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カタカナ語の氾濫に反吐が出る [雑感・日記・趣味・カルチャー]

【お題】投書欄の言葉遊び いまこそ日本語の美しさ再認識|日刊ゲンダイDIGITAL

小説家の山本一力さんが、「カタカナ語」で美しい日本語を汚すなと訴えておられます。オヤジというものは、時代に迎合せず、こういう嫌味なことを言う存在であり続けたいものです。私は山本さんを支持します。

英語教師である私も「カタカナ語」に悩まされています。カタカナそのものが嫌いなわけではありません。そもそも漢字の一部を切り取ったものですから、それはそれでいいのです。しかし、英語やフランス語などを意味を歪めた上で、都合よく短縮したりして、「マタハラ」とか「アカハラ」とか「ステイホーム」だのと言っているのにうんざりしています。

私のような化石人間に大学から届くメールも、そんな意味不明なカタカナに溢れていて、当然あなたもわかっているんでしょう?というつっけんどんな感じです。嫌味です。ネット記事を読んでも、テレビを見ても、見たことのないカタカナ語だらけで、内容が頭に入ってきません。そういう私もいまネットやテレビなどというカタカナ語を使っていますが、困ったものです。

最近は、さらに、LMSのような英語の略語が頻繁に使われるようになりました。この用語に関して、大学側からは説明がありませんでした。LMSという単語を初めて見たのは去年オンライン授業が始まったときです。最初は何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。いまのいままで誰も説明してくれていません。仕方がないので、私は自分でネットで調べました。Learning Management Systemの略語だそうです。日本語に訳すと、学習管理体系です。教員が学生にオンラインで課題を出したり、学生が教員に質問したり、学生同士でコミュニケーションを取りやすくするウェブサイトということです。成績管理もしやすくなると思ったら、そこはそうではありませんでした。全然自動化されていないのです。相変わらずExcelなど表計算ソフトに貼り付けて計算しないといけませんでした。なにもかもが中途半端なのです。

オンライン授業という言葉もそれまで一般には使われていませんでしたが、急に「ハイブリッド授業」や「対面授業」という言葉も使われるようになりました。ふつうに教室に行って教える授業を「対面授業」と呼ぶことも去年初めて知りました。20年以上教壇に立っていますが、初耳です。今は教員も学生も全員マスクをしているので、どこが対面なのか、さっぱりわかりません。用語の使い方が間違っている気がします。顔がほとんど隠れているので、1年後も名前と顔が一致することはないでしょう。人形に話しかけているような気分です。人形というより、かぼちゃでしょうか。

しばしば人前で緊張しないようにするには、相手をかぼちゃだと思えという人がいますが、かぼちゃに話しかけていると思うと無駄に緊張してしまいます。

とにかく、私の記憶容量は制限いっぱいです。もう何も入りません。限界です。

「緊急事態宣言」「まん延防止等重点措置」という漢字だらけの意味不明な言葉も気になります。何を言っているのかよくわかりません。カタカナ語ではないけれども、けっして美しい日本語ではありません。むしろ醜い日本語です。

ちなみに、「緊急事態宣言」によって人々が行動を抑制する効果は2週間しか続かないそうです。それがわかったら、官僚たちは言葉を変えて、カタカナ語で民衆を恐怖に陥れようとするかもしれません。いやいや、その手はすでに小池都知事が使ってしまい、通用しなくなってしまいましたね。「ロックダウン」という言葉を初めて聞いたときには、大変な事態になると思いましたが、もうすっかり慣れました。日本には政府がロックダウンを強行する法律がないのですからね。単なる言葉遊びでしかないということはすっかりバレたので、もはや宣言の名前を変えても、感染拡大を防ぐ効果はないかもしれません。

カタカナ語もたいていのものは、表紙が変わっただけで、中身は何十年も前の古いものでしかありません。やっているふりでしかないのです。しかも、その間に中身には恐ろしいほどの劣化が進んでいます。

この事実に改めて光を当て、われわれの行動を客観視して、行動を変容させない限り、もはや救いようがありません。どう変容させれば良いのかは、私にはまったくわかりませんが、わからなくなったら、原点に帰ること、基本に戻ることです。私は常にそうしてきました。ぜんぶ忘れましょう。