに感染しても休まないという最悪の事態を防ぐこともでき、社内や従業員のストレスの緩和につながるというのです。企業側としても、そうなると、その人ではなくても構わないので、いくらでもクビが切れるかもしれませんね。そのへんはメンタルヘルスマネジメントの参考書には書いてありませんけど。

実のところ、どんな人間でも多能工的ではあるので、別段新しい考えではありません。しかし、社内でなんでもやらせて、専門性を養わせないという発想なのであれば、私の頭の中にはクエスチョンマークの赤色のネオンが点灯します。経済評論家の伊藤洋一さんは「日本の企業や官庁は専門家を育てない。財務省の役人は3年で異動するので、金融について素人みたいに質問してくる」と呆れていました。そういう人たちが日本の最上層にいるわけですから、そりゃあ、日本が落ちぶれるのは仕方がないです。

今朝、寝床である記事を読みました。流し読みですから、誤解しているかもしれません。日本が太平洋戦争で敗北したのは、エリートを養成して戦わせたからで、アメリカが勝ったのは、誰でも簡単に戦えるようなシステムを構築したからとのこと。ゼロ戦のパイロットと知的レベルも高い青年だったことはつとに知られています。エリートを特攻させるという状態でしたから追いつめられていたことは明らかですが、そういうエリートを育てるためにどれだけのコストをかけたのか、以前、私は家族を連れて土浦の自衛隊の基地に併設されている記念館に行って勉強してきました。子どもの内からさまざまなことを学ばせ(実は敵性語の英語も!)、そうやって人材育成にコストをかけておいて、一瞬で海の藻屑にするんですから、勝てるわけがありませんね。

一方、当時のアメリカで下っ端の兵士は無教養で貧乏な荒くれものばかり。当然、移民も多かったはずです。そんな連中でも戦えるように頑丈な戦闘機を作り、とにかく弾を大量に打ちまくるという作戦です。日本の戦い方とアメリカの戦い方のどっちが有利か誰でもわかるでしょう。

方や何でもできる戦闘員、方や誰でもなれる戦闘員。高度な能力を複数持つ人材を育てるより、業務を誰でもできるように簡素化して回すほうが企業にとってはコストがかからず良いことのように思えます。

日本の企業は昔から「何でも屋」を養成するシステムを採用し、従業員は同じ会社の中の部門を数年おきに渡り歩く形。一方、アメリカの企業は専門家が複数の会社を渡り歩くと言われています。いつから日本とアメリカは逆になったのでしょうか。それとも、件の戦闘機の乗員についての説明が間違っているのでしょうか。頭が混乱してきました。