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深夜の雑談(幼児英語、男性の自殺率) [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「英語は小さい頃に始めた方がいい」という誤解 | 英語学習 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

この記事を書いている方は、「第二言語習得」という研究分野の知見を理解されているので、信用できます。

英語は幼いうちからネイティヴスピーカーから直接教わったほうがいいいとか信じ込んで、高いお金を払って、イングリッシュナーサリーに通わせているお金持ちもいるのでしょうが、無駄遣いですね。ふだんの生活環境がベタベタの日本語では、英語の発音はよくなっても、使える言語としては習得できません。もし幼いうちに英語を身につけさせたいというのであれば、英語圏に移住し、現地の学校に通わせるしかありません。

そのくらい大変なのに、英語のできない親は、子供に苦労をさせたくないとか言って、無駄なお金を使うのです。お金があり待っているのであれば、けっこうですが、自分も苦労するし、そんな誤った考えを他人に押し付けるのは、本当にはた迷惑です。

学生の中にも、それと同じ考えを持っている人が必ずいて、将来子供を持ったときに、幼いうちから子供には英語を習わせるんだと言って、お金をドブに捨てるのは目に見ています。

そういう考えの学生は、たいてい、発音はいいのですが、文法はめちゃくちゃです。しかも言っていることが平凡であったり、説得力がないのです。

臨界期の話も書かれています。あれも誤解です。この誤解を解くことは、もはや不可能に近いくらい、人口に膾炙してしまいました。日本で日本語を使って活躍している外国人タレントがすべて、幼いうちから日本語を学んでいたのかと言ったら、そんな人はほとんどいないでしょう。それゆえ、臨界期というのは、間違っているのです。10歳を超えたら、外国語を母語のようには身につけられないというのは、たしかにそうですが、それで何か問題でもあるのでしょうか。厚切りジェーソンとか、パトリック・ハーランとか、彼らは日本人よりわかりやすく、文法的にも正しい日本語を使っています。そういう英語を身につけることを考えたほうがいいと思います。そのためには、無理に幼いうちからやらせないほうが良いと思います。

韓国とか、その他のアジア圏では英語を学習する年齢が早いのだから、日本も早めたほうがいいと反論する人も多いでしょう。それもそうかもしれません。しかし、言語習得というのは、言語学や心理学だけではなく、さまざまな要因が絡んでくるので、単純に他の国と比較するのは、科学的ではありません。環境が違うので、一緒にはできません。

さらに、英語ができるようになるべき理由や、英語ができるようになることで、何ができるようになるのか、という問題も深く考えなければいけません。就職のため、商売のため、という程度であれば、ネイティヴスピーカー並みの言語運用能力は必要ないでしょう。

「離婚した男性」の自殺はなぜこんなに多いのか | ソロモンの時代―結婚しない人々の実像― | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

男は職場で自分の能力が正当に評価されていないという意識があるものです。家庭でも、離婚によって、自分がプライベート面でも正当に評価されていなかったんだと感じると、すべてが否定されたような気分になります。その状況を切り抜ける図太さ、無神経さ、あるいは、その不満を解消できるものがあれば、生き残れるのでしょうが、繊細さの塊のような人間であったり、他に自分を認めてくれる存在を見つけられなかった場合、生きていく価値がないと考えてしまうものです。

女性は、仕事で評価されなくても、それがデフォルトだと思わされているので(女性差別を受け入れているのです!)、仕事ができなくても図太く生きられるのかもしれません。夫に評価されるかどうかなどどうでもいいのでしょう。つまり、男性は他者を価値判断基準にしているので弱く、女性は自分の中に価値判断基準があるので強いのかもしれません。


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預金はしてはいけない? [雑感・日記・趣味・カルチャー]



銀行に預金をする

銀行は国債を買うしかない(民間企業は金余りで金を借りてくれない)

国は民間企業ではないから利益を生み出すわけではないのに、銀行に利子をつけて借金を返さなければいけない

その利子の支払いを増税で賄う(同時に、その税金で官僚や政治家が飯を食う)

要するに、われわれが銀行にお金を預けると、税金が増え、自分たちの可処分所得が減るということです。我々はこういう形で自分で自分の首を絞めているわけです。日本人は勤勉だから預金ばかりするが、アメリカ人はズボラだから預金をしないと、日本人は本気で思い込んでいますが、きっと逆なんでしょう。

この仕組みを作り、国民を洗脳し、甘い汁を吸い続けている官僚や自民党の政治家は、その責任をいっさい取る気はありません。寄生虫のような暮らしを享受しています。国会では。いつも昼寝をするか、野次を飛ばし、女性にはセクハラ。人間のクズみたいな人たちが、国会議員になっているのです。そんな人を支援する人たちこそ、人間のクズなんでしょう。

私も2000年のインターネットバブルのときから経済学をかじり始め、武田邦彦さんと同じような考えに至りました。しかし、経済学者は誰もそんなことを言わないので、私の考えは間違いではないかと思っていました。武田さんは、経済学者は本当はそのことに気付いているけれど、国民には教えないのではないかと推察しています。そうなのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。私にはよくわかりません。

しかし、事実、日本には、これと同じようなお役所的なシステムがたくさん生き残っています。お役所仕事とは、仕事をしているふりをするために無駄に新たな仕事を生み出し、国民生活を便利で豊かにするどころか、逆によりいっそう国民生活を逼迫させる仕事という意味です。安倍退場後、そういう馬鹿げたシステムをバッサバッサと切ってくれる新たな政権が誕生することを望みます。



2年ぶりにユーザー車検に行ってきました [クルマ]

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ここは春日部自動車検査事務所です。受付開始の8時45分に間に合うように家を出たのですが、渋滞があって5分ほど遅れました。到着した時点で、すでに検車場の中にも渋滞ができていました。2月、3月は決算期ということで、クルマを買う人が多くなります。そのせいで、どうしても車検場が混んでしまうようです。

到着早々、必要書類と印鑑を持参して、まずは自賠責保険の窓口へ直行。行ったはいいのですが、クルマのシートに財布を置き忘れてしまい、いったん取りに帰るというトラブルに見舞われました。一瞬、家に戻らないといけないのかと思って冷や汗が出ましたが、駐車場に戻ると、運転席のシートの上に財布が無防備に転がっておりました。ズボンがゆるゆるなので、お尻のポケットから財布がよく落ちるのです。困ったものです。

再び窓口に戻り、自賠責保険の支払いを済ませてから、隣の建物に移動。ユーザー車検の窓口には2年前よりも多くの人がいました。ユーザー車検を利用する人が増えているのかもしれません。とりもなおさす、日本人の貧困化の影響でしょう。車の整備が好きな人が急に増えたはずはありません。

窓口の女性に「この書類に必要事項を記入して窓口に出してください」と笑顔で指示されました。見本を見ながら、もらった書類にあれこれと記入し、再度、窓口に持って行くと、「自動車税の印紙を書類に貼り付けてから持ってきてください」と言われました。まったく、手続きを覚えていませんでした。2年ぶりですから、仕方がありません。以前は、走行距離をメモしていかないといけなかったのですが、今回からは必要なくなったようです。

隣の棟に移動して、「自動車税を支払いたいのですが」と言うと、「今年1年分ですか?」と言われ、「?」

「自動車重量税ですね。」と言い直してようやく理解してもらえました。支払いを終え、印紙を書類に貼り付けてもらったので、またユーザー車検の窓口へ。書類を点検してもらって、判を押してもらい、いよいよ検査ラインに入る許可を受けました。そこまでで20分以上かかりました。

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車に乗って、検査ラインに並ぶと、すでに15台分ほどの渋滞。第4レーンは点検のために封鎖中。2年前と同じ第5レーンに並びました。今回の混雑は、第4レーンが封鎖されていることが原因のようでした。

検査場の建物に入る前に、ランプ類がきちんと点灯するか、ウォッシャー液が出るかワイパーが動くかなど検査されました。エンジンを切っていたため、ウィンカーがつかず、エンジンを掛けてくださいと言われ、またもや焦りました。

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そんなこんなで、建物に入る前に、第1ラウンドの10時15分になってしまい、検査員たちは休憩に突入しました。13分後に再開しました。私は第2ラウンドの3台目になりました。

ガイドの方がついてくれたのですが、ちょっとぶっきらぼうな人で、またもや緊張。

前回落とされたサイドスリップとヘッドライトに関しては何の問題もなく通りました。

しかし、前回すんなり通った、40キロのところでパッシングを出す速度の検査のところでなぜか手間取って、ガイドに叱られてしまいました。

「ダメだよ。ゆっくりやってよ。長くやらないと。」

40キロを維持できず、すぐに速度が超過してしまう上に、パッシングする時間が短いというのです。

ガイドのオジサンは、見かねてというか、呆れて、クルマの窓から手を入れて私の代わりにパッシングしてくれてました。時速40キロをキープしながら、パッシングするという、2つのことを同時にするのができない自分に私自身も呆れました。

その後、次の検査に移動しようとしたら、なぜかアクセルを踏んでも、回転台(?)から、抜け出せません。ブーン、ブーンいうのですが、ちっとも動きません。クルマにパワーがないのでしょうか、それともタイヤがハマった場所が悪かったのでしょうか、あるいは私がアクセルを踏み込む力が弱いのでしょうか。結局、ガイドさんに後ろからクルマを押してもらって、脱出できました。またもやみっともない姿を晒しました。車検場には魔物が住んでいるようです。

その後は、下回りの点検。カンカンカンカンとハンマーで叩く音が響きました。問題なしとのこと。

結果は、一発合格でした。今回はテスター屋さんに行かずに済みました。足回りもいじっていないし(前回はショックアブソーバーを交換しました!)、ヘッドライトのバルブも交換していないので、当然ですね。

費用の内訳

自賠責保険 25,830円
自動車税印紙 24,600円
検査登録印紙 400円
審査証紙 1,300円

合計 52,130円

車検前の整備では、エンジンオイル、オイルフィルター、ポジションバルブ、エアーフィルター、エアコンフィルターを交換しています。自分でやっているので、費用は6000円ほど。不調のスターター(セルモーター)はまだ交換していませんが、その代金(中古パーツ)がおよそ5000円。なんだかんだで、プラス1万円としても、6万円台で収まりました。

民間車検場を利用すれば、おそらくこの2倍はかかるでしょう。12万円くらいかな。安くたって8万円です。ディーラーへ行けば、あれこれパーツの交換が必要ですと脅されて、15万円くらいに跳ね上がるはずです。その点、ユーザー車検というのは、貧乏人には助かります。

しかし、窓口の手続きが煩雑で無駄が多すぎます。半日潰れますからね。業務のほとんどのことはオンライン化できるはずです。検査も、検査員がクルマに乗り込んでやったほうが早い気がします。よく考えたら、車検制度というのは、化石のようなお役所仕事ですね。大改革が必要だと思います。5万円といえども、貧乏人には少々税金が高すぎます。

今度クルマを買うときは、中古の軽自動車にするしかありません。それなら3万円台で収まるでしょう。

ご多分に漏れず、我が家も極端に貧困化しているので、もはやクルマは買えそうもありません。買えたとしても、諸経費込みで20万円とかでしょうね。リースという手もありますけど、どうなんでしょうね。


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忘れていましたが、もうひとつトラブルがありました。このステッカーをうっかり微妙に斜めに張ってしまい、一度張り直したのですが、それでも斜めのままでした。面倒くさいので、そのままにしました。あと2年我慢するしかないですね。


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あらゆるところに貧困化の症状が見られます [雑感・日記・趣味・カルチャー]

日本は貧困化してると実感すること 「洋服のリサイクルショップがいたるところに」「自分の年収が想像以上にあがらない」 | キャリコネニュース

日本国民の貧困化は、悪化することはあれ、改善することはなさそうです。日本にはもはや希望ははないのです。

原因は、現状を正しく認識できない為政者を支持する人たちが多いせいです。アベノミクスを称賛する知性も感性も鈍い人たちが諸悪の根源です。

尾崎豊の「盗んだバイクで走り出す」が今さら物議 「歌詞を文字通りにしか読めない人間多過ぎ」という指摘も | キャリコネニュース

尾崎豊は、失望感や絶望感を歌った歌手であると私は認識しています。「自由になれた気がした 15の夜」という歌詞を聞けば、その解釈が正しいことがわかります。バイクを盗めとか、校舎の窓ガラスを叩き割れと言って、暴力や破壊活動をけしかけているわけでもないし、実際、尾崎豊はそんなことをしたわけではありません。

作者と作品の主人公を同じと考えるような、完全に間違った思考をどこかで身につけてしまった人が、日本にはかなりの割合を占めていると思われます。国語教育の失敗ですね。

国語教育が道徳教育になっているからこそ、自民党の国会議員が道徳という教科に成績評価を付けることに賛成したわけです。国会議員の多くも国語教育の失敗で生まれてしまった人たちです。

学校が国の方針に従った思想教育を施すこと自体、民主主義国家として終わりです。もちろん、民主主義というイデオロギーを教え、他者をリスペクトし、多様性を認めるという思想を教え込むなら問題はありませんがね。

渡辺謙が東京五輪の東北無視を「復興五輪のはずなのに経済五輪になっている」と批判!桜田発言だけじゃない五輪の人命軽視|LITERA/リテラ

そういえば、当初、自民党議員や安倍政権を支持するマスコミは「復興五輪」という言葉を盛んに使っていたけれど、いつのまにか、福島とか東北という言葉が忘れ去られました。いつもの欺瞞ですけど。だからこそ、政治家やマスコミや官僚は信用出来ないのです。もちろん、最も信用できないのは、「国民」のほうですがね。