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英語の「超長文」対策!1000語を超える長文でもスラスラ読む方法。慶応・一橋対策!パラグラフリーディングに頼らない!【篠原好】 [資格・学び]



篠原先生のおっしゃっていることは完全に正しいと思います。

世間で言うパラグラフリーディングは斜め読みにすぎない。それができるのはきちんと正確にかつ速く読める人。難関大学で出題される英文は英語圏の高校生が読むような文章。日本語の現代文と同じレベル。それを斜め読みして問題が解けるわけがないのと同じ。なめんじゃねーよ、ということ。英検1級レベルの語彙力を身につけ、文法的にも正確に、しかも、書かれている内容を理解できる基礎教養を身につけることを意識しないと、難関大学になんか合格できるわけがない。

大学の英語の授業ですが、私の学生にも高校時代にパラグラフリーディングとやらを教わったために、トピックセンテンスをつないで要約を作って、理解したつもりになる癖が抜けない学生がいます。そういう学生をコテンパンにやっつけるために、文章を日本語の現代文のように精読させ、パラグラフリーディングでこしらえた要約との乖離を認識させています。そのテーマについて知っていることがあだとなって、世間一般の常識にとらわれて、その文章に記されていることを予断を持って読んでしまうのです。毎年必ず、私の学生には、自分が見ている視野は極端に狭いということを叩きこんでいます。人間はバイアスの塊だが、可能な限り思い込みを捨てる努力をしなさい、Aという考えがあったら、not Aも必ず視野に収めなさいと口を酸っぱくして説いています。そんなふうに偉そうに言っていますが、自分でもなかなかできることではありませんがね。

とにかく、まずは精読です。ゆっくりでいいので、正確に読めるようになっていくと、だんだん速度がついていきます。結果、正しいパラグラフリーディングができるようになるのです。最初から速く読めるようにと思って、速く読む練習をしていると、単に雑になるだけです。それは完全に無駄な努力です。とにかく、速読ができるようになりたければ、辞書と文法書を使ってゆっくり正確に読むことです。わかったつもりになって読んでいると、その程度の雑な教養しか身に付かず、アカデミズムの世界のメンバーにはなれないのです。アカデミズムとは何かなど、基礎教養が身についている人達に対しては私が説明するまでもありませんね。






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棚田さんはモーティベーションが重要だというけれど、マリノさんは、そんなものは要らない。モーティベーションを頼りにすると必ず精神的に苦しくなる。やる気が続くのはせいぜい1、2か月。難易度の低い資格ならそれでいいが、長期間学習しなければいけないような資格試験では、続かない。必要なのは計画だけだ。予備校が作った計画に沿ってロボットのように感情抜きで作業をこなすだけで十分。余計なことを考えないことが重要だ、とおっしゃっています。私もマリノさんの考えに近いかもしれません。

しかしながら、お二人ともまったく違うことをおっしゃっているようで、まったく同じことを別角度からとらえているように思えます。つまり、モーティベーションを意識すると、モーティベーションが続かないので、それを意識しないようにさせるために、心を無にして完成の法則に従って計画的に学習する。これがモーティベーションを維持するコツということです。興味深いです。

授業中あくびばかりしていたり、寝ている学生がけっこういます。私は一切注意しません。そういうクラスの試験問題は難易度を上げて、片っ端から落としてやるのです。自業自得ですからね。

授業中に寝ているような連中というのはえてして、授業が詰まらない、教員の教え方が下手、教材が勉強にならないと言います。視野が狭い未熟な人間がよく使う、都合の良い言い訳です。そうやって、他人のせいにすることで、自分は悪くないと思いたい気持ちはわかります。

しかしながら、原因は外部にだけあるのではなく、内部にもあります。外部の人間の属人的な問題やシステムや社会の問題もあるかもしれませんが、自分自身の属人的な問題もあるし、自分自身の勉強のシステムの問題もあります。それらを客観的かつ総合的に俯瞰する能力の有無で将来が決まるのでしょうね。恐ろしいことです。




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日本人「マスク外す日」、永遠に来そうにない6理由 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース [健康・メンタルヘルス]

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心理的な側面ばかりではなく、社会的な側面と、科学的な側面と、その他の側面を考慮に入れなければいけないので、マスク装着が一概に悪いことのように印象操作をするのは危ういと個人的には思います。日本人のお家芸である「同調圧力」を揶揄し、他の国はやっていないのだから、あっちを真似しろと言っているのなら、それもまた新たな「同調圧力」なのです。それに気づかない人が「だから日本人はダメなんだ」とコメントしているのを見ると、「お前みたいなのがいるから、ダメなんだ」と言い返してやりたくなります。

平日の昼間、都内の地下鉄の中で、マスクを外しているオバサンを見かけることが多いです。そんなオジサンやお姉さん、お兄さんはいません。人目を気にしないオバサンは強いですね。

教室では、マスクを外して授業を受けている男子学生もチラホラ見かけるようになりました。はっきり言って、偏差値の低い大学に多い傾向があります。他人に合せないのか、合わせられない人のようです。

以上は個人的に観察しただけの結果と分析です。以下は、私の主観です。

また、都会より田舎のほうがマスク装着率が高い気がします。犬の散歩をするとき、私以外は屋外だというのにみなマスクをしています。中学生なんて、私のそばを通り過ぎるときに、逃げるように走り去ります。まるで私が犯罪者であるかのように錯覚させてくれます。往年の西部劇の映画では、マスクをしている人間は悪い人間でしたが、いまは逆です。常識が180度変わりました。

これも私事ですが、花粉症の季節は、他の人がマスクをしていようがしていまいが、屋外ではマスクを装着していました。ただ、コロナ禍以前は、花粉を避けたいのに、授業中にマスクをすることができず、我慢していました。風邪で咳が出るときも、授業中にマスクはしていませんでした。いまは一律でマスクをすることをお願いされているので、思考停止状態でマスクを装着できるのがけっこうありがたいと思っています。

人の集まるところでは、空気中に漂う夾雑物の濃度が増えます。雑菌や綿埃、土埃、カビ、ダニの死骸、フケなど、実は恐ろしく汚いのです。それをわずかでもフィルタリングできるのであれば、人込みの中で、だれ気兼ねなく、一生マスクを装着しつづけ生きることができるのは良いことかもしれません。

この記事の中で、日本語は英語と違い、周波数の観点で、マスクをしていても、言葉が聞き取りやすいと書いてありました。本当でしょうかね。不織布の普通のペタッとしたマスクは唇にこすれて発音しづらいし、空気の振動を抑えるので聞き取りにくいです。それを避けるために私は韓国生まれの立体的なマスク(K-94?)を愛用しています。あれだと口元に空間ができ、唇に不織布が接触することがなく話しやすいです。鼻出しマスクにもなりにくいです。

この記事によると、日本人は今後もマスクを外せないとのことですが、そうかもしれません。うちの妻は化粧をせずに外出できるから便利とか言っています。まるでマスク装着が悪いかの印象を与えようとする人が多いですが、大方の日本人は、便利な習慣を手に入れてしまったことを歓迎しているのかもしれません。

結論になりますが、マスクをしたい人はすればいいし、したくない人はしなくてもいいじゃないですか。自由なんですから、自分一人で決めてください。マスクをし続ける人を非難することで、自分がマスクをしなくてもよい状況を作ることを促すのようなやり方は悪手です。それが日本的というのです。自分の頭で考えてくださいな。

先日、同僚の友人がコロナに感染して、40度の熱と強烈なのどの痛みに4日間苦しみ、「誰だ、風邪と同じだと言っていたのは!」と怒っていたそうです。笑えないエピソードです。今日、教えるクラスにも1人コロナ感染者が出て、休むというメールが届きました。なかなか終息しませんね。



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