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抵当権のところまで [宅建士]

抵当権まで学習が進みました。教科書としては残り7分の4のように見えます。

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昨日(水曜日)の通勤時、大雨でびしょ濡れになってしまいました。そのせいでカバンの中に水が染みたのか、あるいはカバンに突っ込んだ折り畳み傘の水滴がついたのかわかりませんが、本が濡れてページがブカブカになってしまいました。昨晩、勉強するためにページを開こうとしたら、くっついてしまってできませんでした。仕方がないので、1枚1枚ぺりぺりと剥がしていって、ティッシュで押さえて少し水分を抜いて、そのあと鉄アレイを乗せておいたのですが、この有様です。まだ乾き切ってはいません。

ちょっと見すぼらしくて、スタバのカウンター席で勉強する時に開くのは恥ずかしい気がしますが(そんなことはしませんけど!)、この本の崩れは勲章だと思うことにします。汚れれば汚れるほど勉強しているんだという風格が出ると思いますからね。試験会場ではぶっちぎりの汚さで他の受験者を威圧できるはずです。

抵当権もあこ課長のYouTube動画を見ながら全体像を頭に入れておいて、そのあと教科書を読むというスタイルでやっています。明日は電車の中で過去問を解こうと思います。


正直に言わせてもらいますが、権利関係(民法)は思っていたほど難しくはありません。偉そうなことを言って申し訳ありませんが、みなさんは「難しい。難しい」って言い過ぎです。それでも、合格者の多くは半分くらい取っているだけの人が多いようですから、私でもなんとかなると思います。というか、私はみなさんが思っているほど馬鹿じゃないので、このレベルなら、ふつうに合格できると思いますよ。落ちる人というのは高卒の人とか、CからFランクの大学を出た人かもしれませんね。AランクやBランクならさほど苦労せずに受かるはずです。

などと偉そうなことを言って落ちたら、私を嘲笑してください。



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全ての楽器演奏が上達するために知っておくべきたった一つのこと [音楽・楽器]



瀬宇高体験を積み上げること。ゆっくりはいいけど、間違いはだめ。間違ってばかりいると、その間違いを脳が記憶してしまうから。

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プライドが高い人って困るねえ [雑感・日記・趣味・カルチャー]

いつも授業後に話しかけてきて私の時間を奪う学生がいるということを一昨日書きましたが、どうやら彼は異常にプライドが高い人のようです。大学自体はFランクですが。

彼によると、TOEICなんかやっても話せるようにならないし、英語は話せてなんぼだから、意味がない。それよりIELTSを大学では教えるべきだというのです。IELTSはイギリスの大学に留学する学生が利用する資格試験ですが、日本では馴染みがありません。

そもそも大学でTOEICを教えるようになったのは、英語ができる「人材」を求める企業側の圧力と、その洗脳教育を受けた親たちの圧力に大学が屈したからです。大学側は別にビジネス英語なんて教えたいとは思っていないのです。あの程度なら、高校レベルの英語の教科書がスラスラ読めるようになっていれば、新たにビジネス系の単語を覚えればいいだけですから、独学で対応できるものです。

とはいえ、大学もビジネスですから、大学生のTOEICのスコアを上げてくれる大学として宣伝をすれば、それ自体がブランドになり、集客力を高めることができるのです。大学という機関はボランティアではないので、必ずしも学生のためにやっているわけではないのです。お金儲けの活動もしていかないと、研究機関としても機能しなくなってしまいます。したがって、TOEIC信者の親たちを利用して、彼らの子息を取り込むという戦略をとっているのです。

それが大人の事情というものです。当該学生は、単にTOEICのスコアが悪く、しかも文法がメチャクチャなのですが、それでも幼い子供達に英語を教える英会話講師のアルバイトを、他の優秀な外国語学部英語学科の大学生たちにまじってしているそうです。そういう環境にいるせいだと思うのですが、話せればいいという信念が形成されつつあり、TOEICを馬鹿げたものだと思い込んでしまっています。(私はTOEICはけっして無意味なテストではあるとは思いません。)自分ができないから、できないものに蓋をしようとしているのです。イソップ寓話の「すっぱい葡萄」そのものです。誰しも、自分の手の届かないものを、あんなものは無意味だと言いたくなる気持ちはあるので、それは仕方がありません。ただ、それが視野狭窄という病気のひとつであるということにできるだけ早く気づくように仕向けるのが老教員の役目かもしれません。

しかしながら、プライドが高い人というのは、他人のアドバイスには従いません。自分の信念に従って行動することを優先します。わざわざアドバイスをすると、自分が潰されると感じて反発を強めるだけで、より症状が悪化してしまいます。人格否定をされたとか、勘違いして、教員を馬鹿にしたり、授業評価に根拠のない悪口雑言を書いたりするものです。だから、私は彼の話にいい加減な相槌を打って、「そうかもしれないね。私にはわからないけれど」と逃げるのです。

プライドの高さというのは、その人の幼稚さそのものなのですが、それに気づくのは時間がかかります。私がそうでしたから、よくわかります。「上から目線」でものを語る人というのは、それによって、周囲の人々によって押しつぶされそうになっている自分をなんとか守ろうとしている健気な人なのです。悪いやつではありません。そういう人間を丸ごと受け入れてやり、視点を変えたり、視野を広げたりできるような環境を作ってやることが教員の役目なのでしょう。面倒臭いので私はやりませんが。

半世紀なんとか生き抜いてきた私は、20代まで「あんなものは無意味だ。無価値だ。自分のやることではない」と思っていたことを改めて見直し、視野の中に新たに取り込もうとしています。30代から40代は文学からは少し距離を置き、経済学や社会学なども学びました。同時に、中学高校の数学も勉強し直しました。微分積分まではやりませんでしたが、楽しかったです。さらに第2種電気工事士や危険物乙四の勉強を通して理科(物理・化学)も学び直しました。メンタルヘルスマネジメントの資格試験の受験を通して、心理学も学び直しましたし、FPや簿記の勉強を通して、お金などの知識も得ました。それよりも前に、いろんな楽器を演奏できるように努力しました。宗教や哲学、美術、映画は若い頃から散々勉強してきました。小学生の頃だけですが、書道も習っていました。こうしていろいろ積み上げてきているのですが、いまハマっているのは法律です。大学時代、正直に言って、一番嫌いだったものが法学です。憲法の基本的なところは自分で学習したことがあるのですが、民法は全然わかっていませんでした。

私は何が言いたいかというと、自分がやりたくないとか、苦手だと思っていたことを毛嫌いしたり、馬鹿にしたりせず、きちんと向かっていくと面白い発見や気づきや学びがあって、人生が豊かになり、毎日が楽しく過ごせるということです。そういうことがわからない人には、私はどうしても「上から目線」で軽蔑してしまう癖がいまだに抜けませんが、それによって別段、自分のプライドを無理に保とうとしているわけでもないので許してもらいましょう。

若い頃は、どうしても、趣味が偏りがちで、好き嫌いが激しい状態に陥りがちです。境界線を引いてバリアを作ったり、見たくないものは押し入れに放り込んでなかったことにしたりする行為です。しかし、それでは視野が狭くなるだけです。その愚かさに気づいてからは、細部を見ることと同時に全体を見ることを心がけるようにはしています。そうそうブドウならぬ、武道にも挑戦しましたし。10年間はマラソンもしていました。少しの期間だけでしたが、水泳も練習しました。学校の体育は大嫌いでしたけど、大人になってやると、けっこう楽しいものですね。











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