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「ゴンドラの唄」 [音楽・楽器]




ゴンドラの唄 - Wikipedia

ゴンドラの唄/うたごえサークルおけら

この歌が発表されたのは1915年(大正4年)。Wikiには「芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した」と書かれています。作詞は吉井勇、作曲は中山晋平

中山は「シャボン玉」「雨降りお月さん」「波浮の港」のような野口雨情の詩に曲をつけていることでもよく知られています。彼は『生きる』を映画館で観た翌日に倒れて65歳で亡くなったそうです。もう一つの物語が生まれそうな気がします。

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チェロで弾きやすいように指番号を付けてみました。もちろん、キーは全然違います。黒い数字は3弦(G線)の開放弦から始めると弾きやすくなります。赤い数字は2弦(D線)で、赤丸の数字は1弦(A線)です。

4弦(C線)からスタートすると、黒澤監督作品『生きる』の志村喬の異様な歌声に近くなります。2弦(D線)からにすると、ポジション移動をしなくてはいけなくなり、やや面倒です。


「ゴンドラの唄」は100年以上も歌い継がれていますが、『生きる』が復活させたようなものかもしれません。私自身、どこかでは聞いた記憶がありましたが、実際には『生きる』で知ったくらいです。今回改めて調べてみるまで、ずっと外国の歌だと思っていました。

Wikiでは、相沢直樹『甦る「ゴンドラの唄」――「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(新曜社、2012年)に触れ、「当時の日本の歌曲では珍しかった6拍子のメロディが当時の(日本)人には受け入れづらかったのであろう」と書かれています。私が外国の曲だと思いこんでいたのも無理はないでしょう。

4分の3拍子と8分の6拍子。分かりにくい拍子の違い。 | ACOUSTICSPACE

4分の3は「1と2と3と」と数える3拍子系で、8分の6は「123,123」と数える2拍子系。

8分の6は1拍目(強)と4拍目(弱)にアクセントが置かれる。



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黒澤明監督『生きる』(1952年) [映画]

生きる (映画) - Wikipedia

この作品を観るのは2度目です。

この物語の主人公は、市役所の市民課(何もしないようにすることが仕事!)で課長を務める渡辺という男(志村喬)です。渡辺課長は書類を読んで決済の判子を押すだけの、まさに「判で押したような生活」を送っています。勤続30年目にして、彼は胃癌のため余命幾ばくもないことを知ります。一時は絶望し、自殺まで考えるのですが、自分の人生を無為に過ごしてきたことを反省し、生きている実感を得ようと奮闘するのです。(私の父親も市民課勤めだったので、他人事には思えません。)

このとき志村喬は47歳。私の年齢よりも下であることに驚きました。

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自暴自棄になって飛び込んだ居酒屋で「メフィストフェレス」を自称する小説家(伊藤雄之助)と出会い、彼に生きている実感を味わう方法を教えてもらおうと頼みこむのですが、彼が教えるのは酒を飲んだり、ストリップを見たり、女と遊んだりする程度の享楽です。そんなものでは、真に生きているという実感が得られるはずもありません。時間と金の無駄です。



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その後、課長は同僚だった若い女性(小田切みき)の尻を追いかけるようになります。彼女は仕事をしているふりをしているだけの市役所勤めを辞め、おもちゃを作る工場に転職するのですが、渡辺は貧乏ながらも必死に生きている彼女の姿に惹かれていたことに課長は気づきます。そして、彼女に「課長さんも何か作ったら?」と言われます。その言葉がきっかけとなり、自分にも彼女と同じような生き方ができるはずだと悟り、2週間もの間無断欠勤していた市役所に戻っていくのです。

喫茶店で暇をつぶしていた二人の隣では、裕福そうな若者たちが誕生日パーティーをしています。彼らはご当人がやってくると「ハッピー・バースデイ」を歌い始めるのですが、ちょうどそのとき課長はすれ違いざまに慌てて階段を下りていきます。それこそが彼の新たな人生の始まりの瞬間を象徴するものとなっています。この写真は明らかに課長を祝福している構図です。

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その後、場面が変わって、突如、課長の葬式の場面になります。市役所関係者の会葬者たちは、課長が胃癌であることを知っていたのか、なぜ急に公園の造成に命がけで取り組むようになったのかという問題を議論し始めます。黒澤作品の『羅生門』(1950年)で使ったフラッシュバックの手法で組み立てられていくのですが、これこそが黒澤的なドラマツルギーなのかもしれません。(山田洋次監督によると、黒澤監督は、映画というものは始まったらまっすぐに進まないといけないと考えていたそうですが、実際、黒澤がやっていることは違うと思います。)

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次期課長と目される部下が、会葬者たちに話す生前のエピソードが議論の決定打になります。課長が部下とともに何度も各課を周り、何度罵倒されても不屈の精神で公園の造成を頼むのを見て、「課長は腹が立たないのですか」とすごい剣幕で問い詰めると、課長は「わしは人を憎んでなんかいられない。わしにはそんな暇はない」と答えるのです。これによって、課長が色惚けしたせいで、突如やる気が出たなんていうことではなく、自らの死が間近に迫っていることを知り、その前に何かを成し遂げようとしていたという結論に達するのです。

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課長は雪の降る中、公園のブランコで「ゴンドラの歌」を歌う様子を見たが、保護しなかったことに責任を感じていると言う警察官が焼香に現れます。警察官は、課長が楽しそうに歌を歌っていたと語り、会葬者を唖然とさせるのです。まさに、人生の最後に何かを成し遂げたことの満足感を課長が味わっていたことの証左です。

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私の記憶では、「ゴンドラの唄」は最後に歌われるものとばかり思っていましたが、カフェーで、ピアニストに演奏をリクエストして、この世のものとは思えないような低い声で涙を流しながら自ら歌う場面もありました。すっかり忘れていました。あそこも、あまりに異様なシーンですね。





人間はいつ死ぬかわかりません。コロナ禍の影響もありますが、私もご多分に漏れず自分の生き方についてこの1年いろいろ考えさせられました。とはいえ、渡辺課長(志村喬)とは違って、いまから何かを成し遂げることは無理だろうという諦念がすぐさま襲ってきます。そんなことでは、お金を稼ぐため(時間をつぶすため)だけに生きている「ミイラ」(かつての渡辺課長のあだ名)になってしまうんでしょうけどね。

この映画もそうですが、ロビン・ウイリアムズ主演の『いまを生きる(Dead Poets Society)』も同じテーマです。「カルペ・ディエム」「命短し恋せよ乙女」です。

渡辺課長は、「つまり」という言葉を口癖にしています。英語にすれば、"In short"です。課長の「雨だれのように」ポツポツした話し方は、まったく要領を得ず、自分の言いたいことを一言でまとめることができません。しかし、自分の人生を短くまとめようとしても、うまくまとめることができなかった彼の人生は、会葬者たちが長い議論をした末に、きれいにまとめ上げられ、彼の熱意が称賛され、一部の人間に受け継がれることになるのです。そういう意味では、渡辺課長の残したものは、住民の要望を聞き入れて暗渠の上に建設された公園だけではありません。それはまさに生きることに対する「希望」そのものです。


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CBD [マネー・買い物]

睡眠不足・ストレス大国日本を救う!? 話題の「CBD」をコーヒーで飲んでみた | ハーバー・ビジネス・オンライン

気になりますね。いまは睡眠不足になるような生活は送っていないので、不要ですけど、試してみたい気がします。およそ3000円で1ヶ月分からなら、気軽に始められるかもしれません。




備忘録として記録しておきますが、昨日ようやく確定申告をしました。いまは源泉徴収票を書類ではなく、オンライン発行されるところもあって、妻のパート先からいつまでも送られてこないので、どうしたものかと聞いてみたら、自分で調べないといけなかったようです。それがわかったので、やっと提出できた次第です。

「悪口を言わない人」の共通点と言わない本当の理由|「マイナビウーマン」

私は悪口を言わないタイプだと思っています。だからといってなんでも黙って我慢するわけではありません。権力者や横暴な人間に対しては批判はします。ただ、私自身のストレス発散のために一個人を誹謗中傷することはしていません。悪口と批判は違います。以前、よく妻を悪く言っていましたが、妻の性格が悪すぎるのです。私が悪いわけではありません。

上記サイトには悪口を言わないで過ごせるためのコツが紹介されていますが、私の場合は、目標を持つということもありますけど、できないことややりたくないことは潔く「諦める」ということもあります。爺さんになってから身長を伸ばすことはできないように、いくらあがいてもできないことはできないのです。諦めると、他人と比べなくて済むので、ストレスが溜まりません。




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唱歌「故郷の空」 [音楽・楽器]



なにゆえ、こんなに悲しくなるんでしょう。

これもまた音だけ聞いてチェロで練習してみました。



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浜辺の歌 [音楽・楽器]



この楽譜を見ながら(読みながら)ピアノで演奏することができました。♭(フラット)の音は1つ、♯(♯)も1つだけですから、簡単ですね。



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文部省唱歌 朧月夜 [音楽・楽器]



麗しい春風を感じます。

こういう簡単な曲を楽譜無しで、チェロで弾く練習をするのが楽しいです。けっこう勘で弾けるものですね。






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水栓から水漏れ [家・DIY・修理]

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水栓から水漏れするようになってしまったので、新しいものと交換することにしました。台座が緩んで隙間ができ、そこから流しの下の方に垂れてしまっています。木材の腐食も始まっています。取り付けてから16年も経っていますから壊れても仕方がありません。食洗機用に分岐があるものが必要だったので、最初に付いていたものは取り外して、自分で交換したのですが、取り付けたのは16年も前ですから、取り外し方や取り付け方なんて完全に忘れてしまっています。ちなみに、もともとついていたものは義理の父親に上げました。義理の父親の兄は農業の傍ら水道工事をしている人のなので、簡単に交換してくれました。

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早く交換しないとヤバいです。



追記(12:50):ホームセンターを2軒巡ったのですが、めぼしいものがなかったので、店員さんと話しただけで帰ってきました。結局、Amazonで以下のものを買うことにしました。2万円程度で買える浄水機能付きのものもあったのですが、それには分岐口がついていないので、下駄を履かせないといけません。それがまた1万円近くするので、浄水カートリッジ内蔵タイプを取り付けるのは諦めました。分岐栓も16年前のものですから、この際、新しいものにすることにしました。





シングルワンホール分岐混合栓 | 商品のご案内 | SANEI|デザイン性に優れた水まわり用品、水栓メーカー

これまでつけていたものは、これです。同じものはまだ販売されていますが、ハンドルのところがプラスチックになっていて、そこが汚くなるし、中に水が入り込みやすくて、ヘドロが溜まってしまいます。その点が良くないので、今回はLIXILにしてみました。

ホームセンターに行ったら、同じように水栓を買いに来た人たちがいました。センサー付きのものを買いに来た母娘や、我が家と同様に水漏れしてしまったので、工事を頼みに来た男性もいました。





店員さんにこちらを勧められたのですが、分岐栓を取り付けるためのパーツも合わせて買わないといけないので、今回注文したものと同じくらいの金額になってしまいます。店舗で買うより、アマゾンで買ったほうがだいぶ安いです。

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木下惠介監督『二十四の瞳 デジタルリマスター版』(1954年、松竹) [映画]



二十四の瞳 (映画) - Wikipedia

この映画を観るのも3度目です。1度目は、子供の頃、日曜日の朝、NHKで放送されていたのを母親と一緒に観たと記憶しています。朝っぱらから、母親が涙でパジャマを濡らしていたことが思い出されます。確かに、涙なくしては観られない作品です。

ストーリーは田舎の小学校に赴任した新米の女教師(高峰秀子)が子どもたちを相手に奮闘するのですが、不況や戦争の影響を受け、さまざまな悲しい思いをしていくというものです。

この作品を見ながら認識を新たにしたことを述べておきます。映画の中盤で描かれる戦争直前の赤狩りのエピソードから気づいたのですが、現代教育においても、残念ながらいまだに同じ対立の構図が存在しているということです。

一つは、民間企業的もしくは予備校的な教育環境で常識化している教育理念です。それは不公正な競争によって弱者を蹴落としてでも生き残った強者が世の中を良くしてくれるという信憑に基づいています。自分が生き残ることを最優先するのですから、新自由主義思想に親和性が高いものです。この教育観では、初めから不公正なスタートラインが引かれている競争のみを許すため、潜在的に有能な個人の力を削いでしまい、引いては社会の発展を止めることにつながります。この方針に基づく教育理念は、戦前や戦時中は「忠君愛国」という理念で語られていましたが、最終的には多数の犠牲者を出し国家を弱体化させることになりました。現在もまた、そのリスクを一顧だにしないのですから、本来的な愛国主義とはかけ離れていると言えます。

しばしば、ネット上では、弱者のことを考えたことを主張する人たちを「左翼」だとか「アカ」だとかいって嘲笑する人がいます。彼ら(安倍晋三も含む!)は、教育関係者の多くが日教組に所属し、自虐史観を子どもたちに教えているという偏見を持っています。教育関係者としてだけではなく、一市民として、そういう思想は非道徳的な妄想にしか思えません。嘲笑されるべきは、彼らのような錯乱した思想の持ち主の方です。

それと対立する教育理念は、私が与する側です。大石先生(高峰秀子)も当然のものと考えています。教師の役目というのは、さまざまな境遇に置かれた人たちが幸福を実現できるような環境を作り上げることに貢献できる教養を身につけた個人を育成することであり、それこそが教師の存在意義というものです。そういう理念を持つ教育関係者を「アカ」呼ばわりするというのは、民主主義社会の理念を否定することであり、既得権益を享受する強者だけが生きやすい環境を維持するということを求めていることと同義です。それは、愛国主義でも保守でもなく、単なる排他主義、差別主義ですし、そればかりか、独裁制や絶対君主制を理想とするような中世の教育観です。

この2つの教育理念の対立の構図を踏まえながら、この作品を見ると、民間企業的・予備校的教育観に洗脳されてしまった人たちの心も洗われるのではないかと思います。この映画を観ても、ヘドロの臭いがこびりついて落ちなければ、もはや手遅れでしょう。ボロ布として、捨てたほうがよいと思います。

映画の初めの方で、大石先生が子どもたちに「天皇陛下はどこにいますか」と質問する場面があります。子供の一人が「物置小屋にいます」と答える場面があります。大石先生は「天皇陛下の写真を飾るところがないので、物置をきれいに整理してそこにしまっているだけです」と答えますが、本当は、天皇を国家元首、国民のお父様として崇め奉り、お父様のために戦いたくもない外国との戦争に行くようなことはせず、物置小屋にしまっておいたほうが幸せに暮らせる(た)と思います。

先ごろ、森元総理が女性差別発言によって五輪組織委員会の会長をクビになりましたが、あの男は現在の日本国憲法を書き換え、天皇を国家元首にすることを画策しているような旧時代的な思想の持ち主です。日本は「神の国」であるなどと言ったたわけ者です。

このコロナ禍の1年、「グレイト・リセット」という言葉が多方面でしばしば使われていたそうです。リセットしておくべきマインドセットはいったいどのようなものか、このような映画を観ながら、過去を振り返ればはっきりと認識できるはずです。

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話は大きく飛びますが、さらに2つ発見したことがあります。1つは、壺井栄の小説では、小豆島が舞台になっているとは書かれていなかったとのこと。Wikiに書いてあったのを読んだのですが、たいへん驚きました。もう1つは、かの有名なミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年、米)のように(割と構図が似ています!)、最初から最後まで音楽に溢れていることです。特にスコットランド民謡の「アニー・ローリー」は何度も使われていて、観る者の記憶に強い印象を残します。

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大石先生は子どもたちに「将来への希望」を書かせるのですが、一人の女の子が突然泣き出してしまい、「将来への希望」なんて言われても、何も書けないんです」と答えるシーンがあるのですが、いまの時代と重なります。大石先生は女の子を廊下に連れ出して、「あんたが苦しんでいるの、あんたのせいではないでしょ。お父さんやお母さんのせいでもないわ。世の中のいろんなことからそうなったんでしょ。だからね、自分にがっかりしちゃダメ。自分だけはしっかりしていようと思わなくちゃね」と慰めるのですが、本当に泣けてきます。70年以上前から、この国は何も変わっちゃいないのですよ。

「価値観の押しつけ」などと断罪されてしまうかもしれませんが、『二十四の瞳』は、すべての日本人が一生に何度も見返さないといけない作品だと思います。





「浜辺の歌」も泣けます。



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アニーローリー Annie Laurie [音楽・楽器]

木下恵介監督の『二十四の瞳』(1954年)を観ている途中なのですが、挿入曲の「アーニー・ローリー」がどうしてもピアノとチェロで弾きたくなってしまいました。



Lady John Scott "Annie Laurie - Cello" Sheet Music in C Major - Download & Print - SKU: MN0083962

ピアノの流れるタブ譜で覚えてから、チェロで弾いてみました。E(ミ)で始めればいいということだけ頭に入れて、適当に弾いていたら、すぐに弾けるようになりました。この頃そんなふうに、簡単な曲なら、楽譜に頼らなくても弾けるように練習しています。坂本九の「見上げてごらん」「上を向いて歩こう」「明日があるさ」はウクレレで練習してから、楽譜無しでチェロで弾く練習しているうちにすぐに弾けるようになりました。キーは合っていないと思いますけど、チェロで弾きやすい位置から弾いています。



「仰げば尊し」もいい曲ですね。チェロに合います。

二十四の瞳~イメージアルバム 懐かしき唱歌の調べ~木下惠介の世界 | HMV&BOOKS online - UPCY-6393



「荒城の月」は昔は嫌いだったのですが、改めて聞いていみると素晴らしい曲に思えるんですが、不思議です。これもチェロで同じキーで弾けるようになりました。

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コロナ禍 メタメッセージ注意? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

コロナ禍 メタメッセージ注意 - Yahoo!ニュース

この「産経新聞」の記事には強烈な違和感を覚えます。

筑波大の原田隆之教授(臨床心理学)は「メッセージが、発信者の意図と違う形で受け取られてしまうことは珍しくない」と話す。こうした現象は社会学用語で「メタメッセージ」と呼ばれ、言語以外の情報から発信が本来の意図を超えること、と定義される。発信者の表情や声のトーン、逆説的な解釈や裏の意図などの「行間」を読まれることで起きるとされる現象だ。


「メタメッセージ」のやりとりは人間として当然の行為であって、「メタメッセージ」のほうが文字通りのメッセージよりも人間のコミュニケーションに占める割合は高いものです。そこに危険が潜むと主張するのはわかりますが、だからといって、以下のような例の解釈が間違っていると一方的に主張するのは問題があります。

「3密(密接、密集、密閉)を回避してください」というメッセージが発せられたら、3つ揃わなければ大丈夫と受け取ることは当たり前のことです。「夜の8時以降の外出は避けてください」と言われれば、外出は昼間にしておこうと考えるのはふつうです。それに、その表現では何時になったら、外出が可能になるのか示されていないのは問題です。朝の3時になったら大丈夫なのか、6時にならないと駄目なのかさっぱりわかりません。「ライブハウスやパチンコ店、飲食店は危険なので、利用しないでください」と言われたら、他の店舗は大丈夫だし、家なら安心だと受け取るのが自然です。一方で、ライブハウスやパチンコ店、飲食店が危険なら、電車だって学校だって危険だろう、と思うのも当然です。人間は行間(空気)を読むのが普通であって、むしろそのように自由に解釈できない人ほうが異常なのです。

政府や専門家のメッセージに発し方そのものが不完全で、誤解を与えるようなものであるのに、それを解釈できない受け手は無能であるというような誤ったメッセージをこの「産経新聞」の記事は発していますが、書き手自身はそれを認識できていないようです。

こういう記事は、憲法や法律に書いていないとか言って、勝手な解釈を自民党の国会議員に許していることを「産経新聞」が正した後に書いてほしいものです。

【災害】地震で停電する?しない?あなたの街「優先順位」見極め方|日刊ゲンダイDIGITAL

我が家はここに記載がある自治体ですが、まったく停電はしませんでした。田舎だからでしょうか。

この20年間で僕たちは貧しくなった 中間層の地盤沈下 井手英策・慶応大学教授インタビュー【1】 | 経済,政治・行政 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE

資本主義を維持するには中間層を厚くするしかないのですが、新自由主義を推進する自公政権はその中間層を徹底的に破壊しているのですから、資本主義を否定しているわけです。自民党は、中国共産党一党独裁政権に憧れているとしか私には解釈できません。

追悼・半藤一利さん、本でひもとく業績 日本人は「そんなに」悪くはない 東京大学教授・加藤陽子さん|好書好日

アメリカ側の歴史観で見れば、日本人は悪党ですが、それが唯一の正解だとするのは間違っていますよね。私はネトウヨではありませんが、歴史の解釈は時代とともに修正する必要があるという立場です。

オトナが若い頃に聞いた曲を今でも大好きな理由が解明される - ナゾロジー

「過去を思い出す効果が最も強かったのは、14歳ごろに聴いた曲だった」そうです。私の場合は、そんなピンポイントではありません。外国の音楽に目覚めたのは11歳の頃ですし、それ以前に聞いた曲もよく思い出しますし、90年代(私が20代の頃)までの音楽は今でも好きですからね。ただ、確かに、それ以降の音楽はあまり好きではありません。