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宅建 2022 権利関係 #21【物権変動】 [宅建士]





宅建取得を目指すことを通して、法律の勉強をしていることを同僚の英語教員に伝えまた。ついでに、私はもう10年以上前から英語教育には関心がなくなってしまっているという話を直球でぶつけてみました。予想通りですが、嫌われましたし、宅建なんかつまらないよ。もっと面白いものを勉強したほうがいいと余計なアドバイスをもらいました。いつもその先生はとんちんかんで無意味なアドバイスをくれる人なのです。以前、何度か一緒に本を書こうよ、などと言ってきたのですが、実現した試しがありません。口だけの人なので、いっさい当てにはしていません。たまにそういう人っていますよね。口八丁の人って。うちの義父がそうでした(まだ存命ですが)。


宅建を通して法律を学ぶことがつまらないというのは、法律そのものがおもしろくないわけではなく、おもしろがれない人のほうに問題があるのです。法律を面白がれる能力がないだけのことです。私がやっていることが馬鹿みたいに見えるのは、その人が馬鹿だからです。以上。(昨晩、妻に近頃あなたはカリカリしていると指摘されてしまったのですが、いろいろ人間関係でうまくいっていないことがあるからでしょう。学生とはうまく行っても、同僚とは反りが合わないのです。)


英語教育について興味がなくなったと言っても、失望したのはいまの英語教育についてです。私(教員)が教えるべきことと教えるべきことではないこと、ChatGPTやYouTubeなどを使えば済むことと、私しか教えられないことをしっかり区別し、私ではなければできないことを伝えながら、学生たちと一緒に学びたいという意味では、英語教育に対する意欲が完全になくなったわけではありません。英語教育の専門家面した教員が、学生に英単語を覚えさせたり、スラッシュリーディングをさせたり、シャドーイングやリテンションなど通訳の真似事をさせたり、文章を読んで内容確認の問題をやってTかFを答えるだけ、はたまた内容を要約させてみたりするだけの勉強はアホらしくてやっていられないということです。完全な時間の無駄です。そんなものは学生が家で自分でできることです。教室でやるべきことではありません。そんなつまらないことでも、大学側から求められているので私は仕方がなくやっています。私にとってはお金になるからやっているのですが、学生たちにとっては決して有意義なことではないと思います。そういう意味で現在の英語教育には私はすっかり失望してしまったのです。


法律というものについて、私は若い頃から何が面白いんだかさっぱりわからず、私の人生には不要だと思い込んでいたのですが、いったん学び始めたら、おもしろくて仕方がありません。いままで毛嫌いしていたことを学ぶように姿勢を変えたら、まだまだこの世界は楽しむ余地があると思えるようになりました。


その同僚の先生が私に与えたクソバイス(クソなアドバイス)はCPAを取ることです。アメリカの公認会計士ですね。その先生はあくまでも英語に関わる資格を取るということにこだわりがあるようです。私は英語そのものが嫌いなのです。世間一般の人たちの考え方に完全に反しますが、英語学習には未来はないと思っているのです。無論ですが、公認会計士にもいっさい興味がありませんし、アメリカで働くつもりもありませんし、いまさら外資系企業に転職するつもりもありません。そもそも、ジジイを採用してくれる外資系企業なんかありません。万が一誘われても行く気はゼロです。簿記3級でも取得するのは大変だったし、あんなものを一生やりたいとは思いません。私の守備範囲から大きく逸脱しております。アメリカで働くなら、寿司職人になります。にわか仕込みでも1000万円以上の年収が稼げるそうですからね。いい加減な英語でも話してやれば、あっちのお金持ちのオジサンやオバサンたちも大喜びしてくれるでしょう。


DeepLやらChatGPTを利用している人ならわかってもらえるでしょうけど、実用英語なんてものは、もはやすでに、小学生からさえ学ぶ必要もないと思います。あと5年もすれば、自動翻訳機が一般化すると思います。いま威張っている頭の悪いポンコツ英語教師どもはみな不要になる時代が来るはずです。彼らが消えてくれたら清々します。


私がぶつけた暴力的な言葉に対して、件の英語の先生はどうも自己否定されたと感じたみたいで、そのあと話題をすっかり変えられ、背中を向けられてしまいました。私の周りの英語の教師なんてみんなその程度です。学生にはChatGPTやDeepLの使用をぜったいに許さないとか言っているくらいですから。アナクロすぎて、笑っちゃいます。映画は無声映画ではないとダメだ。トーキーなんて映画じゃない、とか言っていた人と同じレベルですね。頭が悪過ぎます。私は文章の添削も、ChatGPTにやってもらえと言っています。


英語の教師とは仲が悪い私でも、分野が違う人たちとは相性が良いことも多々あります。仲の良い大学職員(大学時代の同級生)と久しぶりに会ったのでしばらく立ち話をしました。彼はもう仕事に対する熱意はすっかり失われたので、違う部署に配属が変わっても何も感じない。仕事上でやりたいことなんか何もない。与えられた仕事を、時間を引き延ばしてやっているだけだ、一日中仕事をしているふりをして過ごしているだけだと言っていました。私も同じようなものです。教室で英語を教えていてもめったに心を動かす新鮮さがないので、仕事で節約したエネルギーを自分の趣味、やりたいことのほうに費やしたいと思っています。


世の中には、教育=教えることだと勘違いしている人が多すぎます。教育は学生を外の世界に引きずり出すお手伝いをすることです。ちなみに、educateは外へ(e+)、導く(duce) が語源です。そんなことさえ理解できないような人たち(教員免許すら持っていない人たち)と話をするのがあまりに馬鹿馬鹿しく思えます。逆に、私は学生たちに教えてもらうことのほうを重視しているので、学生をコントロールしようとするコンベンショナルな英語教育を続けているような教師たちとは話が合いません。文学畑の人とは話が合うのですが、文化系、言語学系の人とは全然ダメです。数学の教師のほうが話が合うくらいです。不思議です。


とにかく、同僚の先生たちがどうも馬鹿すぎて、いっしょにいるだけで時間の無駄なように思えるのです。これって、私のほうがおかしいのでしょうかねえ。実は小学5年の時からずっと、同じ気持ちです。周りの人たちがバカにしか思えないのです。



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