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大竹しのぶさん対談 [コンピュータ・ネット・テレビ]



大竹しのぶは正真正銘の天才ですね。

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『メンタルヘルス・マネジメント検定試験 Ⅱ種ラインケアコース 過去問題集<2021年度版>』 [健康・メンタルヘルス]

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面白くなって、どんどん進めてしまい、4章の出だしまで終えました。4章が終われば全体のおよそ半分になります。明日中に終わってしまうかもしれません。正解率は結構高いです。

ただ、間違ったところは、翔泳社の参考書のデータとは違う、古いものだったりするので、間違っても仕方がありません。そういうのはできれば過去問から排除しておいてほしいと思います。

案の定、アマゾンのレビューでも同じ指摘がなされています。解説で補足してくれてはいますが、混乱するんですよね。III種の過去問にもそういうのがあって少々混乱しましたが、II種のほうはより混乱の度合いが強い気がします。




メンタルヘルス・マネジメント検定試験 Ⅱ種ラインケアコース 過去問題集<2021年度版>

メンタルヘルス・マネジメント検定試験 Ⅱ種ラインケアコース 過去問題集<2021年度版>

  • 作者: 梅澤 志乃
  • 出版社/メーカー: 中央経済社
  • 発売日: 2021/09/25
  • メディア: 単行本




義理の父が、うちの妻に電話をかけてきて、財布がない、クルマにないかと聞いてきたそうです。先日義理の父の様子を見に行ったときに、ショッピングモールのフードコートに連れて行ったのですが、義父の財布が上着のポケットに入っているのをそのときに私も確認しました。妻は念のためショッピングモールに電話をし、拾得物として預かっていないか確認したり、クルマの中を点検したそうです。おそらく、義父は自分の家のどこかに置き忘れているのでしょう。あるいは上着のポケットに入れたままにしている可能性もあります。軽度の認知症の症状がみられるので、10年近く前から、あれがない、これがない、お前が学したんだろうと義母に八つ当たりをしているのをよく見ました。ほぼすべて義母は無関係でした。ボケというのはそういうものなのでしょうね。

夕方妻と二人で夕食の買い出しに行って帰ってきたら自治会の班長さんがやってきました。なんだろうと思ったら、次年度の役員になってくれないかと頼まれました。頼まれたのは私です。昼間家にいることが多いし、朝晩犬の散歩に出かけるので暇人に思われているのはわかっています。いまは春休みだからそういうことができているだけです。昨年度の大半は在宅勤務だったから家にいられましたが、来年度は週6日の勤務です。日曜日は課題のチェックや予習もあるでしょうから、実質的に週7日勤務になります。そのうえ、月1回で自治会の班長会議に出席するなどという時間的な余裕はありません。自治会費の回収に回ったり、市報を各家庭に配布する雑用をやっている時間もまったくありません。私は週6日の勤務に加えて、複数の資格取得も目指しているので、そんな暇はまったくないのです。まったくです。昼間からテレビのワイドショーなどを見てぼんやりしている年寄りとは違って1分1秒も無駄にできないのです。

もしそこまで頼むのでしたら、うちは自治会を脱会することを数年前から決めています。ゴミの回収は、自治会の加入とは無関係ですので、ゴミ出しをするなと言われたら、裁判所に訴えるしかありません。自治会という制度は時代に合わないのですし、実質的にご近所の高齢者の生存確認のために残存しているものだそうです。その高齢者たちも、自分は病気だからとか、足腰が悪いからとか、ボケているからと言って、役員にはなろうとしません。若い人若い人で、忙しいのでその暇はありません。だったら、自治会なんていらないでしょう。なんの役にも立っていないのですからね。


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「死にたいと主治医に言えません」の対処法【精神科医・樺沢紫苑】 [健康・メンタルヘルス]



自殺念慮を抱いている人は30人に1人くらいいるんじゃないかという樺沢説ですが、個人的には信ぴょう性があると思います。20人に1人、10人に1人いてもおかしくはないとまでおっしゃっていますが、さすがにそれは言い過ぎかも。


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【片付け】義実家のお庭を片付ける/義息子が捨て活を超える全捨てを実行!荒れ果てたお庭を綺麗にします! [雑感・日記・趣味・カルチャー]



先日、一人暮らしをしている義理の父親の様子を妻と二人で見に行ったのですが、ゴミ屋敷とまでは言いませんが、なかなかのものでした。80歳ともなると、身の回りのものは管理できなくなっているので、やはり元気で体が動くうちに積極的に断捨離を進めておいたほうが良いと感じました。家じゅう、いらないものだらけです。

台所は使いもしない食器やカトラリー、鍋で埋め尽くされ、しかも油がべたべたになった状態です。どこから掃除をしたらよいのかわからないほど。妻は、一か所掃除をすると、ああ、ここもついでに、ああ、ここもとどんどん掃除の範囲を広げていくので、「際限がないので、もうあきらめようよ」とアドバイスしなければいけないほど。一度全部処分して、一からそろえたほうが早いと思います。掃除をするにも、その前のスペースを占有しているので、掃除ができないのですから。

食卓の上も、食べかけのものや賞味期限の過ぎた食べ物で覆いつくされ、瓶詰のイカの塩辛(酒のつまみ)のふたは空いたまま。義母を追い出す前から、変わっていないですけどね。

隣の部屋に目を移すと、畳の上にも服が散乱し、天井からも大量の服がぶら下がっていて、まるで暖簾のようです。そこをくぐらないと、窓辺にたどり着けません。

窓から見る庭も乱雑です。手入れをしていないまま伸び放題の樹木が隣の家の庭にまで入り込んでいます。生ごみだか燃えるゴミだかを焼却処分する穴も掘られており、地面が凸凹です。住宅地で焚火をするので、近所迷惑になって、これまでに何度も消防車や警察車両が来て、警察のご厄介になっています。私だったら、全部伐採して、穴を埋めて、庭を平らにし、畑にして野菜でも育てたいくらいです。その庭は家が2棟は建つほどの広々とした空間なのですが、所狭しと汚らしい植木鉢やらなにやら細々としたものが放置されています。容器はすべて水が張られ、夏になるとボウフラがわき、蚊が大量発生します。近所迷惑になるから飼ってはいけない家族に言われ続けてきた鶏も1羽放し飼いになっています。義父によると、どこから飛んできたそうですが、烏骨鶏ですから、そんなわけがありません。義理の妹によると、自分でもらってきたものだそうです。

庭の奥には粗大ごみをしまっておくためのプレハブ小屋まであります。中には以前、廃棄すべき段ボール箱やら私の妻が使っていたオルガンなどが後生大事にしまわれていました。いまは義理の妹が全部処分してすっからかんです。中にホームレスを一人くらい収容できると思います。

そのプレハブ小屋を含め、庭に散乱するゴミどもを処分するのは恐ろしく費用が掛かりそうです。ジモティーでも利用して、誰かに引き取ってもらうことも検討しなければいけません。

家の中に再び戻ると、誰も使っていないタンスが何竿もあります。嫁入り道具の婚礼用の家具のようです。全体的に汚いので売り物にもなりそうもありません。あれらもすべて解体して、クリーンセンターに運ばないといけないでしょう。

さらに、私の妻が少しの期間住んでいた10畳ほどの部屋もいらない荷物が置かれて完全に納戸状態です。布団やらベッドやら、解体した赤ん坊用のベッドやら。まさにごみの山を作っています。

隣の部屋は長年義兄がいたのですが、暴れん坊の父親との二人暮らしは嫌だというので出ていきました。部屋に入ると子供の頃から取ってある玩具や子供向けの本などがそのままの状態で放置されていることに気づきます。壁や天井を見ると、なんだか茶色っぽい感じです。みなタバコのヤニのようです。エアコンも本来白いはずですが、茶色くなっています。何もかも、家じゅうにあるものが私にはゴミに見えます。

それらをすべて処分するには、2トントラックでクリーンセンターに10往復くらいする必要があるかもしれません。業者に頼んだら200万円くらいかかりそうです。たぶん我々がやるんでしょうね。生きている間も迷惑かけ放題だし、死んでも迷惑をかけるんですね。もはや、ため息しか出ません。

断捨離の話ではありませんが、部屋や玄関、トイレの照明が切れたままになって、それを取り換えようとしてカバーを外すたらしく、そのままむきだしの状態になっているところがありました。またトイレはランプ型蛍光灯が取り付けられているのですが、大昔に寿命が来ているようで、まったく明るくならないのです。父はまっ暗なところで用を足しているのです。実は5年ほど前に私が別のライトに取り換えてやったのですが、「誰がこんなことをした!」と言ってカンカンになっていたので、恐ろしくて、もう何もしないことに決めました。以来、いっさい掃除もしないし、義父を手伝うことも、コミュニケーションをとることも避けるようになりました。何かを言って機嫌を悪くさせるのは怖いからです。突然怒り出すので、できるだけ近づきたくないです。どうも、義父の父親もそういう性格だったらしいです。死ぬ前は認知症が進み、非常に暴力的になったと義理の妹に教えてもらいました。うちの妻も突発的に怒りを爆発させ、他人をコントロールしようとするタイプです。遺伝なのでしょうか。

義父が亡くなるまでは、われわれは勝手に物を捨てたりすることはできません。20年以上前に義理の妹夫婦と私がお金を出して義父のために買ってやったデスクトップパソコンがいまだに捨てられずにリビングルームに放置されています。おそらく15年くらいは誰も電源を入れていないと思います。ブラウン管のタイプのモニターですから、あれを処分するのにはお金がかかりそうです。どうするんでしょうね。私はもう知りませんよ。


メンタルヘルスマネジメントの勉強のことですが、午前中、III種(セルフケアコース)の過去問をすべて解き終わりました。1周目ですが8割の正解率でした。全部で155問あるのですが、できたけれども少し記憶が怪しいものが5つ。それらを含めても不正解は32問でした。それで十分ですね。このあとはII種(ラインケアコース)の過去問に取り掛かろうと思います。さっさとメンタルヘルスマネジメントの勉強を終わらせて、来年度の仕事の準備のしたいです。

今日は五十肩に苦しむ右肩に加えて、左肩まで筋肉痛です。昨日、数か月ぶりに自転車でサイクリングを楽しんだからです。いかに運動不足かわかりますね。

また、話が飛びますが、隣のご主人が車を買い替えました。以前、外車を買ってからまだ1年か2年しか経っていないと思います。お金があるんですねえ。私はクルマの修理をするから、クルマが好きな人間だと思われているかもしれませんし、以前はそう思っていたのですが、あまりクルマのことは詳しくないし、そんなに好きでもないということにようやく気が付きました。好きではないから、ボロボロでも修理して長く乗っているのでしょう。クルマが好きならどんどん買い替えていろんな車を試してみたいと思うはずです。女好きな人みたいにね。あ、これは余計な一言ですね。



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新しい資本主義、コロナ禍における幸福 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

ウクライナより深刻?「岸田リスク」を総点検する | 新競馬好きエコノミストの市場深読み劇場 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

山崎元さんは「本来、福祉やセーフティーネットの役割を企業に割り当てることが不適切」と書いて、岸田政権の「新しい資本主義」を批判しています。誤解に基づく経済政策は株式市場から嫌われると。一方で、「解雇されても生活ができるようなセーフティーネット(理想はベーシックインカム)と職業訓練の仕組み、さらには公的な教育・研究の充実などが必要だ」とも述べています。私には完全に矛盾しているようにも思えますが、山崎さんの頭の中では整理されているのでしょう。(ちなみに、私はたぶん山崎さんよりはるか昔からベーシックインカム派です。)

株式会社というのは、その誕生からビジネスのリスクを最小化するために株式を発行して、できるだけ多くの人に責任を分散したわけですから、株式会社に関わる従業員のリスクを軽減する義務も含まれるべきでしょう。さもなければ、従業員にのみリスクを負わせて、経営者層はいつでも逃げられる態勢を整えているというのは、労使のバランスが悪い気がします。現代的ではありません。メンタルヘルスマネジメントの観点でも一発アウトです。従業員の心と体の健康を犠牲にして、会社の業績が上がることはありません。原始的な焼き畑農業と一緒です。人口が増え続けるのならそれでいいですが、新自由主義的な企業の横暴のせで人材が枯渇しているのですよ。少子化の進行は企業と政府の悪行に起因するものです。

現在の日本経済の形を岸田総理が「新自由主義」と捉えているのなら、それは間違ってはいないと思うし、私は岸田政権を支持します。「新しい資本主義」によって日経平均株価が下がるのもやむを得ないと考えます。一方で株価が下がれば、私のような貧乏人も株式市場に参加するハードルが下がるわけですから、それはそれで一つの経済政策になっていると貧乏人の立場からは見ることもできます。さすがに小泉政権や麻生政権時代のような日経平均7,000円台というのはひどすぎますが、22,000円程度までなら別にどうってことはないでしょう。インチキなアベノミクスの化けの皮がはがれるだけです。

日経225のPERが相当に下がって、割安感が出ているそうで、日本企業の業績も悪くないそうですから、ウクライナの問題がある程度収まれば、いずれ「爆上がり」するはずです。

これもまた絶対に怒られると思いますが、ウクライナの問題は、世界中で騒ぐほど大きな問題ではないと思います。核戦争が始まるわけでもないのですし、数十年前まではソビエト連邦の一部だったわけですからね。

実は若者の3分の1は新型コロナによるロックダウンで「幸せ」を感じていたーGigazine

この問題と年齢はあまり関係がないと思います。なんでも年代別で区切るのも研究者のバイアスですよ。うちの10代、20代の息子たちはまったくストレスを感じていないようですし、50代のオジサンである私もコロナ禍でストレスが大きく緩和され、夫婦関係も良好になりました。妻とコミュニケーションをとる時間はさほど増えたわけではないですが、いがみ合うことはなくなりました。以前は毎日妻の理解不可能な怒りを浴びていたのですが、今は妻がぜんぜん爆発しなくなりました。あれは更年期障害だったのでしょうか。いまではすっかり若い頃のように穏かになってくれたので、家庭内ストレスが軽減されました。

コロナ禍が始まった直後こそ不安に囚われ、やらなければいけない仕事の量が急増しストレスフルな状態になりましたが、半年もすると手抜きの仕方を覚え、それ以降、余った時間を自分の人生を充実させるために費やすことができるようになり、幸福度も大幅に上昇しました。

全体的にみると、良いことが9割で、悪いのは1割です。1割は、帰省したり、旧友と気軽に会えなくなったことくらいです。悪いことのリストはすぐ思いつかなくなってしまいますが、良いことは数えきれません。いくらでも出てきます。ソーシャルディスタンスの徹底によってパーソナルスペースが広くなったおかげで、コミュニケーションにまつわる無駄なストレスも減りました。フェイスマスクでつねに顔を覆っていなければいけないのはつらいところですが、他人の顔色をうかがわなくてもよくなったので、気が楽になりました。相手の気持ちを誤解をして気分を害されても、表情が分からないんだから仕方がないよね、と相手を許せるわけです。また、無駄に他人(高齢者や小さな子供)に話しかけられることも減ったので、それも気が楽です。私は小さな子供が苦手です。周りに誘拐犯や性犯罪者だと見られたらどうしようかと思ってしまうのです。(自分の息子たちが小さかったときはなんとも思わなかったのですが、変ですね。)トラブルに巻き込まれないように、小さな子供が近寄ってきたら逃げるようにしています。今は向こうから逃げてくれるので助かっています。

他人とのコミュニケーションは減ったものの、内的コミュニケーションは増えました。コロナ禍のおかげで一人でいられる時間も増え、その時間を資格取得のための学習や楽器の練習などに使えるようになりました。コンフォートゾーンのちょっと外側の新しい知識が身につくとものの見え方が変わるし、それによって視界が明るくなります。また、楽器も練習をしていると、数か月に1回あるかないかですが、急にレベルが上がる瞬間があって、そういう瞬間を味わえるとハッピーな気分になれます。こういうのも自分との対話と言ってよいと思います。

数か月前まで、私はこう考えていました。コロナ禍は傲慢な人類に対して神に与えられた試練であると。だから、人類は自らの傲慢さを反省し、少し頭を冷やさなければいけないと。それはそれで間違ってはいないと思っていますが、それだけでは片手落ちのようにも思えます。そっちの解釈も正しいですが、「君たち、ちょっと働きすぎだよ。競争原理をベースにした資本主義で疲れ果てていないか? 競争だけが人生じゃないんだぞ。もう少し休んでもいいんじゃないか?」という、神様からのねぎらいの言葉にも思えます。というか、このコロナ禍そのものが人類に与えられたご褒美としても受け取れる気がします。どうでしょうか。コロナ患者を診ている宇都宮の病院の院長には、絶対に頭ごなしに怒鳴られそうですね。そりゃそうなんですけど。これまでの人類の歩みを振り返り、われわれの行く末を再検討する余裕が与えられたと思えば、ギスギスした空気に感染して疲れ果てることもなく、充実した毎日が過ごせるようになると思います。



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