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Robot Violinist [音楽・楽器]



威風堂々とした演奏ですね。私より少し上手です。参りました。これからは師匠と呼ばせてください。10年以上前のロボットなので、いまはイツァーク・パールマン並のヴィルトゥオーゾになっているかもしれません。怖いなあ。

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まだ昼前ですけど [雑感・日記・趣味・カルチャー]

昨晩は仕事から帰ってきたのが22時だったので、それから夕飯を食べて風呂に入ったので、24時就寝。スマホをいじりながらの寝落ち状態です。それにもかかわらず、今朝は4時起き。年寄りの朝は早いのです。

朝っぱらから慌ただしいです。学生や友人からのメールや掲示板の書き込みへ返事を書いたり、来週のzoomの授業のための資料を作成したり、それと並行して、洗濯乾燥機を回し、布団乾燥機をかけてダニ退治をしたり。もちろん犬の散歩にも行きましたし、注文してから1週間経っても商品が届かない通販サイトに問い合わせ(苦情!)をしたり、ヨドバシで電動歯ブラシを注文したり、乾燥機をかけたせいでしわくちゃになったシャツにアイロンを当てたり、てんやわんやです。いまさっき昼ごはんを食べましたが、このあとは水槽の掃除もしなければいけませんし、火曜日の授業で提出してもらった課題の評価もしなければいけません。34人分もあるので、絶望的な気分になります。適当に読んで成績をつけようと思います。今日の深夜締め切りの3クラス分の課題もありますが、余裕があったら、先に届いているものを片付けておきたいと思います。そんなこんなで朝から、楽器をいじっていません。12時を回ったら、ピアノでも練習しようかな。

4時起きなので、もう夕方になったような気分です。まだ昼前ですけどね。

追記(13:30):1クラス分の課題の評価を終えました。はっきりいってやっつけ仕事です。眠すぎて、彼らのエッセイなんてほとんど頭に入りません。

ゼロからのPython入門講座 - python.jp [コンピュータ・ネット・テレビ]

ゼロからのPython入門講座 - python.jp

近頃流行のプログラム言語Pythonの勉強を始めたのですが、わからないことだらけです。本を読んで、そのとおりソースコードを書き写しても、うまく実行できないことがあって、すでに行き詰まっています。半角やコンマや改行のような問題はすべてチェックしたのですが、それでもうまくいきません。そういうことがあると途端にうんざりします。理屈もわからず、ただ真似ているだけだと、早晩限界に行き着くという経験は、これまで何度もしていますが、Pythonでは1日目にして、その壁にぶち当たってしまいました。

上掲のサイトに救いを求めたのですが、わかっている人がある程度わかっている人に、「この程度のことはわかっているんでしょ?」という前提(思い込み)で解説しているので、ド素人にはさっぱり理解できないのです。コンピューター系の文章を書く人たちって、仲間内だけで理解できていればいいと考えるようなバカが多いんじゃないかと思います。




「個人の自由か、公共の福祉か」 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「コロナワクチンをやめろ!」役所に抗議する人たちのヤバさ。デマの沼にハマらないために | 女子SPA!

私は感染症の専門家ではないので、デマではない側の主張がどこまで正しいのかよくわかりません。ネット上にはいろんな情報が溢れていますが、しかしながら我々が手にできる情報は限定的なものです。その限定的な情報をもとに、個人がそれぞれの立場や感情から、論理的に、または、非論理的に、物事を判断しています。

現在、クリティカルな問題になっているのはコロナワクチンを打つべきか、打つべきではないか、です。この問題をめぐり、インターネットメディアでは、日々、喧々囂々、侃々諤々、議論がされています。議論というよりも、一方的な主張ばかりです。「私は医療従事者です」という言葉が、自説にもっとも説得力を与えるような枕詞として機能していますが、それもどうだか、怪しい気がします。

総体として、ワクチン接種が6割7割8割と進めば、コロナ禍は収束に向かうのでしょう。そこで問題になるのは公共心か、個人の自由かの二者択一です。自分を含む社会を守るためにワクチン接種を行うという立場と、自分さえ良ければいいのだからワクチン接種は受けないという立場の対立です。当然、公共心を踏まえた主張のほうが説得力があるように思えます。しかしながら、その公共心によって、人類がコロナ禍から脱出できる保証はないのです。

日本だけなら8割程度の目標は来年の半ばあたりには達成できるでしょう。しかし、それが世界規模で8割となると、おそらく何年も達成されないと思います。結局のところ、貧しい国の一部で、新型コロナが細々と生き延び、その国には他国からは訪れる人もおらず、その国からは誰も外に出られなくなることも想像できます。世界規模の差別です。

ワクチン接種によってコロナウイルスを封じ込めるというのは、もしかしたら幻想かもしれません。陰謀論者たちが主張するように、得体のしれないワクチンではなく、アビガンやイベルメクチンのような特効薬を飲めばそれで十分だ、というのある程度は当たっているかもしれません。ただ、そういう後追いの対策では、コロナウイルスの変異を止めることは不可能です。変異種発生の無限ループによって、特効薬ばかりかワクチンの効果も失われ、人類が滅びる可能性もあります。

我々が頭を悩ませているこの問題について少し角度を変えて考えてみます。そういう議論をするのは個人の自由なのですが、個人の自由や人権に配慮しなければいけない現代を生きる「教員」としては、この問題から一歩退いたところからのものの見方を提示する必要があります。打つべきだ、打つべきではないという主張を生徒や学生に押し付けることは人権侵害になる可能性があるからです。

現代は自己主張することが良しとされる時代です。日本がアメリカ化した証拠でしょう。一方で、その主張は、論理やエビデンスとは無縁の個人の感情によるものが支配的です。単なる憶測に基づく偽りの限定的情報に基づいて、性急に結論を下してしまうという、愚かしい人々が増えています。物事のプラス・マイナスを比較せず、どちらか一方に衝動的に飛びついてしまうのです。そういう衝動的な人が下した、声の大きな主張が、気の弱い人たちや頭の弱い人たちの行動をコントロールしています。

それを食い止めることがアカデミズムの役割なのですが、大学では、なぜか、そういう問題を取り上げることを良しとしません。「ワクチンを打つか打たないかは個人の自由です。人権に配慮しましょう」と言って、物事を根本から考えることを避けるのです。これはアカデミズムの敗北です。大学の中学化・高校化と言って良いでしょう。学問の劣化です。

「個人の自由です。人権に配慮しましょう」と言って、何も考えないようにすることが正義なら、奴隷になることを選んだということです。

とはいえ、アカデミズムの世界でこういう哲学的な議論が行われたとしても、最終的には、無駄になるかもしれません。ワクチン接種が進んでも、ウイルスの変異によって、ワクチンが効かなくなる可能性もありますし、特効薬の効果が失われることもあるはずだからです。我々がその価値を重んじている「人権」や「個人の自由」が、人類を絶滅させる要因になるかもしれません。つまり、それらが自分自身を破壊するということです。ワクチン接種に関する科学vs.陰謀論の対立の影に隠れていますが、少し見方を変えれば、人類は「個人の自由か、公共の福祉か」という古くて新しいジレンマに苦しめられていることがわかります。

「ワクチン不要」怪文書、突然自宅に 専門家は内容否定:朝日新聞デジタル

ワクチン「打つ・打たない」決める重要なポイント | 新型コロナ、長期戦の混沌 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

ワクチン接種後は?シニア女性は友人との会話を熱望 | ハルメク連載

「ワクチンを接種したらしたいこと」は
1位「友達と気兼ねなくおしゃべりしたい」59.4%
2位「遠出をしたい」53.5%
3位「外でおいしい食事をしたい」49.5%
4位「離れている家族・孫と会いたい」42.9%

私も似たようなものですが、まず親や友人と会って、マスクを外して会話したいです。日帰りでもいいので、旅行にも行きたいです。温泉でのんびりしたいです。そういう日常は、オリパラ強行開催で、遠のく可能性が高まってきました。自公政権は本当にろくなことをしません。まったく、余計なことをするものです。コロナと一緒に、我々の未来を奪う奴らを根絶したいですよ。